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Channel: 秋麗(あきうらら)
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なんともけったいな三井寺の伝承の数々

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三井寺の 門たたかばや けふの月

御影石に榊莫山氏 揮毫の石碑と紅葉が美しかった。
三井寺金堂正面左手の蓮池の前にありました。
芭蕉、元禄4年(1691)48歳の作で、芭蕉没後300年を記念して平成6年に建立されました。

どういう意味か検索してたら、あるブログには

「三井寺」は、大津にある園城寺(おんじょうじ)の通称である。
仲秋名月の夜のことを扱った謡曲『三井寺』の舞台でもある。
謡曲は、当時、俳人たちの常識でありこの芭蕉の句も謡曲『三井寺』を踏まえている。




唐院大師堂で黄不動尊を特別拝観



映画「るろうに剣心」のロケ地となった橋も渡り、
けっこう疲れたし境内は広いし、出口はどこだろうとお坊さんにお尋ねしました。
やっぱり三井寺来て、金堂拝まずに帰るのもどうかと思われた。




弁慶の引き摺り鐘も見ました。
俵藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に竜宮から持ち帰った鐘を三井寺に寄進したんだと。
その後、山門(比叡山)との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げてついてみると、
いのーいのー(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は怒って鐘を谷へ投げ捨てた。
その時のものと思われる傷跡がのこってるといわれます。

藤原秀郷は、平安時代中期の貴族・武将で、近江三上山の百足退治の伝説で有名。
出自を藤原北家魚名流とするのが通説だが、「実際には下野国史生郷の土豪・鳥取氏で、秀郷自身が藤原姓を仮冒した」という説もある。





三井寺の公式サイトより
本尊は金堂にお祀りする弥勒さまです。
このご本尊は今から千三百年余り前、三井寺が創建された時に 天武天皇から賜わったと伝えられていますが、 絶対の秘仏となっているため、この仏様を拝したひとは誰もいません。



金堂の前の石灯篭は、立札にいわれが書かれています。
堂前灯籠 天智天皇が大化改新で曽我氏一族を誅した罪障消滅のため、自らの左薬指を切ってこの台座の下に収められたと伝わる。
そのため別名「園城寺金堂無名指灯篭」と呼ばれる。

天武天皇の勅願により建立され「園城寺(おんじょうじ)」と称したはずなのに、
天武以前の天智天皇の薬指とは、これいかに?




近藤の左側に閼伽井屋があり、水の湧き上がる音がボコボコと聞こえました。
天智天皇、天武天皇、持統天皇の三天皇が産湯に用いた泉、三井の霊泉とされます。
御井(みい)の寺と呼ばれていたことから三井寺と親しまれています。

三人の天皇は、三人とも琵琶湖のこのあたりでお生まれになり産湯を使われたなんて、ありえへん?
いったい何を物語りたい逸話としているのでしょう。


この閼伽井屋の正面には左甚五郎作と伝わる龍彫り物があります。
むかしこの龍が夜な夜な琵琶湖に出て暴れたため、困った甚五郎が龍の目玉に五寸釘を打ち込みしずめたんだと。

左甚五郎は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人、
ということは、この建物覆いは江戸時代に建てられてたんだ。



貞観元年(859年)園城寺初代長吏となった智証大師が感得されたのが黄不動尊です。
今年はその智証大師(814-891) 生誕1200年なんだそうです。




三井の晩鐘は、近江八景の一つとして有名です。
宇治の平等院、高尾の神護寺とともに日本三銘鐘に数えられ、
荘厳な音色は日本の残したい音風景百選にも選ばれているそうです。



広い境内を1時間半ほどウロウロして三井寺駅に戻った。


続いて、日吉大社のある坂本へ。




★追記 謡曲『三井寺』とは 三井寺公式サイトより

能楽にうたわれる謡曲に、『三井寺』という狂女物の名作があります。 世阿弥の作とも伝えられています。 駿河国(静岡県)清見ケ関の女が、子買いにさらわれたわが子を捜し訪ねて、 京都・清水寺参籠の霊夢で三井寺へ参れと告げられます。
時まさに中秋の名月。三井寺では、住僧が弟子・千満らを連れて講堂の庭での月見に出ます。 そこへ、子を失った哀しみに心を乱した女が到って、名月に浮かれ、 龍宮から持ち帰ったと伝わる名鐘を、龍女成仏にあやかって自分も撞(つ)きたいと近づきます。

住僧は制止しますが、狂女は中国の古詩を持ちだして、詩聖でさえ、名月に心を狂わせて、 高楼に登り鐘を撞くというのに、ましてや狂女の私がと、鐘を撞き、舞います。 「初夜(=宵)の鐘を撞く時は諸行無常と響くなり 後夜(ごや)(=深夜)の鐘を撞く時は是生(ぜしょう)滅法と響くなり 晨朝(じんじょう)(=明け方)の響きは生滅滅己(しょうめつめつに) 入相(いりあい)(=夕暮れ)は寂滅為楽と響きて」。

「諸行無常」と響く初夜の鐘(三井の晩鐘)

弟子の千満に促されて住僧は、狂女に素姓を尋ねます。 千満・狂女の応対があって、狂女は千満がわが子と知り、母子(ははこ)は再会。めでたし、めでたし。 「かくて伴なひ立ち帰り親子の契り尽きせずも富貴の家となりにけりげに ありがたき孝行の威徳ぞめでたかりける」。

能「三井寺」

江戸時代も文化隆盛の頃、武士は謡(うたい)を、町人は浄瑠璃をたしなむことをステータスとしました。


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