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Channel: 秋麗(あきうらら)
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万部(まんぶ)おねり

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ちょっとよそではお目にかかれないような珍しい法会を見てきました。
融通念仏宗総本山・大念仏寺最大の伝統行事で、大阪市の無形民俗文化財に指定されてます。


5月1日〜5日まで毎日午後1時から執り行われます。
たまたま実家の宗派ながらも、今までこのお練り供養にお参りするチャンスありませんでした。
拝観料も要りませんし、他の宗派の方でも大丈夫。

できる限り電車バスでお越し下さいとお達しがでてるのに、
車で行ったから、外部の駐車場に停めるのに少し並び到着したのは午後1時半。
すでに始まってました。







本堂の外側に設置された橋を練り歩き、本堂正面から入堂されます。



鉦を叩きながら「融通念仏 なんまいだぁ〜」と唱和しつつ歩かれてました。











そして、いよいよ二十五菩薩お練り供養が始まります。






金色の仮面をつけた観世音菩薩さまは、
紫蓮台を両手でかかえずっと腰を落とした状態で歩かれます。

このあと全部で25菩薩が次々とねり歩かれ、極楽浄土の世界から娑婆世界へとお還りになられます。







詳しくは→融通念佛宗総本山大念佛寺 万部おねり 

小林一茶も33歳の時、1795年(寛政7年)大念佛寺に来て句を残しています。


  春風や 順禮ともか ねり供養   一茶


第23番札所 勝ちダルマの勝尾寺 

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知人が強力パワーのお祓いうけに勝尾寺へ行くのに同乗させてもらいました。
西国33箇所の23番札所で朱印賜るため、
最初は、それしか考えてませんでした。
ところが、実際足を運んでみると、驚いたこといっぱいありました。

まず、お寺のいたるところダルマだらけでした。



入山料400円を支払って、山門入ります。
すぐに池があり橋を渡ると長い長い階段が続きます。



その階段参道脇には、今の時節、シャクナゲがとてもキレイでした。



階段を振り返ると、整然と並んだ燈籠もステキです。









やっと本堂に到着!










本堂左手に総合受付所があり、ここで朱印を賜ったり、勝運祈願を申し込みます。


12時40分からの祈願では、本堂中へ同座させてもらいました。
そのときの体験談は次回に


   
箕面市粟生間谷(あおまたに)2914-1
第23番札所 応頂山勝尾寺(かつおうじ)かつおじ・かちおじとも読まれる。
御詠歌  重くとも 罪には法の 勝尾寺 ほとけを頼む 身こそやすけれ

応頂山は大阪平野の真北にそびえ、
数千年の昔より山自体の持つ霊力によって無類の聖地として崇拝されてきたお山だそうです。 

勝尾寺は、奈良時代末期765年、光仁天皇の皇子・開成(かいじょう)によって開創されました。
桓武天皇のお兄さんになります。

平安時代中期、六代座主の行巡が清和天皇の玉体安穏を祈り、
その効を示した事から天皇自ら王に勝った寺「勝王寺(かつおうじ)」の寺名を賜わる。 
寺側は「王」を「尾」の字にひかえ、以来「勝尾寺(かつおうじ)」と号すようになりました。 

源平の内乱に焼失した堂塔伽藍も、すぐさま源頼朝によって再建されました。以来、源氏・足利家・徳川家など各時代の覇者達が
当山の勝ち運を求め、参詣を重ね、何事にも「勝つ」寺として勝ち運信仰の歴史を辿っています。

現存する薬師堂は源頼朝の再建であり、本堂と山門は豊臣秀頼の再建。

Jリーグのガンバ大阪も毎年必勝祈願を行っている、らしい (-"-;A ...

厄払い荒神

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今日はこどもの日
ちょうど今、ミスター3とゴジラ55のW国民栄誉賞授与セレモニー中継中です。
こどもの日に夢を与える設定されてグッドアイデアですよね。

安倍首相が着用されたユニフォーム背番号は96番でした。
第96代首相で憲法96条改正と、なんかスゴイめぐり合わせの数字です。


私は、エソラとゆうりへに 勝運の寺の御守りを贈ろうと、昨日勝尾寺で賜りました。

その御守りを入れた袋には、
お授けした全ての御札やお守りは三宝荒神堂、本堂にてご祈願致したものです。…中略
大難が小難、小難が無難にと知らず知らずのうちにお護り頂いた事への感謝、御礼こそが、皆さま方の今後の幸多き人生に繋がってゆくのです。
勝運の寺 勝尾寺

三宝荒神堂、本堂にてご祈願致した、
と本堂より先に三宝荒神堂が書かれています。




その厄祓い荒神の画像は撮影しなかったので、検索により拝借。


勝ちダルマ奉納棚の北側に「厄祓い荒神堂」がありました。

公式サイトには、以下説明されてます。
日本最初の荒神社。古来より当山荒神の威神力は日本各地に知られるところであり、一例を挙げれば、江戸時代 延宝5年 1677年旗本菅沼隠越中守娘の白髪が当山荒神崇拝によって黒 髪となったなど、当山荒神の霊験は数知れない。


