珍しく自腹で正規料金\1500支払って見てきました。
朝10:30天王寺待ち合わせがグットタイムだったようで
全く並ばずに入館できましたが、なかは満員でした。
ボストン美術館日本美術の至宝
大阪市立美術館 6月16日(日)まで
ポスターやチケット、入口エントランスにある曽我蕭白の「雲龍図」はもちろん迫力ありました。
長谷川等伯の「龍虎図」もよかったです。
吉備大臣入唐絵巻のストリーもこんな面白かったのかと興味深く見ました。
どれもこれもほとんどが、元は日本のどこにあったのかは明記されてませんでした。
明治維新の神仏習合廃止や廃仏毀釈で多くの仏像や画が太平洋を渡りました。
大仙古墳から出土した、古代のガラスコップもボストンにあると聞いてます。
これは今回の展示にはありませんでしたが。
略奪ではないにしても、おそらく二束三文で国宝のような数々が日本を離れました。
文明開化という名目のもと、日本の精神と文化が解体していったのか…
と思うと、なんか、悲しくなります。
帰路、例のベルリンの壁を案内。
laぐうというレストランでランチして、
阿倍野再開発ぶりをざっと見学するも
ひたすらおしゃべりに没頭してました。
年を重ねて、ほんま欲しいもんなくなるなぁ〜って。
★「吉備大臣入唐絵巻」が海外に渡った経緯 Wikiページより
大正12年(1923年)酒井家の遺産分与のため東京美術倶楽部の売立に出され、大阪の古美術商18万8900円で落札。
直ぐに再び売りに出そうとしたが、関東大震災による不景気で買い手がつかず、古美術を広く海外に売っていた山中商会に斡旋を依頼する。
昭和7年(1932年)ボストン美術館東洋部長を務める富田幸次郎が来日して購入、ボストン美術館に所蔵されるに至った。
『吉備大臣入唐絵巻』の海外流出は、日本国民の憤激を買い、富田は「国賊」呼ばわりされた。
しかし、富田は正規の商取引を行ったに過ぎず、富田自身はこれに憤慨している。
問題だったは、国宝クラスの美術品の海外流出を食い止める事が出来なかった法整備の不備で、流出の翌年4月1日「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が作られ、美術品の国外流出を防ぐ処置が取られるようになった。