鈴鹿馬子唄に、
♪坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る
歌のとおり かんかん照りの猛暑の昼下がり午後2時ごろ、鈴鹿峠東麓の坂下宿で説明を聞いていました。
あまりに暑くてクラクラしてよく覚えていない。
難所の鈴鹿峠は夜になると山賊もいて峠越えは危険なので、麓の宿場町として栄えた坂下宿。
江戸中期には本陣3、脇本陣1を含め旅籠51軒、町並5町56間あり、戸数約150戸、人口500人あまりと記録される。
元は片山神社の参道辺りにあったが、土石流で宿場が壊滅したため現在の場所に移転(1650年)
片山神社は水害・火事の守り神。
現在、片山神社の左側に自動車道が走り、そこからもたらされた不審火により社殿焼失(1999年)
鈴鹿峠の勾配が蒸気機関車に障害となったため路線は西寄りの柘植経由となる。
地域の経済を旅人相手の商売に依存していた坂下は、交通の要所から外れしだいに衰退。
さらに近年、国道1号線・バイパスが開通したのに伴って、かつて繁栄した宿場町であったことを示すのは、本陣跡を示す旧関町によるいくつかの石碑のみ。
その石碑すら写真撮り忘れた。