開成皇子御感得の日本最初の荒神様だそうで、
仏・法・僧の三宝の守護神とされるために三宝荒神と呼びます。
宝塚の清荒神、高野山の立里荒神を加えて日本三荒神と称す、らしい。

2年ほど前、2011年6月1日荒神さんと三宝さん という記事をエントリーしました。

そのときに頂戴したコメントにより、さらに調べていて、
「清荒神、高野山の立里荒神、そして桜井の笠山荒神が三荒神だそうです。
長谷寺奥の院の笠山荒神は日本最古の源で、聖徳太子が参籠し尊像を残したと言われています。
そして、弘法大師が高野山の立里荒神へ分霊し、更にそれを神仏習合により清荒神へ分霊されたようです。
荒神さんって、真言密教と深いつながりがあるのですね。」

あの時に知った三荒神とは微妙にちがってました。
しかし荒神さんのパワーはすごかった。

勝尾寺の厄祓い荒神の威力を目の当たりに体験しました。
本堂での祈祷のお話に続きます。


御堂筋ウォーキング

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座る婦人像
エミリオ グレコ


みちのく
高村光太郎


火の王No.1
フィリップ キング


ヴェールを持つヴィーナス
ルノワール

淀屋橋から心斎橋まで2800歩ほど歩いて向った先は

梅の花で、毎年恒例のバスケ会でした(^o^)/

ちょっと今までみたことない不思議なお寺、勝尾寺

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このブログ始めたのは2005年4月で、すでに9年目に突入してます。
目に留まったもの、不思議に思ったものを、
便利になったネット検索を駆使して一つの記事にまとめるのは、頭の体操になります。
ボケ防止にお付き合いいただきありがとうございます。

いつもコメントで感想やご意見、アドバイスをいただく皆さま
こそっとお読みいただく隠れ読者の皆さまのおかげと、感謝申し上げます。

質オザサ店主ブログがスタートする前の2003〜2004年の2年間で四国88ヶ所を廻りました。
現在は西国33箇所のうち21寺を参拝を終えました。
参詣した神社仏閣の数をちゃんと数えたことありませんが、上記お寺を足すだけで109になります。

だいたい名所旧跡って、城郭神社仏閣墓参りが多いので、
旅先でも訪れることは多く、これらを合計すると…。

こんなにあちこち神社仏閣お参りしている割には信仰心薄いかもと
愛読者の皆さまは、うすうすお気づきのことでしょう。
まさにその通りでありまして、
好奇心が旺盛で、ちょっと人様よりフットワークが軽いだけとご理解下さい。
気軽に足を運んでしまいますし、不思議だなと思うと追求したくなります。

という前置きを頭に置いていただいて、
今回のタイトル「ちょっとみたことない不思議なお寺」に入ります。

つまり、オバケは怖いですが、何も見えたことありません。
枯れ尾花を幽霊と思って驚くクチです。
浄化とか除霊とかも体験したことないのです。

今回、勝尾寺で祈願者に同座しただけで、今までに体験したことのない感覚を覚えました。

これまでに2回にわたり、勝尾寺の話を書きました。
以前から、紅葉で有名な箕面にあるお寺という認識しかありませんでした。
近場なのでそのうちお参りして朱印賜ろうと思っていました。

たまたまそのチャンスが突然めぐってきたのです。


最初の画像は、山門を裏側から写したものです。
扁額のお寺の名前、勝王寺と書かれているのがわかるでしょうか。

勝尾寺は、王に勝つというのを恐れ多いと、王を尾に変えたと。
しかし、ここでしっかり主張されてて、ちょっと笑えますよね。

この山門をくぐるのに入山料400円を支払ったと先の記事で書きました。
その関所となっているのは、なんと休憩所レストラン「花の茶屋」でした。


弁天池と名づけられた放生池ではミストがたちこめ神秘的な演出されてます。


弁天堂があり弁財天が祀られていて、ほんの一部左側にたちこめたミストが写っています。

お土産などを売る売店で入山料を支払うなんて、いまだかつて見たことないし
ライトアップはよくあっても、ミスト演出は経験ないです。
超近代的なお寺です。

掃除は行き届いてキレイな参道、境内です。

あちこちに小さなダルマが置かれた画像をたくさん紹介しました。
ダルマみくじは底におみくじ入ってて、おみくじを見たあとダルマをお寺に残して行かれるのでしょう。
雨や風でいたんだダルマは、たぶん適当に処分されてるのでしょう。
これも演出ですから…。





