日吉大社の猿神さんについて書く前に、もうひとつ気になることがあったので、さきにそちらから。
東本宮は、上の境内図では右下に描かれています。
以前、大阪市浪速区にある大国神社は敷津松之宮も同じ場所にあり境内を共有する相殿で、境内で参道がクロスしてて珍しい と記事にしました。
2009-01-11 えべっさんと大黒さん
この日吉大社の東本宮も同じ状態でした。
ボランティアガイドさんについていくのが必死で、お参りもそこそこに。
とてもちゃんと撮影している余裕なかったので、画像ひろってきました。
正面の建物が、東本宮の拝殿。
左に樹下宮本殿、右に樹下宮の拝殿です。
樹下宮(じゅげぐう)の神さまは、鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)
今回、ガイドさんに案内されたおばちゃん4名は即席にできたグループで、そのうちのお一人はすぐご近所にお住まいだとか。
ガイドさんとも顔なじみでローカルな話題に花咲いてました。
そして歩きながら聞いたところによると、この樹下宮は社殿右下に井戸があり、お正月に初水を賜りにこられるそうだ。
画像あるほうがわかりやすいので これらの画像ももらってきました。
「日吉大社 お正月 若水」で検索して見つけたのは以下の文、
詳しくは こちらのPDF 一部抜粋引用しますと
「大津の日枝神社社中の樹下宮社殿下からは、今もこんこんと清水が湧き流れている。
この宮こそ複雑化した日枝神社祭祀の最古の起源を示すものと、諸学者の見解は一致している。
同じ地域に位置する園城寺が別名三井寺の名を有する所以は、
三代にわたる天皇の産湯の水が境内にあるからといわれるが、後世の付会というべく、もっと率直に、三井は御井であって、この泉を神聖とした古代祭祀の跡をこの寺が継ぐものと考えたい。
その泉は本堂すぐ西側、崖の際にあっていまなお冷水を湧き出している。」
東本宮神域をもう一度整理すると
八王子山東麓に広がる古墳群に接するように東本宮の神域がある。
中心は、上七社に属する『東本宮』と『樹下宮』で他に摂末社6社と霊泉1井がある。
現在、両社とも当神域内の社殿をもって本社としているが、
西方に聳える八王子山(牛尾山)に坐す山宮(牛尾宮・三宮)を遙拝するために山麓に設けられた里宮が本来の姿である。
それにしても、鴨玉依姫神を祀って、水が湧き出て、なんで樹下宮(じゅげぐう)なんだろう。
気になって調べてみると、こんな説明見つけました→こちらのブログ
「慶応4年(明治元年、1868)4月に樹下重国らが主導した廃仏毀釈で、重要な仏像・仏具は持出され徹底的に破壊されてしまった。
十禅師を「樹下神社」と、廃仏毀釈で破壊したリーダー本人の苗字を残しているのだが、日吉大社の由緒にも、大津市教育委員会が設置した案内板の説明にも、どこにも「廃仏毀釈」や「樹下重国」の記載がないのが気になるところで、おそらくこのよう歴史は参拝者に知らせたくないということだろう」
この廃仏毀釈による日吉大社での被害額は5~10億もいくそうです。
樹下重国 で検索するといろいろわかりますよ。
旧称の十禅師も変わったなじみのない名前です。
1 知徳にすぐれた僧を10人選んで宮中の内道場に仕えさせたもの。内供奉(ないぐぶ)に任ぜられた。
2 日吉(ひえ)山王七社権現の一。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を権現とみていう称。国常立尊(くにのとこたちのみこと)から数えて第10の神にあたり、地蔵菩薩の垂迹(すいじゃく)とされる。
日吉大社より先に三井寺参拝しましたが、駅降りて最初に訪れたのが三尾神社でした。
2014-11-25 三井寺のべんべんと 訶梨帝母倚像
この三尾ってどこかで聞いたことあるけど、なんだったか思い出せませんでした。
すると、今日の「このブログで人気のあるページ」のNo2に
2013-11-10 蝉丸 猿丸 山の民?
そのコメント欄で吉田一氣さんがお寄せくださった文の中に、再発見!
