先週7/8川湯温泉の宿を出て、真っ先に向かったのは熊野本宮大社でした。
1時間半ほどの自由参拝だったので、先達者に導かれるまま、大斎原から。
マニアックな参拝ツアーならではです。
熊野は3回目ですが、以前は車中より、大きな鳥居を眺めただけでした。
ツアー観光客は現在の本宮大社にお参りするだけが普通です。
元は熊野川・音無川の合流点にある大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
明治22年(1889年)の8月に起こった大水害で本宮大社の社殿多くが流出。
水害を免れた4社が現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。
現在の熊野本宮大社から500mほど離れています。
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大鳥居(高さ約34m、幅約42m)
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かつては約1万1千坪の境内に、5棟12社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台などがありました。
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石の祠は南向いてますよ、と磁石を見せてくれる先達者の一人。
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江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、
参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりだったそうです。
川の水で最後の水垢離を行って身を清め神域に訪れたのです。
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↑ 川の中州にあるのがよくわかる画像をネットで拾ってきました
普段水の量が少ないのは、熊野川上流にダムができたからだそうです。
社伝によれば、第10代崇神天皇の御代に、大斎原に
熊野三所権現(熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神)が降臨。
その様子を、「大きな櫟(いちい)の木に三体の月が降りてきた」と伝えています。
社殿の造営は、降りてきた真ん中の月からの
「我は證誠大権現(家都美御子大神)であり、社殿を創って齋き祀れ」との神勅によるものと伝えられています。
1時間半ほどの自由参拝だったので、先達者に導かれるまま、大斎原から。
マニアックな参拝ツアーならではです。
熊野は3回目ですが、以前は車中より、大きな鳥居を眺めただけでした。
ツアー観光客は現在の本宮大社にお参りするだけが普通です。
元は熊野川・音無川の合流点にある大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
明治22年(1889年)の8月に起こった大水害で本宮大社の社殿多くが流出。
水害を免れた4社が現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。
現在の熊野本宮大社から500mほど離れています。
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大鳥居(高さ約34m、幅約42m)
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かつては約1万1千坪の境内に、5棟12社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台などがありました。
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石の祠は南向いてますよ、と磁石を見せてくれる先達者の一人。
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江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、
参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりだったそうです。
川の水で最後の水垢離を行って身を清め神域に訪れたのです。
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↑ 川の中州にあるのがよくわかる画像をネットで拾ってきました
普段水の量が少ないのは、熊野川上流にダムができたからだそうです。
社伝によれば、第10代崇神天皇の御代に、大斎原に
熊野三所権現(熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神)が降臨。
その様子を、「大きな櫟(いちい)の木に三体の月が降りてきた」と伝えています。
社殿の造営は、降りてきた真ん中の月からの
「我は證誠大権現(家都美御子大神)であり、社殿を創って齋き祀れ」との神勅によるものと伝えられています。