出雲行ったら蕎麦食べようと思ってました。
そばの実を皮ごと石臼で挽くため色は黒く見え香りが強いのが特徴です。
ちなみに更科蕎麦は、そばの中心部分だけを挽いてあるので色が白い。
1時間半の自由昼食時間に蕎麦屋さんを探しました。
どこも満員で並んでました。
やっとのこと田中屋さんで釜揚げ680円、超美味しかったです。
茹でたての蕎麦をゆで汁ごと鍋から器にそのまま入れるから、ビタミンミネラルたっぷり。
そばの風味も充分味わえ大満足。
境内案内終了後、自由昼食のため解散となり1時間半ほどありました。
どこ行く〜?
銅の鳥居より向かって左に行くと、神楽殿、千家国造家、バスの駐車場がありそこが集合場所です。
反対側の右側に行ってみることにしました。
なんか人の気配少なく蕎麦屋さんも空いてそうだったから。
東側の小さな門をでて吉野川を渡ると、びっくりするぐらい閑静でした。
北島国造家、出雲教と書かれてあります。
まだ6月初旬でしたが、すでに茅輪くぐりが設置されてました。
出雲教茅の輪守も賜ってきました。
家に帰ってからじっくり地図や案内図見てたら、
吉野川の小橋渡ってすぐに、四脚門があったようですが見落としました。
出雲大社関連の現存する建造物の中で最古らしい。
北島国造家よりさらに200m行ったら、命主社、ここもお参りしなかった。
天地万物の生り出る大本(命)を司る神様で、大国主命を常にお守りになり
八十神に謀られたときも蘇りを助けかれたそうです。
お社の前に樹齢1000年といわれる椋の木があるらしい。
このときは暑いし、蕎麦屋さん探すので頭いっぱいだったから…。
残念、次出雲いくチャンスあれば必ず!
いっきさんに、国旗写した時の日輪画像ともに画像見てもらったら
「出雲大社拝殿裏の雲の流れはまさにオルゴン流を彷彿とさせます」
といってもらえました。
出雲大社の神紋は、二重亀甲に剣花角紋
出雲大社
島根県出雲市大社町杵築東195
出雲国風土記には、諸皇神達がこの大社(現出雲大社)をキヅき給うたので「キヅキ」と称するようになったと伝えている。
そして神亀三年(726)に社名の示す「杵築」に字を攻めたという。
以来、この大社を「杵築大社」と称するようになった。
1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。
大正14年4月1日、町村合併して大社町となった。
以来「杵築大社」より「出雲大社」としての一般的な呼称が広く使用されるようになった。
「出雲大社」は、正しくは「イズモオホヤシロ」と訓むべきである。
社家通りにある出雲教
出雲市大社町杵築東194
出雲国造は初代・天穂日命(あめのほひのみこと)から始まり、
17代のときに出雲の姓を受けてから55代まで出雲氏が受け継いできた。
56代のときに後継者問題があり、「千家」と「北島」に分かれ平等に職務を分担した。
しかし、明治15年の神官教導職兼帯が禁じられ北島家は「出雲北島教会」を設立。
その後、明治18年に「神道出雲教」と改め、昭和27年に宗教法人「出雲教」を設立した。
千家家のほうは、出雲大社教(いずもおおやしろきょう)
詳しくは、出雲大社・紫野教会でよくわかりました→こちら
堺市初芝駅ちかく日置荘にある出雲大社の大阪分詞は
昭和23年出雲大社より分祀してますが、
その2年前、昭和21年に愛宕神社と命名して創建、主祭神火之迦具土神でした。
昭和33年 出雲大社大阪分祠に昇格。
そばの実を皮ごと石臼で挽くため色は黒く見え香りが強いのが特徴です。
ちなみに更科蕎麦は、そばの中心部分だけを挽いてあるので色が白い。
1時間半の自由昼食時間に蕎麦屋さんを探しました。
どこも満員で並んでました。
やっとのこと田中屋さんで釜揚げ680円、超美味しかったです。
茹でたての蕎麦をゆで汁ごと鍋から器にそのまま入れるから、ビタミンミネラルたっぷり。
そばの風味も充分味わえ大満足。
境内案内終了後、自由昼食のため解散となり1時間半ほどありました。
どこ行く〜?
銅の鳥居より向かって左に行くと、神楽殿、千家国造家、バスの駐車場がありそこが集合場所です。
反対側の右側に行ってみることにしました。
なんか人の気配少なく蕎麦屋さんも空いてそうだったから。
東側の小さな門をでて吉野川を渡ると、びっくりするぐらい閑静でした。
北島国造家、出雲教と書かれてあります。
まだ6月初旬でしたが、すでに茅輪くぐりが設置されてました。
出雲教茅の輪守も賜ってきました。
家に帰ってからじっくり地図や案内図見てたら、
吉野川の小橋渡ってすぐに、四脚門があったようですが見落としました。
出雲大社関連の現存する建造物の中で最古らしい。
北島国造家よりさらに200m行ったら、命主社、ここもお参りしなかった。
天地万物の生り出る大本(命)を司る神様で、大国主命を常にお守りになり
八十神に謀られたときも蘇りを助けかれたそうです。
お社の前に樹齢1000年といわれる椋の木があるらしい。
このときは暑いし、蕎麦屋さん探すので頭いっぱいだったから…。
残念、次出雲いくチャンスあれば必ず!
いっきさんに、国旗写した時の日輪画像ともに画像見てもらったら
「出雲大社拝殿裏の雲の流れはまさにオルゴン流を彷彿とさせます」
といってもらえました。
出雲大社の神紋は、二重亀甲に剣花角紋
出雲大社
島根県出雲市大社町杵築東195
出雲国風土記には、諸皇神達がこの大社(現出雲大社)をキヅき給うたので「キヅキ」と称するようになったと伝えている。
そして神亀三年(726)に社名の示す「杵築」に字を攻めたという。
以来、この大社を「杵築大社」と称するようになった。
1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。
大正14年4月1日、町村合併して大社町となった。
以来「杵築大社」より「出雲大社」としての一般的な呼称が広く使用されるようになった。
「出雲大社」は、正しくは「イズモオホヤシロ」と訓むべきである。
社家通りにある出雲教
出雲市大社町杵築東194
出雲国造は初代・天穂日命(あめのほひのみこと)から始まり、
17代のときに出雲の姓を受けてから55代まで出雲氏が受け継いできた。
56代のときに後継者問題があり、「千家」と「北島」に分かれ平等に職務を分担した。
しかし、明治15年の神官教導職兼帯が禁じられ北島家は「出雲北島教会」を設立。
その後、明治18年に「神道出雲教」と改め、昭和27年に宗教法人「出雲教」を設立した。
千家家のほうは、出雲大社教(いずもおおやしろきょう)
詳しくは、出雲大社・紫野教会でよくわかりました→こちら
堺市初芝駅ちかく日置荘にある出雲大社の大阪分詞は
昭和23年出雲大社より分祀してますが、
その2年前、昭和21年に愛宕神社と命名して創建、主祭神火之迦具土神でした。
昭和33年 出雲大社大阪分祠に昇格。