石生の水分かれ(いそうのみわかれ)なんて聞いてもほとんどの方はご存知ないでしょう。
たぶん実際に足を運ぶ人もそれほどいないでしょう。
ということでちょっと詳しくレポートしてみます。
JR福知山線の丹波路快速を篠山口で降りて各駅に乗り換えて約30分。
(大阪9:21→篠山口10:28−10:31→石生11:00)
運転手さんしか乗ってられなくて一番前の出口から降ります。
扉は各自が自分でボタンを押して開閉する電車でした。
石生は無人駅でした。
駅前には何にもありません。
たまたま駅前に1台停車してたタクシーの運転手さんに水分かれ公園への行き方を確認。
1時間半後に駅に戻ったら、また誰もいなかった。
行く時は町中をショートカットして約10分ほどでたどり着きました。
ちょっとした名所、「水分れ橋」は帰りに撮影しました。
線路も平行している国道175号線も分水界を横切っているのですが、
山の稜線で分かれる分水嶺と違って、イマイチ実感できません。
この立て看板には、氷上回廊の中心点であると書かれてあります。
氷上(ひかみ)という地名をどこで知ったかというと、
私のお気に入り神社である美具久留御魂神社の創建由緒に出てきます。
丹波の国氷上郡の氷香戸辺が神懸かりして
「玉もの鎮石。出雲人の祭る。真種の甘美鏡。押し羽振る、甘美御神、底宝御宝主。山河の水泳る御魂。静挂かる甘美御神、底宝御宝主。」
詳しくは、二礼四拍手一礼→ 2011-09-04
なんで氷上なんだろうと気になってました。
そして播磨にある考古学博物館で知った事実は
マンモスも歩いた道★石生の水分れ★中央分水界→ 2011-12-01
ということでやっとその地にやってこれたのでした。
高谷川に沿って、水分れ公園を目指します。
脇に看板があり、この道の中央が分水界であると。
この道に降った雨は右に流れて高谷川に落ちると、本流の加古川につながり瀬戸内海へ。
一方、左に落ちれば由良川支流で日本海に出るのだそうです。
やっと水分れ公園に着きましたが、どこからが公園なのかよくわからない。
いそベ神社の鳥居左側に、有名なスポット
水が分かれる様子をデフォルメしてあるだけで、ほんとに分かれているわけではありません。
さらに左手に水の上流にいくと
この奥に展望台へと続く山道が始まりますが、
イノシシ避けの柵は閉じられ針金巻きつけられて進入を拒まれました。
高いところから地形を鳥瞰したかったので残念。
いそべ神社の最初の鳥居をくぐり、右手に行くと水分れ資料館があります。
私たちが訪れた11月17日は、たまたま関西文化の日で入館無料でラッキー(*^^)v
手持ち無沙汰にされてた資料館の女性は丁寧に説明してくださった。
氷上回廊の生き証人、今でも生き続けているのですね。
マンモスは化石となって、氷上回廊の存在を知らしめてくれていますが。
かつて大阪の商人は、この氷上回廊の船で運べない部分に運河を掘ろうという計画したそうです。
しかし実現せぬまま、大型船舶による本州回りの海運業発展により、氷上回廊は忘れ去られていきます。
九州へ行く時飛行機から見たこのあたりの地形は、ホンマに低い。
これなら峠をこす苦労がなくてマンモスも歩いたであろうと実感できました。
現在の石生の町からは、かつての繁盛していた様子は伺えません。
タイムスリップしたような町並みでした。
水分れ資料館でもらった中央分水界のパンフレットには、
地図にも内容にも、どこにもいそべ神社のことが書かれてありませんでした。
入口最初にいそべ神社の大きな鳥居があるというのに。
訪れるまでネット検索では、この神社の位置関係がよくわからなかった。
丹波市の教育委員会も実際訪れた人々もあまり神社は興味ないのでしょう。
いそ辺神社の、いそという漢字は、山偏に石。
奇日方命(くすひかたのみこと)を祀ったお社が昔からあったはず。
あとで境内の一部に公園ができて資料館ができたのでしょう。
歴史をないがしろにしてるように思われました。
神社そのものは立派でした→石生の水分れにあるいそ辺神社
水分れ公園へ行く遊歩道も、川の土手下で景色が悪い。
ほとんど交通量のない田舎道なので、私たちは遊歩道からもとの土手道に戻り歩きました。
この間一度も車に出あわなかった。
あの鳥居横のデフォルメ分水界もイマイチだし。
