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不思議だなと思う心間違い探しが苦にならないこれがものの鑑定に役立ちます

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  • 05/28/13--17:56: 巣作り、いろいろ
  • まだ6月に入ってないのに、今日大阪は梅雨入りしたそうです。

    ツバメはたぶん晩春の季語だと思いますが、
    5月18日のウォーキングでは奈良の上つ道でツバメの巣を何度か見かけました。

    初瀬街道を歩いている時に見かけたのが上の画像。
    とあるお家の玄関先に、キラキラビニール紐の先に洗濯ばさみが多数ぶら下がってました。

    ツバメに巣を作って欲しくないためかとお見受けしました。
    確かに玄関先に糞いっぱい落とされるのもつらいかも。


    わりなしや燕巣つくる塔の前  蕪村
    というのもありますね。


    去年暮れ、NHKの ダーウィンが来たという番組でミサゴの子育てを見ました。


    2012年春、島根県松江市の鉄塔の上にミサゴのつがいが巣を作り始めた。
    運よく、NHKロボットカメラ(災害などに備えて高所に取り付けられた無人カメラ)のまん前。
    巣とカメラの距離2mで奇跡的なシチュエーションを活かし、NHK松江放送局がミサゴに完全密着。




    「タカの仲間の鳥・ミサゴ。2012年の春。
    巣作りからヒナの巣立ちまでをカメラで追い続けました。
    卵からヒナが生まれ出る瞬間や、オスが捕まえてきた魚をメスがヒナたちに与える様子など、至近距離だからこそ撮影できたお宝映像が目白押し」

    詳しくは→こちら


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    第63回の総代会に初めて出席しました。
    昭和33年に、大阪で1786あった質屋は
    今春261店までに激変しました。

    この先の展望はいかに?

    懇親会でたまたま隣合わせた、業界大手の長老は
    生き残ったということを心にとめて
    頑張るしかないやろ、今さらやめられへん。

    なんともポジティブシンキングなせいかオーラたってた。
    とても後期高齢者にはみえないダンディでした。
    気おくれしてコッソリ撮影もできなかった。

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  • 05/30/13--18:55: スムージーの効果
  • ダイエットのためにスムージー飲まれてるYoshieさん
    健康家族のために毎朝工夫したスムージー作られてるくるみのママさん
    ご近所でもスムージー飲んでる方よくおられます。

    私もバナナをスライスして凍らせたのを混ぜたりもしました。
    しかし材料次第で味も違うし、いろいろ準備するのも結構面倒なもの。

    ちなみに、スムージー(Smoothie)とは、
    凍らせた果物又は野菜等を使ったシャーベット状の飲み物のこと。


    先だって、ドラッグストアでスムージーの粉末を見つけました。

    4袋入りトライアルセット980円を購入。
    1杯あたり250円近くはちょっと割高だとは思えましたが…。

    冷たい水、牛乳、そして炭酸水と3種類で割り試してみました。
    牛乳割りは水割よりもドロドロ感がまします。
    炭酸水で割ると、大塚製薬のファイブミニみたいな甘さでいけてます。
    これなら続けれそう。

    コラーゲンの効果はわからないけれど、食物繊維が多くてお通じにいいのは体感できました。


    今日はイオンの20日30日5%OFFだったので、大袋1980円を買ってきました。
    これなら付属のスプーンで、水100ml、200mlに対応した量が量れて自分流に調節できるから。

    野菜とフルーツが34種類。
    最近のフリーズドドライ製法はすごいし、大手の会社が工夫して作られたものだしね。
    何の宣伝料ももらってないけど…



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  • 06/01/13--05:24: おしべいっばいの花



  • 0 0

    吉備大臣入唐絵巻のストーリーが予想外に面白かったと書きました。
    そのまま心に留め置くつもりでしたが、
    阿倍仲麻呂、野馬台詩、長谷観音が気になって調べているうちに、やはり紹介しておこうと思います。


    奈良時代 遣唐使になった吉備真備(きびのまきび)(695〜775)が主人公です。
    同じく遣唐使で唐に渡り、現地で客死した阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)の霊(幽鬼)の助けを借りて、
    唐人から出された難題に立ち向かい見事に勝利するというフィクションの数々が描かれています。

    詳しくはこちらで→ボストン美術館 日本美術の至宝特別展



    吉備大臣が唐にわたるも、皇帝に才能を警戒されスパイかもと案内されたところは高い楼閣。
    鬼が出没して生きて出るものは居ないという場所。
    やはり、真夜中、雨風が強くなった頃に一人の鬼が現れる。

    正体は同じく唐に渡るも帰国せずにとどまった阿倍仲麻呂の霊であった。
    (吉備は遣唐使として2回唐に渡っているので、その2回目という設定?)

