2018年10月29日ベネチアが、歴史に残る大水害に見舞われた時の画像です。
アクアアルタ(Acqua Alta)と呼ばれるベネチアの洪水です。
イタリア語で、アクアは「水」アルタは「高い」という意味、
しばしば高潮による洪水に見舞われ、街が水没してしまう現象のこと。
シロッコと呼ばれる季節風の影響で、秋から春の季節に見られます。
海面の上昇で既に高くなった水位が、季節によっていつもより強い風が吹くことで更に高くなり、ベネチアの街の石畳の隙間などから水が滲みてきます。
サン・マルコ広場など海抜が低いところから浸水が始まり、満潮が重なると水没状態になります。
アクアアルタ状況に対処するために、潮汐予想などのサイトも充実してます。☞ こちら
今から16年前、2003年1月、そんなことはつゆ知らず、イタリア観光に出かけたのでした。
船でベニスの町に渡った時は、まだそんな水が上がってなかった。
ところがゴンドラで街中を巡ってる間に、・・・
通路となる板橋が設置されていてその上を歩きました。
サン・マルコ広場はみるみるうちに水位が上がり、廻廊部分はまだ歩くことができました。
未だかつて体験したことのない出来事でビックリ。
イタリアはこの危機を回避するためのプロジェクトを立ち上げ1980年代末からスタート。
旧約聖書の「モーゼの十戒」にちなみ「モーゼプロジェクト」と名付けられた。
外海との間に水門を作リ、外からの水をシャットアウト。
2003年からこの工事が始まり8年で完成する予定だったが、高いコストと一連の腐敗スキャンダルによって、プロジェクトは長期にわたって遅延。
2018年現在でも完成してなくて、完成予定は2020年らしい。
ちなみに110cmを超えないと動かないシステムなので、未満の日は同じように水が上がってきて・・・
2007-12-08 ヴェネチアンガラス
ベニスの工房で一つの個室に案内され100万円以上で購入されたんだと。
観光客はたいていこうしたガラス工房の一つに案内され、仕事ぶりをみせてもらいます。
セレブはショッピング。
貧乏な私は工房で眺めてただけ。
かつての記事に記しましたが、
ヴェネツィアはアドリア海の最深部ヴェネツィア湾にできたラグーナ(潟)の上に築かれた水の都です。
歴史は、世界史の名高い4世紀ゲルマン民族大移動に発するようです。
6世紀頃、ゲルマン系諸族やフン族が侵入してきたため、もともとヴェネト地方に暮らす住民がこの湿地帯へ避難。
干潟に杭を打ち込んで住める島としたらしい。
続きは 2007/12/8の記事で
ガラスつながりで、ボヘミアングラスは
2006-10-31 ボージョレ・ヌーボー
ここで書きましたが、
ボヘミアのガラスの歴史は、5、6世紀から始まります
イタリア・ルネサンス後ヴェネチアガラスの製法が伝わりましたが、
ヴェネチアのソーダ・グラスはベニス近海のソーダが必要です
入手困難な、ボヘミア地方では周りの森林のブナ材を焼いた灰を使いました
これが災い福となす、水晶に似た非常に純粋で硬い透明ガラスが生まれました
人の一生も、国の歴史も、紆余曲折いろいろあって面白いですね。