観光に力を入れたいんだったら、もう一度考え直さないと、ね。
たぶん実際に足を運ぶ人もそれほどいないでしょう。
ということでちょっと詳しくレポートしてみます。
JR福知山線の丹波路快速を篠山口で降りて各駅に乗り換えて約30分。
(大阪9:21→篠山口10:28−10:31→石生11:00)
運転手さんしか乗ってられなくて一番前の出口から降ります。
扉は各自が自分でボタンを押して開閉する電車でした。
石生は無人駅でした。
駅前には何にもありません。
たまたま駅前に1台停車してたタクシーの運転手さんに水分かれ公園への行き方を確認。
1時間半後に駅に戻ったら、また誰もいなかった。
行く時は町中をショートカットして約10分ほどでたどり着きました。
ちょっとした名所、「水分れ橋」は帰りに撮影しました。
線路も平行している国道175号線も分水界を横切っているのですが、
山の稜線で分かれる分水嶺と違って、イマイチ実感できません。
この立て看板には、氷上回廊の中心点であると書かれてあります。
氷上(ひかみ)という地名をどこで知ったかというと、
私のお気に入り神社である美具久留御魂神社の創建由緒に出てきます。
丹波の国氷上郡の氷香戸辺が神懸かりして
「玉もの鎮石。出雲人の祭る。真種の甘美鏡。押し羽振る、甘美御神、底宝御宝主。山河の水泳る御魂。静挂かる甘美御神、底宝御宝主。」
詳しくは、二礼四拍手一礼→ 2011-09-04
なんで氷上なんだろうと気になってました。
そして播磨にある考古学博物館で知った事実は
マンモスも歩いた道★石生の水分れ★中央分水界→ 2011-12-01
ということでやっとその地にやってこれたのでした。
高谷川に沿って、水分れ公園を目指します。
脇に看板があり、この道の中央が分水界であると。
この道に降った雨は右に流れて高谷川に落ちると、本流の加古川につながり瀬戸内海へ。
一方、左に落ちれば由良川支流で日本海に出るのだそうです。
やっと水分れ公園に着きましたが、どこからが公園なのかよくわからない。
いそベ神社の鳥居左側に、有名なスポット
水が分かれる様子をデフォルメしてあるだけで、ほんとに分かれているわけではありません。
さらに左手に水の上流にいくと
この奥に展望台へと続く山道が始まりますが、
イノシシ避けの柵は閉じられ針金巻きつけられて進入を拒まれました。
高いところから地形を鳥瞰したかったので残念。
いそべ神社の最初の鳥居をくぐり、右手に行くと水分れ資料館があります。
私たちが訪れた11月17日は、たまたま関西文化の日で入館無料でラッキー(*^^)v
手持ち無沙汰にされてた資料館の女性は丁寧に説明してくださった。
氷上回廊の生き証人、今でも生き続けているのですね。
マンモスは化石となって、氷上回廊の存在を知らしめてくれていますが。
かつて大阪の商人は、この氷上回廊の船で運べない部分に運河を掘ろうという計画したそうです。
しかし実現せぬまま、大型船舶による本州回りの海運業発展により、氷上回廊は忘れ去られていきます。
九州へ行く時飛行機から見たこのあたりの地形は、ホンマに低い。
これなら峠をこす苦労がなくてマンモスも歩いたであろうと実感できました。
現在の石生の町からは、かつての繁盛していた様子は伺えません。
タイムスリップしたような町並みでした。
水分れ資料館でもらった中央分水界のパンフレットには、
地図にも内容にも、どこにもいそべ神社のことが書かれてありませんでした。
入口最初にいそべ神社の大きな鳥居があるというのに。
訪れるまでネット検索では、この神社の位置関係がよくわからなかった。
丹波市の教育委員会も実際訪れた人々もあまり神社は興味ないのでしょう。
いそ辺神社の、いそという漢字は、山偏に石。
奇日方命(くすひかたのみこと)を祀ったお社が昔からあったはず。
あとで境内の一部に公園ができて資料館ができたのでしょう。
歴史をないがしろにしてるように思われました。
神社そのものは立派でした→石生の水分れにあるいそ辺神社
水分れ公園へ行く遊歩道も、川の土手下で景色が悪い。
ほとんど交通量のない田舎道なので、私たちは遊歩道からもとの土手道に戻り歩きました。
この間一度も車に出あわなかった。
あの鳥居横のデフォルメ分水界もイマイチだし。
観光に力を入れたいんだったら、もう一度考え直さないと、ね。