    翌日、使者たちが楼閣を見に行くが吉備大臣が健在なことに驚く。

    唐人は真備を試すため、難しい『文選[もんぜん]』の解読や、囲碁の勝負を持ちかけるが、
    この幽鬼の助けによりこれらをことごとく退けていきます。


    仲麻呂の幽鬼と真備が飛行自在の術で宮廷へ向かう場面
    正座で空飛ぶのもおもしろいけど、案内する仲麻呂は赤鬼さんなので顔が赤く塗られてる。


    真備が聞く耳をたて仲麻呂はその後ろで柱に身をかくし見張っている場面
    表情は笑えて、日本のアニメの原点のように思えます。

    碁の名人と試合をさせられるも、
    碁を知らない吉備大臣は幽鬼から手ほどきを受け、天井を碁盤に見立てて策を練る。
    名人と初心者である吉備大臣との対局がはじまる。



    吉備大臣が碁石を口に一つ含んでいるシーン


    吉備が辛勝して納得のいかない名人側が碁石を数えると一つ足りないことに気づく。
    そこで占い師に調べさせると「吉備大臣が一つ飲み込んだ」という。

    唐人たちは吉備大臣に下剤を飲ませ、排泄物の中まで碁石を探すが、
    吉備大臣は超能力で内臓内に石をとどめて難を逃れた。

    このシーンの絵も面白いです。
    あまりの臭さに鼻に指を突っ込んでいます。



    そして最後の難問は「野馬台詩」解読。
    流石の真備も文字列がばらばらなこの詩を解読できず途方にくれます。
    長谷観音・住吉神に祈りを捧げたところ、
    天から蜘蛛が降りてきて詩の上で糸を吐いて歩き回わる。
    その糸を辿って読むと無事解読できて、めでたしめでたし!
    観音様から使わされた蜘蛛の糸が真備を救ったというお話でした。

    こうして難題を無事解決した吉備大臣は、
    日本に「文選」や「囲碁」「野馬台詩」を持ち帰ることができたという。



    京都の黒谷金戒光明寺では吉備観音像(重文)も拝観できます。
    真備が唐より持ち帰った栴檀香木で、行基菩薩に頼み観音さまを刻んでもらいました。
    この縁起によりこの観音さまを吉備真備に因み『吉備観音』と呼ばれます。
    囲碁の白黒にちなんだおもしろい御守りも賜ることができます。



    野馬台詩って何?
    なぜ、長谷観音・住吉神に祈ったの?
    長谷観音とはいったい…?


    野馬台詩(やばたいし、やまたいし)とは、わずか十数行120文字の予言詩
    9世紀初頭に中国より伝来,近世・近代に及ぶまで、さまざまな解釈を加えられ未来記として読まれ続けられた。
    詳しくは、野馬台詩と蜘蛛の糸などでご検索下さい。
    いろいろヒットして、へぇ〜です。

    長谷観音については項をあらためます。


    実家には、古い掛け軸がありました。
    子供心に気になって、おばあちゃんになんて書いてあるのか尋ねたら

    天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも

    わずか小学生の頃になぜか阿倍仲麻呂さんが身近な存在だったのです。
    去年、実家を片付けたときに見つけたので処分前に撮影しておきました。




    阿倍仲麻呂が遣唐留学生として真備らとともに入唐したのは
    平城遷都から間もない養老元年(717年)のこと。
    仲麻呂はまだ19歳でした。

    その後真備と玄ぼうは帰国しますが、仲麻呂は唐にとどまりました。
    楊貴妃でおなじみの玄宗皇帝が仲麻呂の才能を愛して手放さなかったからだといわれます。

    仲麻呂は官僚試験に合格して玄宗に仕え、李白や王維などの文人とも交流がありました。
    仲麻呂が30年以上滞在した唐から日本に戻ることになったとき、
    帰国を惜しんだ王維たちが送別の宴をひらきました。

    その際に詠まれたと伝えられるのが百人一首のこの歌。


    天の原 ふりさけみれば 春日なる
    三笠の山に いでし月かも


    空を仰ぎ見ると月が出ているが
    あれはかつて春日の三笠山に出ていた月なのだなあ


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    一人でも行こうと思ってたけど、
    Aさんが同行してくださった。
    お天気にも恵まれ、いい旅でした。



    二日め最後の行程は、日御碕灯台でした。

    美保の岬は初日、
    エビスダイコク両参り、詳細は追って。

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    5月最後の日曜日は少林寺拳法に大阪大会でした。
    これに優勝すれば今夏大阪で開催される世界大会に出場できる!

    老体に鞭打って、まぁまぁ稽古しました。
    道志がPicasaウェブアルバムに画像アップしてくれたので頂戴しました。
    いい結果はだせなかったけど、記憶のよすがとして残しておきます。




    大会出場前に腹ごしらえしてるときに写してもらいました。
    左腕に青あざできてます。
    飛び2連蹴りの高蹴りとか受けると腕にアザできます。
    この画像ではあまり飛べてないけど、練習ではスゴカッタんです。







    想定外の失敗とかあって残念な結果で終わりました。
    しかし打ち上げは楽しいよ〜






    終了後はあざが大きくなってた。

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    今まで神社で朱印もらったことなかったのですが、今回は記念にいただいてきました。
    四国88箇所や西国33箇所で賜ったお寺の朱印に比べると、
    失礼ながら、字、ちょっと下手かも…。

    ツアー参加者44名中、5,6人は神社の朱印帳をお持ちでちょっと驚き。
    なんともマニアックな神社フリークのツアーでした。


    「出雲大社平成の大遷宮」の旅は、個人で行くなら高速バスもあります。
    梅田から出雲まで往復で10,150円ですが、そこからの移動が大変。





    いろいろ調べていて、お手頃価格で神社めぐりのツアーを見つけました。
    神社フリークの選んだツアーは

    6/3(月)8:00梅田出発→境港で自由昼食→美保関灯台→美保神社→大山ロイヤルホテル
    6/4(火)8:00ホテル出発→出雲大社一の鳥居「宇迦橋」「神門通り」石見神楽見学
    →11:00大社昇殿参拝後境内案内、自由昼食→日御碕神社→日御碕灯台

