安居(やすい)神社 大阪市天王寺区逢阪1-3-24
祭神は少彦名神と菅原道真
小さな神社ですが話題いっぱいの天神さんでした。
境内図の中央少し下に大きな鳥居が描かれています。
その下に参道と書かれ、左側に安居ビル
これは最初の画像、安居天満宮の後ろに見えるビルです。
大丸デパートのセミナーハウスで、秘密会議とか行なわれてるんだって。
なんせ、この安居天神の氏子は大丸さんたった一軒だと聞きました。
へぇ〜そうなん? ほんまに?
ちょっと調べてみたら、
一心寺長老(高口 恭行 師)コラム 天神坂がヒット。
一心寺の北100mの所に「天王寺七坂」の一つ「天神坂」があります。
言うまでもなく、菅原道真公を祭る「安居天神」に面しているのでこう呼ばれているわけです。
…中略…
天神さんの「安井の森」が大坂夏の陣ですっかり荒廃していたのを
寛延3年(1750年)当時逢坂上ノ町に居住していた大丸呉服店(現・大丸百貨店)の初代主人下村彦右衛門が見かねて修復したといいますから、
その折に周囲の坂道も整備されたのではないかと私は思っております。
…略…
今日でもいわゆる氏子さんは大丸百貨店1社のみと伺っています。
近年、坂道がきれいになり、また安居神社では大坂の陣が戦われた5月7日あたりに甲冑(かっちゅう)装束の真田幸村祭典が行われるなど、訪れる人も多くなって結構なことです。
真田幸村の銅像は、撮影したつもりがうっかり削除してしまって無かった。
境内図では淡島大神と書かれてますから、少彦名を祀ってることを明記してます。
牛の石像もあります。
神社創建は聖徳太子が四天王寺を建てられた頃と伝わります。
四天王寺の僧侶がここで夏安居(げあんご:雨季の間に外出を控え寺院で修行に専念すること)することもあり、「安井」が「安居」になったという。
やがて時代が流れ、昌泰4年(901)菅原道真が太宰府に左遷された際、
河内の道明寺にいた伯母覚寿尼を訪ねて行く途中、ここへ立ち寄って安井(休憩)した。
道真に同情した村人がおこしを差し上げお礼にと菅原家の紋所「梅鉢」をもらった。
これが、今でも大阪名物の「粟おこし」の商標の梅鉢となったといわれている。
岩おこし(粟おこし)が大阪名物となる発祥がここにあったのだった。
安居天神社は、その道真の死後の天慶5年(942)道真の霊を祀るために村人たちが建てたもの。
神社の西側は急な階段参道です。
かつては海がココまできてたのでした。
茅渟の海(大阪湾)を遥かに見下ろす景勝の地でした。
ボランティアガイドのおばちゃんは、古代の大阪湾が描かれた地図を見せて説明してくださった。
古代、ここに四天王寺の安居院が建てられた際、天神と地神が祀られた。
その後『天神』が「道真公の天神さん」と混合されて菅原道真公が祀られるようになった。
あちこちの天神さんにも、そういうことあるのでしょう。
私も少彦名の神様って、ほんの数年前まで全く存じ上げませんでした。