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来年の恵方は西南西、冬至の晩に貼る一陽来復

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今日は、冬至。
一年で一番昼間が短く夜が長い日。
冬至の二日前から、葛城の一言主神社では一陽来復のお札が授与されます。
ちょっと寒気が緩んだ昨日、今年も賜ってきました。

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帰りに、かもきみの湯であったまり、牛陶板焼きの料理にほっこり。
入湯料とセット料金で1780円の廉価もうれしいかぎり。

冬至の日は「死に一番近い日」でその厄を払うために体を温め、無病息災を祈って柚子湯に入り南瓜を食べる習慣があります。
今日なら、かもきみの湯はゆずが浮かんでます。


一陽来復とは、
陰極まって陽が復(かえ)って来ること
すなわち運が向いてくる、良くないことが続いてもやがて幸運が巡ってくるの意。


日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 冬至:民俗
この日は太陽の光が弱まり植物も衰弱して農耕生活に一種の危機が訪れるとともに、またこの日からふたたび昼の日照時間が長くなり、新しい太陽が輝き始めるときでもある。
したがって、世界の諸民族の間にも、この日を陽気の回復、再生を願う日、また太陽の誕生日とするような観念がうかがえる。
中国では天子が冬至の日に天を祭るのを郊天の儀といい重要な儀式である。
また西洋のクリスマスも、もとは陽気回復を祝う風習がその背景にあったのだといわれる。
世界的にこの日は一陽来復、農耕の再生の力をもたらす神聖な旅人が村にやってくる日と信じられ、日本では弘法大師が村を巡るという伝承が広く伝えられている。
小豆粥(あずきがゆ)や団子をつくって供える大師講の行事がこの旧暦11月23日夜から翌日にかけてみられる。
また、冬至とうなすなどといってカボチャを食べたり、コンニャクを食べる風習があり、カボチャを食べると中風にならないなどともいわれている。
またこの日は柚湯に入るという風も一般的である。いずれも衰弱からの再生という冬至をめぐる観念に呼応する儀礼といえよう。[新谷尚紀]


弥生時代後期後半の吉野ヶ里地域では、冬至を新年の指標としていたことがわかっているそうです。

中国、日本の太陰太陽暦では冬至は暦の計算の起算点として重要なものですが、今日の天文暦の推算は春分点が重要な役割を果たします。

冬至を新年とする民族と暦はどうなっているのでしょう。
ちょっと調べてみました。


中国と日本の正月行事(PDF)より一部抜粋

夏王朝では立春 商・殷王朝では冬至を含む月の翌月が年初め
周では冬至のある月が年初であったとする説がある
周以降、古代~前漢の時代まで冬至(12/22頃)のある月が正月であった。
やはり農耕民族なので冬至は太陽が復活する大事な日

時期が過ぎて、後漢の時代、24節気のある立春(2/4頃)のつきが正月となった。
気温の一番低くなるなる立春頃こそ太陽の復活と考えたらしい

「王様=暦を作る人」といったしきたりがあり王様が代わるたびに暦が新しくなる
度々の改暦は民衆には不評で、元の時代にようやく新王による改暦はやめになった


では、日本はどうかというと
日本では604年推古天皇の時代に百済を通じて伝わった中国の元嘉暦が採用されたのが始まり。
それ以降江戸時代まで中国の暦をだいたいそのままつかっていたので
大陰太陽暦で立春とし始め(正月)で中国と同じ
立春を含む月、あるいは立春の近くの新月の日が年初めだった

604-679 元嘉暦
679-763 儀鳳暦
764-862 大汀暦
862-1684 宣明暦
1685-1842 貞亨暦
1843-1867 天保暦
1872- 西暦(グレゴリオ暦

弥生時代-604年までは不明ながらも、日本書紀の記録が歴史的事実になってくる5世紀ごろには元嘉暦をつかっていたとすると事実とよく合致するらしい。

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