宿泊した長良川温泉の十八楼のロビーから、坪庭越しに長良川。
その庭に、芭蕉句碑がありました。
このあたり 目に見ゆるものは 皆涼し
宿到着が15時半ごろ。
予定では、17時にガイドさん案内で川原町散策出発。
鵜飼船に乗るために早め17時半に夕食。
その日が暮れる前のわずかな1時間半ほど、どこ行く~?
長良川に面していて、並びのすぐ隣に鵜飼船の乗船場。
金華山の端に、岐阜城が輝いてました。
ロープウェイはありますが、1時間半では厳しいと言われ断念。
向かった先は、次の記事で
奥の細道に出立する一年前、松尾芭蕉はこの長良川に滞在していました。
①このあたり 目に見ゆるものは 皆涼し
これは宿にあった。
②おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな
すぐ近いから散策帰りに見に行こうと思ったら時間なくなり、翌朝必死で探した。
北原白秋や川端康成などの石碑の間で、ひっそりと、何の立て看板もなく鎮まっていました。
篆刻も薄くなり、地元の人も関心がなければどこにあるのかしらないようでした。
十八楼の名前の由来は→十八楼物語
十八楼の記(読解)
美濃の国ながら川に望みて水楼あり、あるじを加島氏と云ふ、伊奈波山後にたかく、乱山西にかさなりてちかゝらず、また遠からず、田中の寺は杉の一村にかく れ、岸にそふ民家は竹のかこみの緑も深し、さらし布所々に引きはへて、右に渡し船うかぶ、里人の往かひしげく、魚村軒をならべて網を引き、釣をたるゝおの がさまざまも、たゞ此楼をもてなすに似たり、暮がたき夏の日もわするゝばかり、入日の影も月にかはりて、波にむすばるゝかがり火のかげもやゝちかうなり て、高欄のもとに鵜飼するなど、誠にめざましき見物なりけらし、かの瀟湘の八のながめ、西湖の十のさかひも、涼風一味のうちにおもひこめたり、若し此楼に 名をいはんとならば、十八楼ともいはまほしや
このあたり目に見ゆるものは皆涼し
十八楼の一階ロビー壁面に、芭蕉の「十八楼の記」が展示されてまして、川原町ガイドさんが一番最初に説明してくださった。