参道階段上がったところに、多宝塔が見えるのまで計算されてるがごとく感じます。

この時点では、受験合格や、選挙当選など、
なんとなく勝尾寺は現世利益の俗世間にうまく迎合した演出上手のお寺だと思えました。

本堂にたどり着くまで、神仏習合の名残である
「一願不動堂」「厄祓い荒神堂」
「鎮守堂」祭神は諏訪明神 八幡宮 金剛明王

そして、真言宗の「大師堂」を順に拝んでいきます。


本堂横の総合受付で、祈願を申し込み12時40分の所定時間まで待ちました。


時間になって、ほのぐらい本堂に着座したのはたまたま私たち一行3名だけ。
ご本尊は直接拝することはできませんで、前に大きな鏡がありました。

知人の祈願儀式ですから、私は何かお願いするのではなくて、
同座したものとして心のなかでご挨拶申し上げました。

どこそこに住む○○です。
今年、暦一巡する還暦を無事に迎えることができました。
ありがとうございます。
この先もどうぞよろしくお願いいたします。


お坊さんのよく通る美声で、祈願することの姿勢、心構えなど丁寧に説明されます。
最初に呼吸を整え鎮魂を促されました。



しばらくして、般若心経を大きな声でものすごくゆっくりと一緒に唱えました。

お経を唱えたり説明してくださるお坊さんの声はよく通る声でしたが、
さらにマイクが付いていてたぶん本堂外にまで響いていることでしょう。

もう一人のお坊さんは、大きな大きな太鼓をド〜ンと打ちながらもお経にも唱和されます。

堂内の僧侶2名に祈願者一行3名が加わり参列者全員で般若心経、
続いて知らないお経をお坊さんが唱えられました。
ご本尊が十一面先手観音ですから観音経なんでしょうか。

その途中で、体の中心から、肌全体に粟立つような感じが起こり、その粟だちは頭の上に抜けていきます。
これって寒いからではないし、怖いわけでもない。

寒い時や恐怖におののいた時の鳥肌よりももっと細かいような不思議な感じ。
ものすごく細かな泡の炭酸風呂にでも浸かったなら肌の外側ですが、これは内側から起こっています。
丹田あたりに潜んだ邪悪なものが清められ浄化していくような錯覚を覚えました。
これは人生で初めての体験で、びっくりでした。

お経が終わるとその感覚はさぁ〜っとおさまりました。
続いて、三宝大荒神のご真言を一緒に唱和下さいと促されました。

オン ケンバヤ ケンバヤ ソワカ

おそらく7回ぐらい唱えたと思いますが、
この唱えてる途中でもまた先ほどと同じ粟立つ感が湧き上がってきました。

続いて、勝尾寺ご本尊御法号
南無大慈大悲観世音菩薩
これも何回も唱えている途中から、先ほどの粟立つ感が沸くも、前2回ほど強くない。
なんとなくもう出尽くした感ありました。

最後に、
○○○○(祈願者名前)の心願祈願にひと〜つ ド〜ンって太鼓打たれます。
これが何回も続きました。

もし受験合格祈願だったとしたら、
○○(祈願者名前)の××大学合格祈願にひと〜つ ド〜ンって太鼓。
これが境内に響き渡るというのもちょっと、ね。


終了した時に時間を確認しませんでしたが、
おそらく20分〜30分は要したであろうと思われます。


きっと願いは聞き届けられるであろうような霊験あらたかな祈願儀式でした。
ちなみ、祈祷代金はわずか5000円でした。
下世話ながら、お二人の僧侶の所作と要した時間を思うとものすごくお値打ちあります。

法然上人二十五霊場

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西国33箇所のご朱印を賜った、23番札所勝尾寺の総合受付では、
法然上人第五番霊場のポスター見ました。
なんでここに浄土宗や法然さんが??
そのゆかりの二階堂にもお参りしませんでした。

家に帰ってから調べるまで
「法然上人二十五霊場」について全く知らなかったのです。

法然上人二十五霊場というサイトでは、二階堂を以下のように説明されています。

「二階堂は本堂の右手を東北へ200m、高台の展望の良いところにある。
法然上人が讃岐からの帰途、証如上人の遺徳をしのび四年間留錫され念佛三昧の行に入られた専修念仏の道場である。
上人は承元4年(1210)3月21日二階堂で善導大師夢定御会見の奇瑞を得られ、
本尊はその折の両祖対面の尊影を映した壁板であって、念仏三昧すれば善導大師の御影を拝することが出来るという。」


浄土宗の開祖である法然ゆかりの寺院二十五箇所には
真言宗や天台宗などの寺院も含まれているようです。
この勝尾寺も真言宗ですが、本堂の右上にある二階堂だけは浄土宗だったのです。



勝尾寺は、秋は紅葉で有名な観光名所 箕面国定公園内にあります。
往路は、茨木市から粟生間谷を通りバス道を登りました。
この道は西国22番総持寺から23番勝尾寺へ向かう巡礼道です。