    ツアーにありがちな土産物店立ち寄りも全くありませんでした。
    島根半島の端から端へ移動するにはツアーバスが最適でした。

    コストパフォーマンスを重要視するタイプなのでご報告しときます。
    ツアー代金13,980円、自由昼食1日目800円、2日目680円
    ホテル夕食時ビール中ジョッキ750円、帰路のバス車中夕食弁当1,000円
    ということで2万円以内で納まりました^^


    バスは満車44名の参加で、男女比は確認しませんでしたが、
    添乗員さんも男性の参加者が多いと話されてました。
    ご夫婦連れのほかに、男性だけのグループや一人参加も見かけました。



    出雲国神仏霊場巡拝のロゴマークです。
    宍道湖中湖をめぐる8の字に、赤が神社、青が寺で20箇所あります。
    出雲の国に古より残る、人と人とのご縁を尊ぶ心、和の心の大切さ
    無限大の広がりを願っているそうです。


    2008年8月8日に出雲大社の本殿昇殿参拝ご縁で、遷宮年にご挨拶行きたいと思ってました。
    私の生まれた昭和28年の遷宮以来60年ぶりで、なんかこれもまたご縁。

    たまたまあの時同じく出雲大社境内に居られたいやさかの木さん、
    ブログを通じたご縁も、出雲のご縁です。

    そのときの記録は→2008年8月8日、9日、10日と続きます。

    今回ぜひ参拝したいと思ったコトシロヌシの美保神社。
    日の沈む宮、日御碕神社。
    ネット検索で得られる情報とは違った私目線でレポートしていきます。


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    境港で1時間半ほどの自由時間に散策と昼食タイムです。

    バスの駐車場すぐ前が海で、隠岐へ向かうフェリーの発着場がありました。
    それに並んで境海上保安部の巡視船基地で船が停泊してました。


    竹島とかに行く船なんだろうかと念のために、海上保安庁のサイトを確認。



    「境海上保安部の担任水域は、隠岐諸島及び島根県出雲市から鳥取県までの海岸線とその沖合海域です。
    海域内に竹島が存在すること、
    対岸に北朝鮮が存在すること及び隠岐諸島周辺を中心とした海域が好漁場であることから、
    主要業務として北朝鮮及び韓国籍船舶等の監視警戒、
    外国漁船の監視取締り等いわゆる領海警備を行っています。
    また密航、密輸対策に取り組んでいます。」

    外務省のサイトの地図で確認すると



    竹島が島根県に編入されたのは1905年と書かれてありました。

    ついでにちょっと調べてみると、
    竹島は、シベリア沖を南下するリマン海流と、朝鮮海峡を北上する対馬海流のほぼ合流点にあります。
    寒流と暖流とが衝突するところは、魚群の宝庫!
    さらに竹島は世界でも珍しいアシカの群生地だそうです。
    そのアシカを捕獲するために、1905年に島根県に編入されたようです。






    境港は、水木しげるさんの生誕地。
    なまけものになりなさい
    水木しげるさんが好んで色紙に書かれた言葉らしい。
    なんか意味深。

    鬼太郎ロードは月曜ということもあり、
    ゲゲゲの女房も終わって久しいので閑散としてました。








    突き当たりが境港駅です。
    電車車両側面に鬼太郎のペイント施されてました。
    街灯も目玉おやじになってます。



    生粉打ちのおろしそばは800円とお手頃価格、美味しかったです。

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  • 06/07/13--16:30: 地蔵岬の美保関灯台
  • このたび参加したJTB旅物語のツアータイトルは
    「出雲大社昇殿参拝と出雲二大岬2日間」
    島根半島の東と西端に位置する珍しい灯台の見学も大きな目的になってました。



    境港より橋を渡り海岸線沿いにしばらく走ると男女岩が見えます。
    つづいて美保神社鳥居を過ぎて、地蔵崎に到着します。




    画像には写ってませんが、肉眼では大山がはっきり見えました。


    島根半島最東端に位置する地蔵岬の先端にあるのが美保関灯台。
    明治31年にフランス人技師の設計で建てられた山陰最古の石造りの灯台です。
    白い円筒形の造りは当時のままで、世界百選の一つに選ばれてます。



    隣の赤い屋根は灯台守の宿舎だったもので、現在は「灯台ビュッフェ」になっています。










    美保関灯台裏手に佇む鳥居に本殿はなく、鳥居の先は日本海がびょうびょうと広がっています。
    ずっと先に小さな白いものが見えるのですが…

    真下には小さな岩島が「地の御前」で、4km先の小さな白い点が「沖の御前」
    『出雲国風土記』には「土島」「等々島(とどしま)」と記されているそうです。



    「地の御前」「沖の御前」は事代主神がタイを釣っていた場所で、美保神社の飛地境内社です。

    『国譲りの神話』では、美保関で魚を釣っていた事代主神が海中に身を隠した場所と伝わります。
    沖の御前島の海底には、神楽の音のような響きがあり神異奇端の島なんだそうです。
    なんとこの島近辺で採取された丸い大きな岩が美保神社で祀られていました。
    次の記事で画像をご覧いただきます。


