2月8−9日の週末を金剛山で過ごしましたが、
標高1,125mのこの山は、奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村との境目にあります。
最高地点は葛木岳、御所市の葛木神社の本殿の裏にありますが神域です。
大阪府の最高地点は、1,053mらしいです。
DIVAさんが、一等三角点のある山として日本一低い蘇鉄山のことをコメントで書いてくださいました。
早速登頂してきました。
母がすぐ近くの病院に1月半ばに転院なったので見舞いを兼ねて。
標高6.96mの築山で、大浜公園内にあります。
確かに山頂には蘇鉄植わってました。
山の周りをぐるっと一周しても100mあるのかな…
ちなみに、天保山も最低山としては有名ですが、こちらは標高4.53mなれど二等三角点。
1879年(明治12)大浜公園開園時、大阪湾の展望のための築山として整備されたようです。
入園料は無料でしたが、駐車代金2時間以内200円がかかりました。
蘇鉄山の北側麓には
実は、大阪で一番高い山と低い山を制覇するだけが目的ではありませんでした。
実は数年前、阿波座にある高潮ステーションを訪れた時、
堺市大浜公園蘇鉄山にある石碑「擁護璽」レプリカを見ました。
その時の記事は→2011-06-19 津波・高潮ステーション
1884年(安政元年)安政南海地震に関する石碑です。
実物を見たいと思っていたら、やっとそのチャンスが巡ってきました。
擁護璽 ようごじ と読みます。
神から賜った、璽(おしで)。現代語訳は以下の通り
嘉永七年六月十四日(1854)地震があった。
11月4日、5日にも強い地震があり、沖の方が恐ろしく鳴り響き、津波が起って川筋へ激しく入り込み、また引きも激しく、多くの船の碇綱、艫綱切れ、あちこち突きあたって橋は八つも壊れ言いつくせないくらい。
地震と津波で多くの家、土蔵が壊れたが、里人たちは神社の広場に集まり避難した。お陰で怪我をしたり死んだ人が居なかったので大変ありがたいことであった。
他所の入江や川筋では避難のために小舟に乗って安心していたが、津波によって大船が入込み、下敷きとなって命を落とした者数知れず。
どんなことがあっても、地震が強い時は船に乗って避難してはならない。
宝永年間にも今回と同じようなことがあったと聞いている。
この様な例で明らかなように、地震が強い時は、津波があることを知るべきである。
堺の人びとが無事であったことが有りがたく、産土神の神明宮、三村宮、天満宮にその喜びの幣を捧げ、後の世も災いが無いことを祈って賜ったおしで(璽)をここにまつるのである。
宝永南海地震で大きな被害がでてが、この教訓をいかせず大阪では2000人はなくなった。
しかしこちら堺は、教訓を言い伝えていたので、
住民はみんな神社の庭に避難し、死者もけが人も出さなかったと書かれています。
またまた、日本海の佐渡でダイオウイカが水揚げされたと、今ニュースでいってます。
なんか深海でおこってるかも…