紅葉もきれいでしたし、黄不動尊もすばらしかったけど、
一番印象に残ったのが宝物殿でみた訶梨帝母倚像でした。
撮影は禁止ですのでネットで拾ってきました。
難しい読み方は、見学してるときにメモしてきました。
かりていもいぞう と読みます。
右手にザクロを持ち、左手に幼児を抱いて、半跏し右足を踏み下げています。
鎌倉時代13世紀前半の木造(像高43.9cm)で重要文化財です。
時間をまき戻し、三井寺の最初からご案内しますと、
駅から5分ちょっと歩くと
先にアップしたスマホ撮影したマンホール画像はこの三尾神社右手の道です。
兎の宮、三尾神社 →こちら
境内右から 西国33箇所の観音堂へ上がる石段参道
琵琶湖がきれいに見晴るかせました。
朱印賜ったことだし、それでは黄不動尊さまを拝みに行きましょう。
三井寺の広報僧「べんべん」に出会いました。
背中に亀の甲羅背負ってるやん、と調べてみると
弁慶の引きずり鐘と千団子祭りの亀をモチーフにしたキャラクターで、特技はほら貝を吹くこと、だそうです。
そのときは何も知らず、境内でお団子買いました。
千団子って書いてあります。
千団子祭りは子どもの成長を祈る祭りとして、広く親しまれている三井寺の祭礼。
広い境内の中に、市指定文化財に指定されている護法善神堂(ごほうぜんじんどう)がある。
そこの守護神である鬼子母神は千人の子どもを持ちながら、人間の子どもを食べる悪い神だったが、お釈迦様に説かれ、出産、育児の神として子どもたちを守る神となったと伝えられている。
その子どもたちに千個の団子を供えることから「千団子祭り」と呼ばれ、600年以上続く伝統的な行事となっている。
千団子社の前の池では、子どもの健やかな成長を願って「亀の放生」が行われ
亀の甲羅に子どもの名前と年齢を書き、その亀を、祈祷後、池に放つというもの。
これで最初の訶梨帝母倚像(かりていもいぞう)とつながりました!
護法善神堂の左脇に安置されている像だったのでした。
訶梨帝は鬼子母神とも呼ばれ、釈迦によって改心し子供の守護神となった女神。
園城寺では、智証大師の護法神として特に篤い信仰を集めています。
一番心象に残った仏像と、お団子も美味しかったし、ね。
黄不動尊に会いに行ったので、次回に続きます
一番印象に残ったのが宝物殿でみた訶梨帝母倚像でした。
撮影は禁止ですのでネットで拾ってきました。
難しい読み方は、見学してるときにメモしてきました。
かりていもいぞう と読みます。
右手にザクロを持ち、左手に幼児を抱いて、半跏し右足を踏み下げています。
鎌倉時代13世紀前半の木造(像高43.9cm)で重要文化財です。
時間をまき戻し、三井寺の最初からご案内しますと、
駅から5分ちょっと歩くと
先にアップしたスマホ撮影したマンホール画像はこの三尾神社右手の道です。
兎の宮、三尾神社 →こちら
境内右から 西国33箇所の観音堂へ上がる石段参道
琵琶湖がきれいに見晴るかせました。
朱印賜ったことだし、それでは黄不動尊さまを拝みに行きましょう。
三井寺の広報僧「べんべん」に出会いました。
背中に亀の甲羅背負ってるやん、と調べてみると
弁慶の引きずり鐘と千団子祭りの亀をモチーフにしたキャラクターで、特技はほら貝を吹くこと、だそうです。
そのときは何も知らず、境内でお団子買いました。
千団子って書いてあります。
千団子祭りは子どもの成長を祈る祭りとして、広く親しまれている三井寺の祭礼。
広い境内の中に、市指定文化財に指定されている護法善神堂(ごほうぜんじんどう)がある。
そこの守護神である鬼子母神は千人の子どもを持ちながら、人間の子どもを食べる悪い神だったが、お釈迦様に説かれ、出産、育児の神として子どもたちを守る神となったと伝えられている。
その子どもたちに千個の団子を供えることから「千団子祭り」と呼ばれ、600年以上続く伝統的な行事となっている。
千団子社の前の池では、子どもの健やかな成長を願って「亀の放生」が行われ
亀の甲羅に子どもの名前と年齢を書き、その亀を、祈祷後、池に放つというもの。
これで最初の訶梨帝母倚像(かりていもいぞう)とつながりました!
護法善神堂の左脇に安置されている像だったのでした。
訶梨帝は鬼子母神とも呼ばれ、釈迦によって改心し子供の守護神となった女神。
園城寺では、智証大師の護法神として特に篤い信仰を集めています。
一番心象に残った仏像と、お団子も美味しかったし、ね。
黄不動尊に会いに行ったので、次回に続きます