    釣りのサイトによれば、
    「岬の目の前にある地の御前島は、チヌ、スズキの半島一の釣り場。
    しかし、危険を伴うので波に注意したい。
    また沖の御前島も超一級の釣り場だが、よほどナギのときでないと危険。
    島の足元から深く、マダイ、クロアイ、イシダイと魚種が豊富だ。
    昔から美保関は海難事故が多く、お地蔵さんが安全祈願のために奉納されていた。
    そのため中世以降から、お地蔵さまがある岬として「地蔵岬」と呼ばれるようになったらしい。」

    鳥居の先に見える遥か水平線を望む美しい景色に、
    神話と信仰とが重なった不思議な力に心惹かれました。

    沖の御前の鳥居と標識の画像をネット検索により拝借↓



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    イサキとエビのなんとか。
    本日の魚料理、美味しかった(*^^*)

    写真お控え下さいって注意されました。
    ネット掲載ダメとはいわれなかったので^ ^
    デザートも素晴らしかったけど画像ありません。

    先だって記事にしたことあるラグーのすぐ近く。
    帝塚山大学と近大病院の間くらい
    大阪狭山市西山台のビストロ ル ソレイユ

    その頃、妹夫は庭に井戸掘ってました。




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    不思議な光の入り方をした写真になってました (*_*)v
    島根半島東端の美保関にある美保神社の神門前で撮影しました。



    勘違いの始まりは去年のクリスマスイブイブ、天皇誕生日12月23日だった。
    その時の記録は ことしろぬしに呼ばれた〜?

    たまたま神域の扉が開いていたために、するする〜っと中に侵入してしまった。
    神様の方からすれば何とケシカランやつでしょう。

    奈良は御所市の鴨都波神社の神様積羽八重事代主命に呼ばれたと思い込んでしまった。

    そして今年5月、出雲大社が60年ぶり大遷宮で、出雲行くなら美保神社にも是非参拝したいと。
    ことしろぬしさんにご挨拶して、フィールド調査もしたいと。




    手水舎右手の階段上にもまぁ〜るい光の玉が見えます。



    鳥居から続く参道より階段上がると左に折れて神門があります。


    右下の青い光の先にピンクのハート扇形にも見えます。
    ようお越しと出迎えてくださった…と思うことにしましょう。


    拝殿で参拝していると、ふっと魚臭いにおいが一瞬鼻をかすめた。
    わぁ〜ことしろぬっさんやぁ〜と勝手に思い込んでました。
    だってえべっさんは鯛をだいておられますから。

    参拝後、記念に美保神社の朱印賜りました。
    とても端正できれいな女性的な字だと思いました。





    拝殿後ろに、大社造の二殿連棟の本殿が並んでいます。
    美保造又は比翼大社造等といわれる特殊な形式で国の重要文化財です。


    屋根の上の千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)形で男神か女神かがわかります。
    祭神が男神の社は千木を外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)に、
    女神の社は内削ぎ(水平に削る)になっています。
    また鰹木の数は、奇数は陽数・偶数は陰数とされ、それぞれ男神・女神の社に見られます。


    神主さんから説明を受けました。

    このとき境内右手側に何か不思議な囲いがあり、なんか気になる…








    説明を終えた神主さんにあの丸い磐は何ですかと尋ねましたところ、
    「沖の御前」で漁師が変わったものを見つけたと奉納したと言われました。
    あの灯台の裏にある鳥居先に見えた小さな島近辺で見つかったようです。
    不思議だということで、ココで祀り、なでると子宝に恵まれるそうです。




    美保神社は、右殿に事代主命、左殿に三穂津姫命を祀られています。
    神社神道においては、古来よりつねに左座をもつて尊しとされ、
    左殿の方を一ノ御前と呼び、右殿の方をニノ御前と呼ばれます。

    つまり左殿の一ノ御前、三穂津姫命の方を主体とし、併せて事代主命を祀っていたそうです。
    ところが、この社の祭神に関してはもつと根本的な問題があると、いっきさんから教えてもらいました。

    事代主命・三穂津姫命といふ神名が出雲国風土記にはどこにも記されていない。
    そして美保郷の地名の由来となった郷の祖神たる美保須須美命を祭神とするものであつたようです。
    それが中世のいつごろからか三穂津姫命・事代主命の両神にとつて代わられたとか。

    なんか不思議な温かいものを感じて、美保神社を後にしました。
    さよなら、ことしろぬし、そしてみほつひめ






    国譲り神話の舞台となった島根半島東端の地、美保関。
    ここには美保神社を中心に、境外末社六社あるそうです。


    「客人社(まろうとしゃ)」大国主命(おおくにぬしのみこと)…出雲国を統合した大神

    「天王社(てんのうしゃ)」三穂津姫命(みほつひめのみこと)…美保神社の主祭神の一人で大国主命のお后の一人

    「地主社(じぬししゃ)」御穂須須美命(みほすすみのみこと)…美保関の産土神様(生まれた土地の守り神)でミホの地名のルーツとされる

    「客社(きゃくしゃ)」建御名方神(たけみなかたのかみ)…事代主神の義理の弟神で武勇のルーツの神様

    「久具谷社(くぐたにしゃ)」多邇具久命(たにぐくのみこと)…ヒキガエルのお姿

    「糺社(ただすしゃ)」久延毘古命(くえびこのみこと)…歩くことはできない「かかし」のお姿なれど風の便りを聞いているうちに広く天地のことを知るようになった神様




    事代主と申す御神名は事知主の義であって、
    すべて世の中に生起するあらゆる事を伝え知しめして、
    是非曲直を判じ邪を避け正に就かしめられる事の大元を掌り給う意味で、
    大神は実に叡智の本躰、誠(真言、真事)の守神と拝し奉る。 
    又大神を明神様・ゑびす様と申上げ、
    釣樟を手にし鯛を抱かれた福徳円満の神影を描いて敬い、漁業の祖神、海上の守護神と仰ぎ、
    水産海運の御霊験の広いことはあまねく知られて居る通りである。


