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Channel: 秋麗(あきうらら)
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仏教伝来の地・海柘榴市は椿市

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5月18日は リコーCX4で撮影しました。
ランチの時に撮影モードダイヤルがうっかりずれてしまってたようで、
これからしばらくアスペクト比1:1が続きます。

最初の画像は、1:1の画像下部分をトリミングしました。
「仏教伝来の地」石碑を歩きながらの撮影で、下に大きくお顔が写ってたので。

大神神社から長谷寺までのウォークは12時半にスタートしました。


すぐ近くに三輪恵比須神社がありました。





三輪山の南側、山裾を縫うように大和川支流の初瀬川は南へ上り、大きく東に曲がる地点が海柘榴市です。

海石榴市 何と読むかわかります?

石榴は、“ざくろ”
海 の 石榴 って何?




万葉集 読人不知
三諸(みもろ)は人の守(も)る山 
本辺(もとべ)は馬酔木花開き 末辺(すえべ)は椿花開く 
うらくはし山そ 泣く子守る山

三諸(神の山・三輪山か)は人が大切に守る山で、
馬酔木が麓の方に花を咲かせ、山の頂の方には椿が花を咲かせ、
まことに麗しい山である

古代から三輪付近には椿の木が多く生えていたようです。

清少納言 枕草子14段
椿市(つばいち)は、大和にあまたある中に、長谷寺に詣づる人の
必ずそこに止まりければ、観音のご縁あるにやと、心ことなるなり 

椿市という名は、当時の市は露天であったので、
木陰を確保するために椿の街路樹が植えられていたことに由来するらしい。 








「欽明天皇13年(552)冬10月、百済の聖明王、またの名は聖王、西部姫氏達率・怒悧斯致契(ぬりしちけい)らを遣わして、釈迦仏の金銅像一躯・幡蓋(はたきぬがさ)若干・経論若干巻を献る」
日本書紀は552年と伝えている。

しかし、学校で習った「仏教伝来ごさんぱい538年」
これは帝説や元興寺縁起によるもので、仏教公伝を欽明天皇7年(538)

当時、欽明天皇の磯城島金刺宮は海柘榴市のすぐ近くにありました。

この地は、百済の使節が難波から大和川を船で遡行して上陸し、
我国に初めて釈迦仏と経典をもたらした仏教伝来の地です。


遣隋使の出立の場所でもありました。
607年に出立した小野妹子一団は、翌年4月裴世清を団長とする12人の使節団を伴って筑紫に帰着。
ようやく8月になって飾り馬75頭を仕立てて海柘榴市に迎えた。
河川敷にコンクリートの馬の置物が多数並んで置かれていて、
なんでかなと話しながら歩いてましたが、これに由来してたのでした。



↓ 画像もらってきました

 

海柘榴市は椿市で、つばいちと読むのはわかったけれど、
なんで、海の石榴になるのか…
検索に検索をかさね、やっと見つけました!

「椿」は『万葉集』に初めて用いられた表記で、
春に花を咲かせる木の意によって用いられた国訓で知られる。
中国の「椿」とは全く関係なく、我が国で発想され作られた国字であるとも言われている。
「海石榴」は我が国のツバキが中国に渡り、
中国では渡来品に海の字をつける慣習があるので
ツバキにも海をつけ、石榴に似た木という意によってこの名に。
これが逆に我が国にもたらされたものであると言われる。

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