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Channel: 秋麗(あきうらら)
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大山で目に留まったあれこれ調べたら、大山信仰、牛馬信仰

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11/3大山ウォークも終了間際に駐車場から大山を撮影。
16:40にバス発車して車中からは白雲が噴火煙のように見えた。



2万年以上前の噴火で、弥山、三鈷峰、烏ヶ山の3つの溶岩ドームが形成されたそうです。
2016年(平成28)10月21日鳥取県中部地震では、倉吉市、湯梨浜町、北栄町で最大震度6弱を観測。
大山の噴火だっていつかずっと先にあり得るのかもしれない。


大山山麓を歩きながら目に留まって、画像残してたものを帰ってから調べてみると 
へぇ~! そうだったんだ
調べだしたらキリがないので、その入口だけでも記録残しておきます。



大山寺参道で見かけた白地に藍色の旗。

必要なものは この山が 調えてくれる。


大山の恵に感謝したシンボルマークで、1300年を迎える2年前にデザインされたようです。





ブナの森に蓄えられた水が、山裾を伝い、海に栄養分を運び、それが良質な海藻を育てる。
大山の自然林の水が山を伝い、その水に支えられて多くの人々の暮らしがあり、その恵を守り紡いだ事が歴史や文化になっていった1300年。
そして今も尚、大山に支えられて生きている、その状態こそ将に「調ふ」ことなのだと。


大山信仰
大山は、出雲風土記に伯耆国の大神岳、大神山ともいわれてた。
雄大かつ神々しいところから、
「大いなる神のいます山」「神の宿る山」として崇められてきた。
そして火山噴火物が堆積した土壌にブナの木が育ち、蓄えられた水が人々の暮らしを潤す。
水の恵みに延命を求める地蔵信仰が盛んとなる。

地蔵菩薩が生きとし生けるものすべてを救う仏さまであることから、平安時代に大山寺の高僧 基好上人が牛馬安全を祈願する守り札を配るとともに、山の中腹に広がる牧野で牛馬の放牧も奨励した。



参道の蕎麦屋さん前にあった行燈の絵が牛。

牛馬信仰
人々は牛馬を曳き連れて大山寺に参って守り札をいただき、牛馬にも「利生水」を飲ませて延命を祈った。
さらに守り札は牛舎の柱に貼って安全を祈る。

牛馬の育成に適した大山山麓の牧野で育った体格の良い放牧牛は参詣者の注意をひき、また、参詣者が曳き連れてきた牛馬もあって、大山寺の春祭りなどに牛くらべ、馬くらべが開かれた。
これが発端となって、鎌倉時代以降、次第に牛馬の交換や売買が盛んに行われ、やがて市に発展していったと伝わる。

大山の裾野に自然に生まれた牛馬の市は、江戸時代には大山寺に庇護され信仰に裏打ちされた全国唯一の「大山牛馬市」へと発展。
江戸時代後期には、福島の白河馬市、広島の久井牛市と並ぶ日本三大と言われるまでに隆盛を極めた。
さらに明治時代には日本最大の牛馬市へ。

廃仏毀釈の影響で、大山寺の寺領も取り上げとなり権力が衰退。
牛馬市は昭和12年に閉幕となるも、「和牛」誕生へのいしずえとなった。

牛馬市をささえた「大山道」には、
坊領道、尾高道、溝口道、丸山道、横手道、川床道があり、そのうちの横手道の一部を歩くことができた。

この大山街道は牛馬だけではなく、砂鉄、綿、木綿など伯耆地方の産物が都へ江戸へ運ばれました。

古代~中世の武装した僧兵は、ここ大山でも強者でした。
一時は三千余の僧兵がおり、隠岐で挙兵し上陸した後醍醐天皇が僧兵の力を借りて船上山に立て篭もり、名和長年の弟源盛と共に足利軍を打ち破ったことでも有名らしいです。

最盛期には中門院、西明院、南光院の三つの寺院集団があり、一山三院四十二坊からなる一大勢力を誇った大山寺領は、鳥取藩の治外法権だったとか。
大山寺はもとは中門院大日堂と言い、争いの際に仏像などを一時的に避難させた物置のような場所だった。

明治の神仏分離で、大神山神社奥宮も大山寺も紆余曲折を経て今があるようです。





烏天狗の絵が気になった。

大山 伯耆坊です。

以前に鞍馬天狗や太郎坊宮の記事書いたときに、
八大天狗を調べたら
愛宕山 太郎坊
比良山 次郎坊 
飯綱 三郎
鞍馬山 僧正坊
大山 伯耆坊
英彦山 豊前坊
大峰山 前鬼坊
白峰山 相模坊

今回確認のため再調査したら

☆愛宕山太郎坊(あたごさんたろうぼう)
京都の愛宕山に棲む大天狗。数多くの眷属を従え、火を司る。
天狗の総大将として知られる。

☆鞍馬山僧正坊(くらまやまそうじょうぼう)
牛若丸に武術を仕込んだことで有名な鞍馬天狗。

☆比良山次郎坊(ひらさんじろうぼう)
もとは比叡山の天狗であったか、比叡山に法力の強い法師が多数集まってきたため、滋賀の比良山に移り住んだといわれている。

☆飯綱三郎(いづなさぶろう)
長野の飯綱山に棲む。竹筒に入るほど小さい「管狐(くだぎつね)」を飼い、それを使役する「飯綱の法」という術を使う。

☆相模大山伯耆坊(さがみだいせんほうきぼう)
もともと鳥取の伯耆大山に棲んでいたのだが、神奈川の相模大山にいた相模坊(さがみぼう)が四国の白峰に移ったため、その後任として相模大山へ来たという。

☆大峯前鬼坊(おおみねぜんきぼう)
もとは奈良の生駒山に棲む鬼だったが、修験道の開祖・役小角に改心させられた。その後、妻の後鬼とともに役小角に付き従って山々をめぐった。

☆白峰相模坊(しらみねさがみぼう)
讃岐国に流刑になり、香川の白峰で憤死した崇徳上皇の御霊を慰めるため、相模から移ってきたとされる。

☆彦山豊前坊(ひこさんぶぜんぼう)
福岡と大分の境にある英彦山(ひこさん)を守護する。 英彦山は、羽黒山、大峰山と並び日本三大修験の山のひとつに数えられる。




去年、白山が1300年で養老の滝もそう。
今年は、熊野三山、国東半島、そしてここ大山が1300年。

718年ごろに何があって、日本各地で開創や開基が相次いでるんだろう。
なぞは深まるばかり・・・

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