    0 0

    昭和時代には、表日本、裏日本って習ったから、
    なんとなく日本海側は裏側で開発が進んでないように思ってた。

    しかし古代より大陸に近い日本海側は海運業でも栄えていたのですね。
    初詣にいった小浜しかり。
    この美保関も、江戸時代には北前船の要港として栄えました。
    参道としてもにぎわった青石畳通りは、美保神社鳥居右横から始まります。



    美保神社から仏谷寺に至る道は、
    雨に濡れると青くひかる石が敷き詰められています。
    海辺の石を切り取り、通りに敷き詰めたのは江戸時代中頃。
    3m程度の幅で、長さが約200mが石で覆われるまでに百年ほど要したらしい。


    今はだいぶひなびてます。
    大正時代のレトロな建物が残っています。
    与謝野鉄幹・晶子夫妻、高浜虚子、西条八十など文豪も多く訪れた由緒正しい旅館、旧家、酒蔵、お店など。





    ゲゲゲ、ムカデやぁ〜
    裏返って死んでるけど、ムカデって毘沙門天の眷属ですよね。









    烏賊の味 忘れで帰る 美保の関  高浜虚子



    海上はるかに、大山が見えます。


    0 0

    出雲大社の神楽殿前の国旗を写したら、日輪も写ってた (*^^)v
    国旗掲揚塔の高さは日本一で47メートルあります。
    現在の出雲大社の本殿は高さ24mですが、
    江戸時代の1744年に建てかえる前は48mだったことから、1m低く設定されたそうです。

    おおやしろ【大社】といえば、出雲大社のこと。
    神宮といえば伊勢、
    週末はまた伊勢ウォークで、長谷から墨坂、高井まで歩きます。
    忘れないうちに、出雲大社のこと書いてしまいます。

    今回の出雲参拝はガイドさんが案内してくださったので、いろいろ知ることができました。

    出雲大社の遷宮 総事業費は約80億円だそうです。
    それに比べて、神宮の遷宮ではその費用、なんと約570億円!





    朝8時に大山ロイヤルホテルを出発し、約1時間半で出雲到着。
    バス下車した道の駅の広場には出雲阿国の像がありました。

    参詣道の入口に建つ一の鳥居「宇迦橋」から歩き始めます。


    神門通り



    「勢溜の二の鳥居」から神域です。

    振り返ってみると、この地が高くなってるのがよくわかります。






    参道はどんどん下がっていく、下り参道です。
    ふつう、神社はたいてい見上げる高いところに本殿あります。
    社殿が鳥居より下にある「下り宮」と言われる珍しい配置です。

    ちなみに、日本三大下り宮は
    鵜戸神宮(宮崎市日南市)、貫前神社(群馬県富岡市)、草部吉見神社(熊本県阿蘇郡高森町)
    出雲大社はこの3大に選ばれてないのですね。



    松の参道が始まる、三の鳥居は鉄でできています。
    2008年8月8日に参拝した時は、この鳥居から歩きました。
    だから下り参道には気がつかなかった。

    奉祝行事として、左側テントではお茶会してました。
    右側テントで石見神楽を少しだけ見学。
    6月4日は、浜田市の細谷社中が奉納してました。





    いよいよ四の鳥居「銅の鳥居」
    1580年毛利氏によって寄造されました。




    この時代は大国主命ではなくて、素戔男尊(スサノオ)が祭神だと彫られてあります。


    団体で昇殿参拝する予約時間のために、先に神楽殿へ。






    0 0

    お年頃になった時分、40年ほど前の話ですが、すでに出雲は縁結びの神様だと知ってました。
    だからといってお願いに参詣したわけでもないけど。

    それから月日は流れ、やっと2008年になって出雲行くチャンス到来。
    旅パンフとか「縁結び」だらけ、なんでだろうと思ってました。

    元禄時代に書かれた井原西鶴の「世間胸算用」に
    「出雲は仲人の神」と書かれているのが一番古い文献だそうです。


    今回の出雲大社参詣ではガイドさんが付いてくださった。
    本殿に祀られた大国主命は西向きに鎮座されてるので、本殿西側の遥拝所から案内されました。



    ちょうどその反対側、本殿をとりまく瑞垣外の東西に同じ形の「十九社」があります。
    全国の八百万の神々がこの出雲に参集されたときの神様の宿舎だそうです。




    たまたま神社関係のお二人は何されるのでしょう?

