先週、天王寺七坂をボランティアガイドさんに案内してもらった時の話です。
その1回目は、天王寺公園東側にある統国寺からご紹介します。
早よ書かんと、どんどん忘れてしまうから。
この写真でわかるでしょうか、このあたりは有名なラブホ街です。
なぜ大阪市の天王寺公園すぐ脇でいりくんだ土地がこんなことになってるのか不思議です。
難波も梅田も同じで、戦争で焼け野原となり戦後のどさくさで不法占拠か
と、思っている大阪府民は多いことでしょう。
右手の立派な門構えは、「阪口楼」という普茶料理の料亭です。
格式も高いですが、お値段も立派です。
ボランティアガイドさんの辛口トークの第二弾がこの値段でした。
最初に言われたのは、天王寺公園の純日本回遊庭園・慶沢園のこと。
「住友家が大阪市に寄付したのに、どこぞの市長さんは売りに出すと言うたはる。
そんなことするんやったら返せと、住友はん、言わはりまっせ」
日産リーフ充電中も境内の中ということは、お寺の車でしょう。
10−59 とうごく 統国寺 ぴったりやん!
先だって、朝鮮総連の中央本部の土地建物を、最福寺の池口恵観和尚が落札されたのでした。
朝鮮総連系ってお金の流れどうなってるんでしょうね。
右角曲がってすぐにありました、ベルリンの壁!
大阪にこんなのがあるなんて、全く知りませんでした。
国家分断という同じ歴史を辿る朝鮮半島の統一の思いをこめて寄贈されたのでしょうか。
お堂を覗いてみると、やはり中は日本の寺院ではないでした。
裏に廻ると、目の前に茶臼山と河底池、そして通天閣がみえます。
振り返ると、お堂越しにあべのハルカス
一等地です。
お隣の阪口楼の庭も手入れが行き届いています。
かつては、老舗料亭として超有名な場で、日本の政治経済界の夜の社交場であったそうです。
今ではラブホに囲まれて、お気の毒としかいいようがない…。
なんでこんなことになってしまったか。
もとはここには、聖徳太子が建立した和気山邦福寺があったそう。
入口に「百済古念仏寺」の石碑が建立されてるのは、百済の観勒という僧を602年に招かれたことによります。
設立当初の宗は玄奘三蔵ゆかりの法相宗でした。
その後、大阪の役で焼けたあと、黄檗宗の僧を招いて再建されました。
黄檗宗ならではの中華風の建築が残り、貴重な文化遺産になっています。
ところが、時は昭和44年(1969年)エキスポ70の1年前やわ。
朝鮮総連系仏教団体・在日本朝鮮仏教徒協会が買収し統国寺と改称されたのですって。
大阪は日本で最も多くの在日朝鮮人が住んでいるので参拝者が絶えない、のだそうです。
「なぜ無神論のマルクス主義を奉ずるとされる、北朝鮮政府の出先機関が仏教団体を組織しているのかは謎である」
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