帰路は阪急箕面市へのつづら折りの道を下山しました。
途中に、瀧安寺(箕面市箕面公園2ー23)があります。
立寄りませんでしたが、古くは箕面寺と呼ばれていました。

修験道の開祖役行者が箕面大滝で修行中、龍樹菩薩から法を授かり、
滝の下で不動明王と弁財天の像を彫って堂宇に祀ったのが寺のはじまり。

両寺ともに山岳仏教の聖地とされる古いお寺です。

勝尾寺は、もとは弥勒寺と号しその背景をなす思想は弥勒信仰であったそうです。

その古い伝統ある勝尾寺(古称弥勒寺)に、なんで浄土宗開祖の法然さんが滞留されたのか…
気になり調べてみました。

続く

生命力

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どっちかというと自分で植えた意識なくてあまり心かけてないプランター。
ただお水あげるだけで、何の世話もしていない。
今年もシランがたくさん蕾つけてます。
画像すぐ下に、黄色い小さな花の雑草が元気よく、つい撮影してしまった。



スーパーで98円程度で販売されている豆苗、
成長した芽の部分を切って本来なら捨てる部分、スポンジに豆が残ってる。
これを水栽培するとまた芽がでると、ビニール袋に印刷されてます。
確かに、再発芽! スゴイ生命力!! 


外国人注目の日本の観光名所

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咋朝のワイドショーでみた情報です↓


へぇ〜 という結果ですよね。

では他の国とかのデータとかもあるんだろうかと、
トリップアドバイザーのサイト見に行ったら、全く違ってて、これがまだ驚き。
あのTV情報は、どうなってるの…

トリップアドバイザー 外国人観光客お気に入りの観光スポット

世界総合トップ20は、
1宮島 厳島神社
2平和記念公園 原爆ドーム
3松本城
4東京ディズニーシー
5沖縄美ら海水族館
6伏見稲荷大社
7地獄谷野猿公苑
8兼六園
9六本木ヒルズ
10三十三間堂
11浅草寺
12姫路城
13清水寺
14新宿御苑
15明治神宮
16富士山
17東大寺
18嵐山モンキーパークいわたやま
19金閣寺
20海遊館

さらにアメリカ、欧州、中国と国や地域別ベストテンも載ってます。
こちら


なんとTVで昨日見たランキングは2009年の数字だった!

2009年 外国人注目の日本の観光名所ランキング→こちら
●中国
1 難波 ・道頓堀(大阪府/大阪市)
2 浅草寺 浅草観音堂(東京都/台東区)
3 清水寺(京都府/京都市)
4 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(大阪府/大阪市)
5 海遊館(大阪府/大阪市)
6 東京ディズニーランド & ディズニーシー(千葉県/浦安市)
7 中之島(大阪府/大阪市)
8 築地市場(東京都/中央区)
9 秋葉原電気街(東京都/台東区)
10 新宿御苑(東京都/新宿区)

●アメリカ
1 六本木ヒルズ(東京都/港区)
2 築地市場(東京都/中央区)
3 東京ディズニーランド & ディズニーシー(千葉県/浦安市)
4 ポケモンセンター(東京都/港区)
5 浅草寺 浅草観音堂(東京都/台東区)
6 清水寺(京都府/京都市)
7 大江戸温泉物語(東京都/江東区)
8 スパワールド(大阪府/大阪市)
9 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(大阪府/大阪市)
10 新宿御苑(東京都/新宿区)

明日は母の日

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今春から幼稚園へ通い始めたエソラ
なにかと母親は大変です。
久しぶりに娘がエソラとゆうり連れて来ました。
母の日にはビールやろうと、おまけでケーキもくれました(*^_^*)

手に取るな やはり野に置け 蓮華草

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別名 紫雲英 げんげ
花が一面に咲いているのを遠くから見ると
低くたなびく紫の雲のように見えることから

だんじり祭り 

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今日は五月晴れ、晴天にめぐまれ、かなり日焼けしました。 
出雲大社60年ぶり遷宮にお出かけ予定だったのに、
ツアー成立せず守口にいました (-"-)



開会宣言の大阪締めのあとクラッカー、シャッターチャンス微妙にずれた。



今年はいろんな事情で参加地車数は8台でした。
あるだんじりの披露のとき、
上に載った3人のうちお一人の姿突然見えなくなったが、大事には至りませんでした。

今日初めて気づいたけれど、大枝神社の提灯の後ろ側とか
地車隊員の白のTシャツにバックプリントがあり花の絵がある。
これは何と尋ねたら、橘と教えてもらいました。
知らんかった…

今年は大枝神社が一番最後のお披露目。





一通りのお披露目が終わったら、
寺方の提灯踊り、河内音頭の提灯を持ったバージョンみたいな感じ。
守口の無形民俗文化財第1号、踊り子さんもかなり年季はいってます。


天乃神社の太鼓、勇壮でした。


寺方のうぶすな神社も天の神社も天神さんなので、どちらも梅紋です。


最後に、龍踊り。
踊りこさんはギャルがほとんどなのに驚きました。



神社に帰って宴会。
体重見事に増えてました(-"-;A ...