    神無月に全国的に留守番の神様以外はこの出雲に来られるので、
    逆に出雲は神在月となります。

    神々は人の名前が書かれた札を互いに見せ合いその「縁」を結んでいく。
    これが縁結び。
    結ぶのは男女の縁ばかりではなく、仕事の縁、農作物と天候の縁、…
    一週間がかりの大仕事なんだそうです。


       歌川国久:出雲国大社之図


    大国大神が、天照大神に国譲りをした際、
    「幽れたる神事を治めましょう」と言ったことが始まりだそうです。
    幽れたる神事とは、目に見えない「縁」を結ぶことで、
    世の中すべてのものが幸せであるように縁が結ばれると解釈されているため、
    この場所が良縁にご利益ありと伝えられるようになったようです。


    本殿裏に廻ると、


    そのお社背後で見守るように、素鵞社


    大国主大神の父神である素鵞鳴尊(スサノオノミコト)が祀られています。
    鎌倉時代から江戸時代初期までは出雲大社の祭神で、1667年に本殿から奉遷されました。

    本殿東側の東側の「十九社」を通り過ぎ、いよいよ本殿正面


    瑞垣のすき間から覗いてみると


    なんか工事関係者が…
    その奥に、玉垣に囲まれた本殿が見えます。
    2008年には遷宮に向けて大国主命が仮殿に移られて、本殿に神様居られないので昇殿見学できました。

    なんせ80億円しか遷宮費用がないので、伊勢のように全部建て替えはできません。
    本殿の屋根等の大改修だけでおわります。


    そしてこの旅の昇殿参拝は、神楽殿で行なわれました。






    予約した時間に、各団体は靴を脱いで上に上がります。
    お寺さんの和袈裟のような紙が配布され首からかけて儀式にのぞみました。
    参拝が終わったら、小さな肌身御守りも賜りました。



    神楽殿の正面破風下に張られた大注連縄は超有名ですね。
    長さ13m、周囲9m、重さ5トン!

    荒垣外に位置する神楽殿では婚礼なども執り行われています。
    明治12年の出雲大社教創始の際に、本殿とは別に大国主大神を祀ったことに由来します。

    出雲大社教とは?
    次回、出雲教に続きます。
     

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  • 06/15/13--15:42: カポックの花が(T_T)


  • 昨日まで超暑くて、梅雨らしい雨やなかった。
    我が家ではお天気の異常がカポックに出現!
    かつてないほど異常な花ざかりです。



    お隣さんとのわずかな隙間に植わってるので、
    だから隣敷地内にはみ出さないよう常に剪定してるのに。

    さて、今日の天気は、全国的に突然雷雨に急変するらしいです。

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    昨日は伊勢ウォークで、約16km、25,000歩ほど歩いてきました。
    あんなに暑かった夏日がウソのように朝から曇り、所により雷雨の天気予報。
    おかげさまで熱中症にならずに歩けました。

    長谷寺の駐車場から歩き始め、榛原こどもの森公園でお弁当。
    雨が降り出したのは午後2時過ぎてからでなんとか折畳み傘でしのげました。

    ゴール地点は「高井の千本杉」は屋久島の杉に匹敵するぐらいど迫力だった。
    しかし、雨であまりいい写真撮れなくて残念。



    伊勢本街道沿いにある巨大な大杉「高井の千本杉」は
    融合したと思われる16本の杉が堂々と天高く伸びて迫力ありました。
    幹周については測定方法で諸説がありますが、
    環境省DBによれば、幹周25m 樹高45m 樹齢約700年。

    空海が室生山へ登った際にこの場所で弁当を食べ、箸を地にさしたところ生育したという逸話があり、地元では霊木としてあがめられています。
    また、水を求めて井戸を掘り、その周りに杉を植えて自然に水を集める作用を杉に託したことから日本最古の井戸杉ともいわれています。
    今でも千本杉のすぐそばには湧き水があります。

    以下、スマホ撮影画像より







    鳥居とお社「千杉白龍大神」

    大樹に神が宿るって、ここでも実感しました。

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    出雲行ったら蕎麦食べようと思ってました。
    そばの実を皮ごと石臼で挽くため色は黒く見え香りが強いのが特徴です。
    ちなみに更科蕎麦は、そばの中心部分だけを挽いてあるので色が白い。

    1時間半の自由昼食時間に蕎麦屋さんを探しました。
    どこも満員で並んでました。
    やっとのこと田中屋さんで釜揚げ680円、超美味しかったです。

    茹でたての蕎麦をゆで汁ごと鍋から器にそのまま入れるから、ビタミンミネラルたっぷり。
    そばの風味も充分味わえ大満足。




    境内案内終了後、自由昼食のため解散となり1時間半ほどありました。
    どこ行く〜?



    銅の鳥居より向かって左に行くと、神楽殿、千家国造家、バスの駐車場がありそこが集合場所です。

    反対側の右側に行ってみることにしました。
    なんか人の気配少なく蕎麦屋さんも空いてそうだったから。


    東側の小さな門をでて吉野川を渡ると、びっくりするぐらい閑静でした。









    北島国造家、出雲教と書かれてあります。



    まだ6月初旬でしたが、すでに茅輪くぐりが設置されてました。


    出雲教茅の輪守も賜ってきました。


    家に帰ってからじっくり地図や案内図見てたら、
    吉野川の小橋渡ってすぐに、四脚門があったようですが見落としました。
    出雲大社関連の現存する建造物の中で最古らしい。

    北島国造家よりさらに200m行ったら、命主社、ここもお参りしなかった。
    天地万物の生り出る大本(命)を司る神様で、大国主命を常にお守りになり
    八十神に謀られたときも蘇りを助けかれたそうです。
    お社の前に樹齢1000年といわれる椋の木があるらしい。

    このときは暑いし、蕎麦屋さん探すので頭いっぱいだったから…。
    残念、次出雲いくチャンスあれば必ず!