彦火々出見尊と豊玉姫は大津シノ宮で神上がられた、
その大津シノ宮が三尾神社らしい→こちら
自分の理解を超えているものは、脳もスルーしているようで
それでいて奥底に記憶の片鱗として沈殿しているものなんですね。
東本宮は、上の境内図では右下に描かれています。
以前、大阪市浪速区にある大国神社は敷津松之宮も同じ場所にあり境内を共有する相殿で、境内で参道がクロスしてて珍しい と記事にしました。
2009-01-11 えべっさんと大黒さん
この日吉大社の東本宮も同じ状態でした。
ボランティアガイドさんについていくのが必死で、お参りもそこそこに。
とてもちゃんと撮影している余裕なかったので、画像ひろってきました。
正面の建物が、東本宮の拝殿。
左に樹下宮本殿、右に樹下宮の拝殿です。
樹下宮(じゅげぐう)の神さまは、鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)
今回、ガイドさんに案内されたおばちゃん4名は即席にできたグループで、そのうちのお一人はすぐご近所にお住まいだとか。
ガイドさんとも顔なじみでローカルな話題に花咲いてました。
そして歩きながら聞いたところによると、この樹下宮は社殿右下に井戸があり、お正月に初水を賜りにこられるそうだ。
画像あるほうがわかりやすいので これらの画像ももらってきました。
「日吉大社 お正月 若水」で検索して見つけたのは以下の文、
詳しくは こちらのPDF 一部抜粋引用しますと
「大津の日枝神社社中の樹下宮社殿下からは、今もこんこんと清水が湧き流れている。
この宮こそ複雑化した日枝神社祭祀の最古の起源を示すものと、諸学者の見解は一致している。
同じ地域に位置する園城寺が別名三井寺の名を有する所以は、
三代にわたる天皇の産湯の水が境内にあるからといわれるが、後世の付会というべく、もっと率直に、三井は御井であって、この泉を神聖とした古代祭祀の跡をこの寺が継ぐものと考えたい。
その泉は本堂すぐ西側、崖の際にあっていまなお冷水を湧き出している。」
東本宮神域をもう一度整理すると
八王子山東麓に広がる古墳群に接するように東本宮の神域がある。
中心は、上七社に属する『東本宮』と『樹下宮』で他に摂末社6社と霊泉1井がある。
現在、両社とも当神域内の社殿をもって本社としているが、
西方に聳える八王子山(牛尾山)に坐す山宮(牛尾宮・三宮)を遙拝するために山麓に設けられた里宮が本来の姿である。
それにしても、鴨玉依姫神を祀って、水が湧き出て、なんで樹下宮(じゅげぐう)なんだろう。
気になって調べてみると、こんな説明見つけました→こちらのブログ
「慶応4年(明治元年、1868)4月に樹下重国らが主導した廃仏毀釈で、重要な仏像・仏具は持出され徹底的に破壊されてしまった。
十禅師を「樹下神社」と、廃仏毀釈で破壊したリーダー本人の苗字を残しているのだが、日吉大社の由緒にも、大津市教育委員会が設置した案内板の説明にも、どこにも「廃仏毀釈」や「樹下重国」の記載がないのが気になるところで、おそらくこのよう歴史は参拝者に知らせたくないということだろう」
この廃仏毀釈による日吉大社での被害額は5~10億もいくそうです。
樹下重国 で検索するといろいろわかりますよ。
旧称の十禅師も変わったなじみのない名前です。
1 知徳にすぐれた僧を10人選んで宮中の内道場に仕えさせたもの。内供奉(ないぐぶ)に任ぜられた。
2 日吉(ひえ)山王七社権現の一。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を権現とみていう称。国常立尊(くにのとこたちのみこと)から数えて第10の神にあたり、地蔵菩薩の垂迹(すいじゃく)とされる。
日吉大社より先に三井寺参拝しましたが、駅降りて最初に訪れたのが三尾神社でした。
2014-11-25 三井寺のべんべんと 訶梨帝母倚像
この三尾ってどこかで聞いたことあるけど、なんだったか思い出せませんでした。
すると、今日の「このブログで人気のあるページ」のNo2に
2013-11-10 蝉丸 猿丸 山の民?
そのコメント欄で吉田一氣さんがお寄せくださった文の中に、再発見!
彦火々出見尊と豊玉姫は大津シノ宮で神上がられた、
その大津シノ宮が三尾神社らしい→こちら
自分の理解を超えているものは、脳もスルーしているようで
それでいて奥底に記憶の片鱗として沈殿しているものなんですね。