歴史はつながる、ひびきあう

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5月9日の記事「法然上人二十五霊場」の続きです。
調べたことを忘れないうちにレポートしておきます。

学校で習う日本史では、先生はちゃんと説明されてたのかもしれない。
が惜しいことに、そうした言葉や内容は頭の上を飛び越えて
ただただ、断片的に固有名詞程度しか記憶にない。

それがひょんなことで繋がったという話です。




「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ … 」
NHK大河ドラマ「平清盛」のオープニング曲でも使われてました。

平安時代末期、京都の庶民を中心に流行した「今様」という歌謡を集めた『梁塵秘抄』
後白河法皇が当時巷で歌われていた雑芸の歌を集めて編集したものです。



あの大河ドラマでは後白河法皇を松田翔太さんが演じていました。
去年TVではチラチラとしか視聴しなかったので、どのように描かれていたかよく知りません。

ネット検索によれば、後白河法皇は
南都北嶺といった寺社勢力には厳しい態度で臨む反面、
仏教を厚く信奉して晩年は東大寺の大仏再建に積極的に取り組んだ。
和歌は不得手だったが今様を愛好して『梁塵秘抄』を撰するなど文化的にも大きな足跡を残した。

天台教学に関心が深かったので、日吉や熊野にまつわる今様を多く撰歌しているが、
法華経もの、大日如来を謳った真言もの、浄土ものも少なくないそうです。


そのなかに、聖(ひじり)のこと歌ったものがあるようです。

聖の住所(すみか)は何処(どこ)何処ぞ、
箕面よ勝尾(かちう)よ、播磨なる書写(そさ)の山、
出雲の鰐渕(わにぶち)や日の御崎、南は熊野の那智とかや

聖(ひじり)とは、Wikiページでは

日本では諸国を回遊した仏教僧のこと。

元来「日知り」を意味し、太陽の司祭者・呪術者を指したとされる。
仏教伝来後は聖の字があてられ、学徳の高い僧を聖と呼ぶようになった。

平安時代中期に至り末法思想が広まると、それに伴って浄土教信仰を庶民に普及する僧たちが現れた。
彼らは念仏聖と呼ばれ、寺院に定住せず深山の草庵に住んだり遍歴しながら修行する半僧半俗の存在だった。
平安中期の有名な聖に「市聖(いちのひじり)」と呼ばれた空也がいる。

聖は、寺院において、学徒(学僧)に相対し、寺院経済を支える禅徒の立場にあった。
聖たちは、寺院から離れて別所と呼ばれる場所に集住し、活動の拠点としていた。
名高い別所の一つが高野山にある高野別所であり、ここに住む念仏聖を高野聖と呼んだ。

平安後期の源空も延暦寺黒谷別所の念仏聖であり、その弟子の親鸞と併せて、聖人(しょうにん)と呼ばれた。
鎌倉時代中期の一遍は諸国を遊行しながら念仏を広め、「捨聖(すてひじり)」と呼ばれた。

特に念仏行者には「聖」となるものが多かった。
諸国を遊行する念仏僧たちが、しばしば足を留めて滞在する諸国の寺の中に、
箕面の勝尾寺と瀧安寺(当時は箕面寺と呼ばれた)があると、先の『梁塵秘抄』で歌われているのです。



浄土思想の系譜
・証如(〜866)が初めて浄土信仰を唱える
・空也(903〜972)が民間に浄土信仰を広める
・源信(942〜1017)が往生要集を著す
・良忍(1073〜1132)が融通念仏を唱える
・法然(1133〜1212)が浄土宗を開く
・親鸞(1173〜1262)が浄土真宗を開く
・一遍(1239〜1289)が時宗を開く


初めて浄土信仰を唱える証如さんって全く存じませんでした。
勝尾寺第四代座主です。
証如が念仏信仰を初めて確立したゆかりにより
勝尾寺が念仏行者の聖たちの集う山として早くから知られていたのです。

法然は、43才の時浄土宗を開創し、この教えは忽ち庶民に浸透するも既存の諸宗派から圧迫を受ける。
建永元年(1206)、興福寺の訴えにより専修念仏停止が宣下され、
彼が75才の時、女官たちを出家させたことが後鳥羽上皇の逆鱗に触れ、
4人の弟子は死罪、彼も土佐(実際は讃岐)に流罪に。
9ヶ月後には赦免になるも京都に入ることは許されず、勝尾寺の二階堂に3年10ヶ月間逗留した。



空也像は京都の六波羅蜜寺で見ました。

良忍さんは、実家の宗教である融通念仏宗の開祖です。
どちらも法然さんより先の時代、平安時代半ばだったのですね。
GW に万部ひねりという行事で、
♪融通念仏なんまいだぁ〜♪と鉦を叩きながら唱えているのを見ました。