    いっきさんに、国旗写した時の日輪画像ともに画像見てもらったら
    「出雲大社拝殿裏の雲の流れはまさにオルゴン流を彷彿とさせます」
    といってもらえました。






    出雲大社の神紋は、二重亀甲に剣花角紋



    出雲大社
    島根県出雲市大社町杵築東195


    出雲国風土記には、諸皇神達がこの大社(現出雲大社)をキヅき給うたので「キヅキ」と称するようになったと伝えている。
    そして神亀三年(726)に社名の示す「杵築」に字を攻めたという。 
    以来、この大社を「杵築大社」と称するようになった。
    1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。
    大正14年4月1日、町村合併して大社町となった。 
    以来「杵築大社」より「出雲大社」としての一般的な呼称が広く使用されるようになった。
    「出雲大社」は、正しくは「イズモオホヤシロ」と訓むべきである。


    社家通りにある出雲教  
    出雲市大社町杵築東194

    出雲国造は初代・天穂日命(あめのほひのみこと)から始まり、
    17代のときに出雲の姓を受けてから55代まで出雲氏が受け継いできた。
    56代のときに後継者問題があり、「千家」と「北島」に分かれ平等に職務を分担した。
    しかし、明治15年の神官教導職兼帯が禁じられ北島家は「出雲北島教会」を設立。
    その後、明治18年に「神道出雲教」と改め、昭和27年に宗教法人「出雲教」を設立した。

    千家家のほうは、出雲大社教(いずもおおやしろきょう)

    詳しくは、出雲大社・紫野教会でよくわかりました→こちら


    堺市初芝駅ちかく日置荘にある出雲大社の大阪分詞は
    昭和23年出雲大社より分祀してますが、
    その2年前、昭和21年に愛宕神社と命名して創建、主祭神火之迦具土神でした。
    昭和33年 出雲大社大阪分祠に昇格。

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    今年春4月、GUCCI(グッチ)がRICHARD GINORI(リチャードジノリ)救済というニュース見ました。
    そのうちリチャードジノリの食器入荷したらブログ投稿しようと待ちかねてました。
    やっとやってきました!



    オリエントエクスプレスというシリーズは、
    オリエント急行の車内で使用されている食器です。
    ブルーの車体と同じ色のデザインに「VSOE」のエンブレムがアレンジされています。


    オリエント急行の正式名称Venice Simplon-Orient-Express(ヴェニス・シンブロン・オリエント・エキスプレス)



    1735年にフィレンツェで創業したリチャードジノリ1735は、
    多額の負債に加えて金融危機による経営の悪化を理由に、
    2013年1月にフィレンツェ裁判所よって破産宣告を受けました。



    グッチによる再生計画の受理と買収金額1300万ユーロ(約16億6,000万円)が4月末に決まったのでした。

    280年も続いたイタリア高級磁器ブランドの破綻。
    かつてウェッジウッドが破綻した時もブログで取り上げました。
    2009-01-06

    その後、例えばピーターラビットシリーズなどは、
    日本メーカーも作るようになりお求め安い価格になりました。

    さてリチャードジノリはどのようになるのでしょう。
    買収したのがグッチなので、今後の展開楽しみです。


    リチャードジノリの代表作
    ベッキオホワイト:ジノリ最古の代表作であり不変の定番
    イタリアンフルーツ:1760年頃にトスカーナのとある貴族の為に造られた不朽の名作
    アンティックローズ:ルネサンス期の銀器の形をモデルとしたロマネスクな逸品
    オリエントエクスプレス;オリエント急行の車内で使用されている食器


    今回楽オクショップに、オリエントエクスプレスシリーズ2点を出品しました。
    ティーカップ&ソーサー1客  20cmプレート 

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    めっちゃこわがりなのは、実像を知る人にはよく知られてます^^
    昔からホラー映画や怪談話のTV番組みないし、怪奇もの小説もわかってたら絶対読みません。
    よって以下の話はネット検索でひろってきたもので確認していません。


    先だって伊勢ウォークで立寄った墨坂神社には波動水という看板が高々と掲げられてました。
    その神水をペットボトルに頂戴しました。
    歩きながら飲んでたら、なんか胃の形がわかるわぁ〜というぐらい重さを感じました。
    胃が痛いわけではないけれど、なんかこの水大丈夫かなと不安になったぐらいです。

    そんな体験もありなんとなくひっかかるものがあったので、検索ワードをいろいろ変えて調べてみると…。

    まず先に見たままを順番にレポートします。


    近鉄線榛原駅からすぐ、宇陀川を渡ったところに墨坂神社は鎮座しています。

    画像には写ってない左手前に一の鳥居が見えたけど、ウォーキングコース上、この鳥居は帰るときにくぐり撮影しました。
    たぶん電車で来た人は、橋を渡り、階段上り2の鳥居くぐって境内に入る人がほとんどだと思います。





    画像では左端に手水舎屋根が少し写っています。
    「御神水 波動水 奇跡の水」の大きな看板も帰るときに気づきました。
    このときは150名をこえる団体が参拝してるので、人の流れに逆らいにくい。
    さらに左横に祓戸の神様の社がありましたが、ここもまた帰るときに気づいたのだった。
    本来ならば祓戸にお参りして穢れを祓ってからの参拝なのにね。

    階段上がり境内に入ると、赤い春日造りの拝殿越しに本殿があります。
    本殿は、春日大社本殿のひとつを元治元年(1864)に移築したものです。



    この墨坂は、奈良盆地へと通じる古代から交通の要衝で幾度となく記紀に登場します。
    あちこちのサイトで記載されてますので、神社ふり〜くより引用させてもらいます。

