山車倉(だしぐら)
関の山という語源が関宿にありました。
山車が最盛期には16基もあって、互いに華美を競いながら狭い関宿を練って進んだことから
関宿の東入り口にある鳥居
式年遷宮でお役ごめんとなった内宮宇治橋南詰め鳥居が移されたものだそうです。
本殿はどの神社の鳥居かと思いきや、伊勢神宮を遥拝するためのものでした。
この東追分は、東海道と伊勢別街道の分岐点です。
鈴鹿関が置かれてたことから関宿。
旧東海道の宿場町がほとんど旧態をとどめない中で、現代でも歴史的な町並みが残されています。
江戸から明治にかけて建てられ現存する町屋200軒あまりが
昭和59年(1984)国の重要伝統的建造物保存地区に制定されています。
古代三大関のひとつ「鈴鹿関」が置かれていた関宿
とパンフレットに書かれてたので、残り二つはどこか調べてみました
600年頃の古代、三関と呼ばれた三大関所は、東海道の鈴鹿関、東山道の不破関、北陸道の愛発関だそうです。
平安時代になれば、京への関所として鈴鹿、不破の関と並んで逢坂関でしょうか。
ふつう関所といって思い出すのは箱根で、
三大関で調べたら、箱根 碓氷は誰しも候補としてあげるけれど、あとひとつは定説なさそう
観光地として自分とこが三大関のひとつとして名乗ってる感じがしました。
でもこれは、近世の江戸時代でしょう。
江戸幕府が特別重要視した四大関所は、
東海道の「箱根」と浜名湖の西岸に設けられた「新居」
中山道の「碓氷」と「福島」
奥州三大関所は、
日本海に面した「念珠関(ねずがせき)」
太平洋からは「勿来の関(なこそのせき)」
下野の国(栃木県)からの「白河の関」