法然上人が滞在された二階堂はじめ勝尾寺は、源平合戦で源氏方に燃やされます。
やがて鎌倉幕府の源頼朝は、熊谷直美に命じ勝尾寺を復興させます。

その熊谷直美は、その後法然さんのもとで出家します。
京都は岡崎にある、くろ谷金戒光明寺には、熊谷直美鎧かけの松がありました。


くろ谷金戒光明寺は、浄土宗の総本山です。
去年秋、何も知らずに訪れたくろたにさんは、
幕末京都守護職会津藩一千名の本陣にもなりました。
そのゆかりで、会津藩士のお墓があったのですね。
今年の大河ドラマ八重の桜の舞台にもなります。

今年の花は大きいような

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玄関先に置いたゼラニウム
今年も元気に咲いてくれましたが、
なぜか例年より一回り大きな花です。


ベランダの蚊やりそう、レモンバーム?
こちらもただいま満開、いつもより元気で大きい。



フレッシュハーブの苗セットのプレゼントもらいました(*^_^*)

伊勢までの道、五回め

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ここまですでに一万 歩

先月の終点だった天理の黒塚古墳から、箸墓古墳を通り、大神神社まで。
参拝を済ませてから駐車場にてお弁当でした。
バスの前ですので、お弁当を持って歩かずにすみました。



今回は155名の参加でした。
12時20分出発が3名揃わず10分遅れでスタート。



2時半ごろ今回の終点長谷寺に到着しましたが、その20分ほど手前の地点
十二柱神社については、また後日詳しくレポートします。

靴下の選択失敗で、靴の中で滑りやすかったため足に負担かかりました。
そのため1時間半ほどの自由時間ありますが、長谷寺参拝はやめました。

長谷寺まで駐車場から片道25分の距離で、さらに境内も広いのです。
もうとても歩けない。


ゆっくりわらび餅を頂いて休憩しました。

今回の歩行距離、梅田バス乗り場から
23,426歩 15,461km

ボストン美術展、迫力ありました!(◎_◎;)

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珍しく自腹で正規料金\1500支払って見てきました。

朝10:30天王寺待ち合わせがグットタイムだったようで
全く並ばずに入館できましたが、なかは満員でした。

ボストン美術館日本美術の至宝 
大阪市立美術館 6月16日(日)まで

ポスターやチケット、入口エントランスにある曽我蕭白の「雲龍図」はもちろん迫力ありました。
長谷川等伯の「龍虎図」もよかったです。

吉備大臣入唐絵巻のストリーもこんな面白かったのかと興味深く見ました。


どれもこれもほとんどが、元は日本のどこにあったのかは明記されてませんでした。
明治維新の神仏習合廃止や廃仏毀釈で多くの仏像や画が太平洋を渡りました。
大仙古墳から出土した、古代のガラスコップもボストンにあると聞いてます。
これは今回の展示にはありませんでしたが。

略奪ではないにしても、おそらく二束三文で国宝のような数々が日本を離れました。

文明開化という名目のもと、日本の精神と文化が解体していったのか…
と思うと、なんか、悲しくなります。



帰路、例のベルリンの壁を案内。


laぐうというレストランでランチして、
阿倍野再開発ぶりをざっと見学するも
ひたすらおしゃべりに没頭してました。

年を重ねて、ほんま欲しいもんなくなるなぁ〜って。


★「吉備大臣入唐絵巻」が海外に渡った経緯 Wikiページより

大正12年(1923年)酒井家の遺産分与のため東京美術倶楽部の売立に出され、大阪の古美術商18万8900円で落札。
直ぐに再び売りに出そうとしたが、関東大震災による不景気で買い手がつかず、古美術を広く海外に売っていた山中商会に斡旋を依頼する。
昭和7年(1932年)ボストン美術館東洋部長を務める富田幸次郎が来日して購入、ボストン美術館に所蔵されるに至った。
『吉備大臣入唐絵巻』の海外流出は、日本国民の憤激を買い、富田は「国賊」呼ばわりされた。
しかし、富田は正規の商取引を行ったに過ぎず、富田自身はこれに憤慨している。
問題だったは、国宝クラスの美術品の海外流出を食い止める事が出来なかった法整備の不備で、流出の翌年4月1日「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が作られ、美術品の国外流出を防ぐ処置が取られるようになった。


虎渓三笑 

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昨日、ボストン美術館展で見た作品の中で、印象に残ったもの
というか、見ただけでつられて笑ってしまったものがあります。


虎渓三笑図屏風 こけいさんしょうずびょうぶ
曽我蕭白筆


2曲1隻 紙本墨画 / 縦150.3 横175.4
江戸時代・18世紀後半

廬山に隠棲した東晋の僧慧遠のもとを訪れた陶淵明と陸修静。
話に夢中になった慧遠が、俗世に通ずるとして渡らぬと決めた橋を越えたことに気付いて3人で大笑した場面が描かれる。
蕭白にはめずらしく穏やかな画風がうかがえる楽しげな作品。