    神武天皇即位四年春、鳥見山中に霊畤(マツリノニワ)を築かれ、
    天皇みづから皇祖天神を祭祀され
    「この地を上小野榛原(カミツオノハリハラ)下小野榛原(シモツオノハリハラ)という」とある。
    その下小野榛原が即ち墨坂の地である。
    現在は西峠地区にあるが、神武天皇の軍が大和菟田に入られた時
    この墨坂において賊軍がいこり炭(山焼きの意)をもって防戦したため、
    天皇の軍は苦戦し菟田川を堰き止め消火して進軍した所でもある。


    (神武天皇の大和行軍図)

    祟神紀の九年三月(380)国中に疫病が蔓延したため、天皇はいたく悩まれていた。
    ある夜、御夢に神人が現れて「赤盾八枚、赤矛八竿をもって、墨坂の神を祀り、黒盾八枚、黒矛八竿をもって大阪の神を祀れ」と告げたので、
    天皇はその教えに従って祀られたところたちどころに疫病は平癒し天下安泰になったと記されている。
    この墨坂の神は当神社のご祭神で、大坂の神は香芝市逢坂の大坂山口神社のご祭神であるが、
    いづれも古代大和における東西の重要な道路を守る神々である。

    「社記」によると、この墨坂で神武天皇東征当時にはすでに祀られていた神々を
    文安六年九月(1449)に現在の下萩原字天野に遷座されたものである。
    旧社地には小祠を建て「上の森」と呼んだ。






    墨坂神社の秋祭では、今の神社から元の社地へと「渡御行列」が行われています。
    大神輿へと移された御分霊が11月2日の夜に神社から旧社地の御旅所に赴き、
    そこで一晩を過ごしたのち、3日に御旅所から神社へと戻るというオワタリ祭りです。
    『日本書紀』祟神天皇紀の故事に従って赤盾赤矛太刀等奉持した武者行列で遷座します。

     赤盾赤矛のレプリカ
    祭りで使用されるのを画像検索でもらってきました。


    疫病などの悪いものが奈良盆地へ入って来ないようにするため、
    盆地東側の街道にあたる墨坂に墨坂の神、
    盆地西側の街道に大坂神を祀ったという故事。

    今春、四天王寺のすぐ近くに逢坂がありそこの安居神社に少彦名神が祀られてる記事を書きました。
    そのコメントでいっきさんに墨坂の神と逢坂の神のことを教えてもらった。

    しかし、なぜに赤と黒なんだろうと思ってたら、
    宇陀市のサイトには次のように書かれてあった。
    「東側は日の出、太陽が出てくる方向なので「赤色」、
    西側は日没、太陽が沈む方向なので「黒色」としたとの考え方もあります」


     古代の奈良湖推定図


    さて話は元に戻り、
    本殿より団体参拝客は左に流れたので、そのままついていくと


    竜王宮   祭神 罔象女神
    (古くから池を御神体として祀られていたが、昭和56年2月社殿を新築祭祀)

    どうやら2011年秋の台風で倒壊していたと、これもネット検索で知りました。





    この池の右手に水道蛇口があり、そこからお水賜りました。



    波動水で元気がでるかなぁ〜なんて
    ノーテンキに帰るときにくぐった一の鳥居


    なんか気になった墨坂神社でした。


    まず波動水というのがいかにも胡散臭いというか…
    いろいろ調べていてようやく見つけたのは、「9人の氏子と神主」というお話。

    ホラー作家として有名な加門七海さんの著書の中に「怪談徒然草」というのがあり、
    作者が本当に体験した話を四夜に渡って語りそれを文章に書き起こしたものらしい。
    その中の「9人の氏子と神主」というお話は、作者は固有名詞をあげていないけれど、
    記紀の伝承などからして墨坂神社に該当するにちがいないと。

    詳しくはS神社訪問記というブログでご覧下さい。

    一部抜粋
    「神社を建て替えることになったときに神社の配置なども変えてしまったのだという。
    氏子達が300万円もかけて牛のブロンズ像を造ってしまい、それを置くために本殿の横に祀られていた祓戸神を境外に移動させて、その祓戸神の祠があった場所に牛の像を置いたのだそうだ。
    さらに神社の横には信仰もされている小川があったのだが、この水を境内をボーリングして小川の源から水を引いてきて、新しく作られた池に水を張り、さらに御神水として儲けようとしたのだそうだ。

    これには神主と10人の氏子代表が係わったのだが、その10人の氏子代表のうちの9人までが病気や事故で災難にあい、神主も脳卒中で入院したり、奥さんが半身不随になったり、子供が交通事故になったり・・・そういう事が三ヶ月の間に次々と起きたのだという。
    そして、氏子代表で唯一の無事だったのが、この老人だという話」



    いろいろ調べていて、
    「墨」という字は水を意味し、元は水神に縁があり祀っていた可能性もある
    というのもみました。

    坂の神は、境の神。
    恋しい人に逢う坂であると同時に、逢うことを妨げる神聖な場所でもあった。
    あの峠を越えれば…

    峠の語源はタムケ、坂の神に木綿四手を供え旅の安穏を祈った習慣が、
    やがて枕言葉となり、逢坂山の別名ともなりました。


    夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ 
             清少納言

    これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも逢坂の関 
              蝉丸


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