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Channel: 秋麗(あきうらら)
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八坂瓊(やさかに) &八雲(やくも)

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単に歩くだけよりは、自分が暮らす町の全部の神社に挨拶まわろうと
元旦早々のナイスな思いつきは着実にこなしています。

残すはあと4社、ほぼ淀川沿いにあり我が家からは少し距離がある。

八雲神社…守口市八雲北町2-15-1
八坂瓊神社…守口市大庭町2-93
津島部神社…守口市金田(きんだ)町6-15-6
佐太神社…守口市佐太中町7-16-25

いかにもという名前のそうそうたる神社です。
名前からして前々から気になってたものの足を運ぶまでには至らず数年経過してました。



13(日)淀川堤ウォーキングで目指した神社は八雲神社と八坂瓊神社。
手っ取り早く行くなら堤防下の町中の道ですが
土曜夜TMさんのブログ見て、堤防を歩こうと思い立ちました。
土手の高くなった堤防からは景色がよく見えて気持ちよく歩けました。

江戸時代の古地図、7番の地に八坂瓊神社があります。
かつて大庭7番は、現在住所 大庭町2-93 になっています。

←クリックで拡大します

最初の画像、鳥居右下に大庭7番の石柱が立ってます。

2007年の暑かった夏のある日、
地域の有力者であられる木村さんに八雲地区を案内してもらいました。
途中でこの神社境内で休憩したことをありありと思い出します。
その木村隆義氏は来月叙勲の栄誉に輝かれお祝いの会を催されます。
出欠の返事出さないといけないのに、
大阪市内で夜の宴、なんとなく敷居が高く返事をためらっていました。



庭窪レストセンターから堤を降りて八坂瓊神社に到着。


奉賛会の皆さんが5,6人で掃除されてました。
宮司さんが在住の神社ではないので、たまたまこの13(日)午前中にとんど焼きが行なわれていたそうです。
ちょうどその集団の中に木村先生がおられ、ばったり遭遇。





本殿の扉が開いていて、こちら祭神のスサノオに招かれたかなと気分上々。
右手の神輿は1640年のものだとお聞きしました。

1615年(元和元年)大坂夏の陣の兵火に遭って焼失
1623年(元和9年)に藤原朝臣・赤楚藤兵衛が社殿を造営
1663年(寛文3年)銘の石燈篭と、1723年(享保8年)銘の鳥居


神社の由緒
「創立の年代は詳かせないが、畴昔より鎮座されていた京都祇園の八坂神社の御祭神を勧請したと伝えられている。
文化十四年(一八一七)九月二十日より、京都葉室殿の御祈願所となり、
毎年例祭には葉室殿より高張提灯御杖附二張、御膳一膳、青銅一貫匁を供進せられた。
中略
境内地は一、一二二平方米を有し、境内末社に稲荷神社、開墾神社を祀っている。
開墾神社は由緒書(社蔵文書)に「往昔より鎮座あり、河内国川流の後葭草の処、村人二十四名相互に土地を開墾し、五穀を蒔付くるに、繁茂成熟して種実を得るに至る。
彼此境界無く殆んど分界し難し依って磅爾を設け立て名を道祖神と仰ぎ奉祀す」

葉室殿って、だれ?
八坂瓊(やさかに)って、三種の神器の中で唯一皇居に実物がある八尺瓊勾玉と関係あるの?

興味はつきません。



八雲神社





元は、旧八番村・北十番村・下島村・南十番村の氏神さん。
祭神を牛頭天王(すさのおの尊)・八幡宮(応神天皇)・天満宮(菅原道真)の三神としていることから三社権現と呼ばれた


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