虎渓三笑 
意気投合して談笑するのを楽しむことわざです。

話が佳境に入り夢中で話し込んでいると、
思わず時の経つのも忘れ、自分たちのいる場所もわからなくなってしまうことがありますよね。

出典は「盧山記」
儒、仏、道の三賢者が一同に合して話をしたところ、お互いにつきない興味を感じ、すっかり夢中になってしまったという故事です。

中国での浄土教の開祖である慧遠法師は来客を送る際、精舎の下の虎渓という谷川のところで足をとめ、そこを渡ることをしない戒律を守っていました。
ところが詩人の陶淵明と動家の大家である陸修静が来訪して、
三者でそれぞれの専門分野について話し合ったとき、さすがに興が乗じて、
慧遠法師は思わず「安呉禁足の掟」に従わず、虎渓を越えてしまい、虎のほえる声を開いて、初めてそれに気づいて、三人とも大笑い!
この三人の談笑して歩く姿と谷川の水の流れは、古い中国の掛け軸の画題として大変よく使われています。



ところで、右下に蕭白の落款の字が見えるでしょうか。
他の蕭白の作品も絵は迫力あるのに、字はへたくそだなぁ〜と思ってみてました。


調べてみると、こんなことがわかりました。

曾我蕭白は18世紀の京都の画家。
この頃の京都の画壇には、蕭白のほかに、応挙、若冲、蕪村、大雅などもいた。

応挙や蕪村は「知識人」、若冲は「ブルジョア」だったけれども、
蕭白はそんなに育ちが良かったわけではないらしい。
出自には相当なコンプレックスがあったらしく
落款に、明王朝太祖の子孫だとか藤原鎌足の子孫だとか出鱈目を平気で書いたとか。

箸墓古墳、そして三輪へ

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オクラホマの竜巻、すさまじい壊滅的な被害でほんとお気の毒です。
あっという間に巨大な竜巻にのみこまれるのは津波と同じですね。

ノーテンキに伊勢ウォークのレポート書くのもちょと気がひけますが…。


5回目はまた少し参加者減って155名だそうです。
歩くのが目的だし、周りに大勢の人が歩いておられます。
なかなかばっちりのシャッターチャンスには恵まれません。
待ってたら皆に置いて行かれます。


今まで箸墓古墳のことを紹介したことありませんでした。
マスコミが卑弥呼の墓だと決め付けんばかりにいうけど、
卑弥呼は九州だと、ひそかに思っているのです。

そして、いつも三輪明神はお参りする時は車です。
ちょうど道がカーブを描き、さらに線路を高架でまたぎます。
運転しながら箸墓古墳をじっくり見がたい場所にあるのです。
今回はその際を歩いてきましたので、間近で撮影できたので記録に残しておきます。


天理の黒塚古墳からスタートし、田園風景の中を歩きました。


やはり野におけれんげそう、ですね。


池の中央、赤い部分は金魚の群れです。






さすが奈良、鳥居があちこちで見られ、参道を道が横切っているところもありました。


40分ほど歩いて、いよいよ陸橋を渡れば箸墓古墳です。







ちょうど立て札の前に次々立つ人あらわれ、ばっちしのシャッターチャンスはなかった。





ここから30分ほど歩いて、大神神社に到着!





仏教伝来の地・海柘榴市は椿市

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5月18日は リコーCX4で撮影しました。
ランチの時に撮影モードダイヤルがうっかりずれてしまってたようで、
これからしばらくアスペクト比1:1が続きます。

最初の画像は、1:1の画像下部分をトリミングしました。
「仏教伝来の地」石碑を歩きながらの撮影で、下に大きくお顔が写ってたので。

大神神社から長谷寺までのウォークは12時半にスタートしました。


すぐ近くに三輪恵比須神社がありました。





三輪山の南側、山裾を縫うように大和川支流の初瀬川は南へ上り、大きく東に曲がる地点が海柘榴市です。

海石榴市 何と読むかわかります?

石榴は、“ざくろ”
海 の 石榴 って何?




万葉集 読人不知
三諸(みもろ)は人の守(も)る山 
本辺(もとべ)は馬酔木花開き 末辺(すえべ)は椿花開く 
うらくはし山そ 泣く子守る山

三諸(神の山・三輪山か)は人が大切に守る山で、
馬酔木が麓の方に花を咲かせ、山の頂の方には椿が花を咲かせ、
まことに麗しい山である

古代から三輪付近には椿の木が多く生えていたようです。

清少納言 枕草子14段
椿市(つばいち)は、大和にあまたある中に、長谷寺に詣づる人の
必ずそこに止まりければ、観音のご縁あるにやと、心ことなるなり 

椿市という名は、当時の市は露天であったので、
木陰を確保するために椿の街路樹が植えられていたことに由来するらしい。 








「欽明天皇13年(552)冬10月、百済の聖明王、またの名は聖王、西部姫氏達率・怒悧斯致契(ぬりしちけい)らを遣わして、釈迦仏の金銅像一躯・幡蓋(はたきぬがさ)若干・経論若干巻を献る」
日本書紀は552年と伝えている。

