和泉・松尾寺の山門です。
紅葉はこれから見ごろを迎えそうです。
普通に山門から入って参拝されるには、
土曜日は古寺を歩こう が詳しいです。
私たちはチャリがあるので、第3駐車場へと向かいました。
参拝順を逆にご紹介します。
松尾寺バス停の際に立つ大楠をみて、少し行くと立て看板。
画像に書き入れた赤線矢印に沿って進みました。
かなりの階段参道、この下でレンタサイクル停めずに、第3駐車場まで急坂を押して上がるの大変だった。
やっと駐車場入口にスタンプを押す係の人が見えた。
ボランティアガイドさんもいて、どこから来たのという問いかけからローカル話題で盛り上がり写真撮るチャンスを逸しました。
裏から入ったので、まず春日神社にご挨拶。
本堂のところまで行くと、またまたおっちゃんガイドさんが寄ってこられ案内してくださった。
松尾寺
天武元年(672年)役行者が当地で7日間修法し、霊木を得て如意輪観音を自ら刻んで安置したことにより開基と伝わる。
南北朝から室町時代にかけ最も栄え、寺領7,000石、寺坊308、僧兵数千人を擁して山岳寺院を城郭化している。
その後、織田信長によって全山焼き討ちにされ現在の規模になった。
信長の焼き討ちの直前に、長諭(ちょうゆ)和尚が寺宝百数十点を運び出し難を逃れた寺宝が現存しているそうです。
その和尚の功績を伝えるために造立された碑。
金堂は慶長7年(1602年)豊臣秀頼の寄進により、四天王寺の阿弥陀堂を移築。
隙間から覗いてみると内は暗かったけど、たった一つの明かりでお前立の如意輪観音像のお顔がはっきり見えました。
ネットで拾ってきた内の様子
普段は扉が閉じてますが、毎年4月18日のみの開扉されます。
三天堂
穀聚三天、他に松尾明神、三所権現をお祀りしているそうです。
有名な山門のところに来て、
軽快な動きのある持国天と増長天です。
境内側の方はからっぽ、どなたもおられません。
元は広目天と多聞天がおられたらしいのですが、焼失したわけではないのに、いつの間にか消えてどこへ行ったかも不明だそうです。
おっちゃんガイドさんが上に上がって文殊さん拝んどいでと。
文殊菩薩像はとても美しく神々しかった。
ちょっと撮影ためらったけど、普段は中に入れないようなのでこの機会にとシャッター押させていただきました。
鉄の急な階段はさびててちょっと不安でした。
さらにまた階段降りると、首堂(こうべどう)
源義経が源平一ノ谷合戦(約800年前)に戦死した将士の首舟一艘を当寺に送りこの地に葬り亡魂の菩提をねんごろに弔いました。他の二艘は堺の港寺と大阪の四天王寺に納められました。
舟一艘てんこもりの首と聞いて、首堂に手を合わせはしても中は覗かなかった。
左手の地蔵堂のお地蔵さまが、やけに悲しげだった。
階段参道は108段あるそうです。
役行者開基のあと、泰澄が中興し、空海も滞在してて天台宗と真言宗ともに学べるスゴイお寺だったようです。