しょうざんで宿泊した帰り、すぐ近くの金閣寺へ。
一行4人のうち、ただ一人私だけが金閣寺行ったことなかったから寄ってもらいました。
拝観券のまわりの白いもやは暑さしのぎのためのミストです。
拝観料400円は、京都の世界遺産観光地にしたら安いね。
二つ折りしてバッグの中でくちゃくちゃになったらあかんやろうと、ずっと手に持ってたので撮影とかしにくかった。
おまけに数珠なりのえらい人で、立ち止まったらガードマンに注意されたり。
池越しに見る金閣を背景に撮影するのに皆さん必死です。
浴衣姿でも、いろんな言語が飛び交ってました。
金閣の鳳凰は昭和の舎利殿の放火消滅の際も残り現存してるとか、10cm角の金箔を貼り付けてあるとか、
修学旅行生の集団を引率するガイドさんの案内に耳そばだてて知りえた情報。
見返り金閣、右のほうに金閣の屋根が少し見えてます。
安民沢(あんみんたく)の中央にある白蛇の塚、画像なし。
白蛇は古くから西園寺家の鎮守とされていたそうです。
金閣寺を立てる前は西園寺家の別荘で、安民沢はその当時からある池で水が涸れた事がなく雨乞いの場所でもあったとか。
どこかのお堂でお賽銭を入れて手を合わせることなく、庭をどんどん進んでいきます。
出口近くになって、やっと不動堂。
ご本尊様はどこに祀られてるんだろうと検索したら
金閣の三階に器に入ったお釈迦様の骨がおまつりされてるそうです。
臨済宗は禅宗で、禅宗のご本尊はお釈迦様なんですね。
金閣寺とは
正式名称を北山鹿苑寺(ほくざんろくおんじ)臨済宗相国寺派
相国寺の塔頭寺院の一つで、舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれる。
金閣を含んだ境内全体が金閣寺でした。
元は鎌倉時代の公卿・西園寺公経の別荘
1397(応永4)年、室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造り隠居所とした。
金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われる。
有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化という。
義満の死後、遺言によりお寺となり夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられた。
金閣寺・銀閣寺がともに塔頭寺院であることはあまり一般に知られていない。
銀閣寺は八代将軍である足利義政の隠居所で、正式には東山慈照寺(とうざんじしょうじ)
続きは、金閣寺秘仏石不動明王