しかし、学校で習った「仏教伝来ごさんぱい538年」
これは帝説や元興寺縁起によるもので、仏教公伝を欽明天皇7年(538)

当時、欽明天皇の磯城島金刺宮は海柘榴市のすぐ近くにありました。

この地は、百済の使節が難波から大和川を船で遡行して上陸し、
我国に初めて釈迦仏と経典をもたらした仏教伝来の地です。


遣隋使の出立の場所でもありました。
607年に出立した小野妹子一団は、翌年4月裴世清を団長とする12人の使節団を伴って筑紫に帰着。
ようやく8月になって飾り馬75頭を仕立てて海柘榴市に迎えた。
河川敷にコンクリートの馬の置物が多数並んで置かれていて、
なんでかなと話しながら歩いてましたが、これに由来してたのでした。



↓ 画像もらってきました

 

海柘榴市は椿市で、つばいちと読むのはわかったけれど、
なんで、海の石榴になるのか…
検索に検索をかさね、やっと見つけました!

「椿」は『万葉集』に初めて用いられた表記で、
春に花を咲かせる木の意によって用いられた国訓で知られる。
中国の「椿」とは全く関係なく、我が国で発想され作られた国字であるとも言われている。
「海石榴」は我が国のツバキが中国に渡り、
中国では渡来品に海の字をつける慣習があるので
ツバキにも海をつけ、石榴に似た木という意によってこの名に。
これが逆に我が国にもたらされたものであると言われる。

ギズモ偵察にくる

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フラワープレゼント届きました(*^_^*)

何々? 早速、ギズモやってきた!


ダリア ダリーナマキシという名札ついてます。

ちょうど今さきほど、朝のワイドショーで
サラリーマン川柳の10位が
「何かをね 忘れたことは 覚えてる」

このダリーナマキシという名前もいつまで覚えていることやら。
この川柳とセットで記憶したことだけ、覚えていることでしょう。

出雲ムラの十二柱神社

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狛犬を4人の力士が支えているのが特徴だから必見ですよ〜
とガイドさんから説明受けてたので、なかなか撮影するチャンスがやってこない。






桜井市出雲650
いまでも地名に出雲と残されていて、古代、この地に出雲人が暮らしたことから付いた地名です。




垂仁天皇の時代に、出雲の野見宿禰は、当麻蹴速と我が国初の天覧相撲を取り勝者に。
穴師の相撲神社とならぶ相撲発祥の地です。

野見宿禰は土師氏の祖でもあり、
出雲の国から工人を連れ埴輪を作らせたことがこの地の始まりです。
明治初期までこの出雲ムラは、ムラをあげて土人形「出雲人形」を作っていたそうです。





窯元10軒あったという残骸の一つでしょうか。





天神七代の神(国常立神、國狹槌神、豐斟渟神、泥土煮・沙土煮神、大戸之道・大苫辺神、伊弉諾・伊弉册神、面足・惶根神)
地神五代の神(天照大神、天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、彦波瀲武葺不合尊)

神様の数えるときの数詞は、柱なので
十二柱とは12の神様を祀ることからつけられた名前です。

古代は神殿が無く磐座を祀る出雲地域の産土神社
三輪山東方1700mの峰の上にあった「ダンノダイラ」
明治の初め頃まで、年に一度全村民が「ダンノダイラ」へ登って、出雲の先祖を祀り偲んだそうです。

他にも見所ありました。






武烈天皇社


武烈天皇の壇場(たかきみくら)を設けた泊瀬列城宮跡ともされていますが、創建は不詳。
第25代武烈天皇(489〜507、在位:498〜506)は、小泊瀬稚鷦鷯(おはつせわかささぎ)尊ともよばれます。

祖父に当たる第21代雄略天皇は大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)

泊瀬は初瀬、この辺りの地名で、大と小、ふ〜ん、何かイワクありげ…。

古事記では在位8年で子を残さず程度のサラッとした記述らしい。
しかし、日本書紀では
「頻りに諸悪を造し、一善も修めたまはず」と暴虐の限りを尽くした非常に悪劣なる天皇として描かれています。
雄略天皇も大悪天皇であり、有徳天皇でもあったようです。

万葉集の最初の歌は雄略天皇で、
日本霊異記の冒頭にも雄略天皇が掲げられているらしい。

ヤマト王権の勢力が拡大強化された歴史的意義を持つ天皇として認識されてたのでしょうか。
その血縁が同じく長谷=初瀬=泊瀬の地に宮をおいた武烈天皇で終了したと。


次に継体天皇へと繋がるまでにいろいろあったんだなと
思いをはせながら十二柱神社をあとにして、最終地長谷寺へ向かいました。



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