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不思議だなと思う心間違い探しが苦にならないこれがものの鑑定に役立ちます

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    ふつう神社って、鳥居をくぐって参道を行けば正面突きあたりに本殿があります。
    御所の鴨都波神社も かつては境内もっと大きかったのでしょうが、
    現在は境内東北にある駐車場に車を止めると、さらに東側に大きな鳥居が見えます。
    すぐ横にはお互いが向き合った阿吽の狛犬あります。


    左手前に手水舎があり、狛犬右側奥に 祓戸神社。


    お参りの一番初めに穢れをはらう神様です。
    ということは、さらに東30mほど先に見える鳥居が一の鳥居なんでしょう。
    元々東が正面で、R24沿いの鳥居はかつては裏門だったように思えます。

    参道を進むと境内が横に長く開けていて、右90度に本殿という配置です。
    正面には裏?鳥居へと続く参道に小さな太鼓橋が見えます。



    小さな小川が流れていて、それに面して橋の左手に神農社がありました。




    社号標には「神農薬祖神」とあります。
    少名毘古那神が祀られています。

    大阪のえべっさんは、今宮戎と木津の大国さんで両参りと言われます。
    その大国主神社は敷津松宮と境内を同じくして参道がクロスしてます。
    それに近いような不思議な境内に思えました。

    御所市観光HPによれば、
    葛城川と柳田川の合流地点で水に恵まれていたことから、元々「水の神」を祀っていたものとする説もあるようです。

    神農社を掃除していた氏子のおっちゃんは、
    ここのススキ提灯献灯は、東北の盛大な夏祭り巨大ちょうちんの発祥だと話されてました。
    そして社務所後ろにも二つ社あるからお参りされるようにと。



    境内社はたくさんありましたが、社務所裏は教えてもらわないとなかなか気づきません。
    参道にクロスして、本殿と反対側に廻ってみると、社務所裏は築山でした。
    確かに小さなお社二つ並んでました。
    笹神社(市杵島比売命)と八坂神社(素戔嗚命)


    市杵島比売命をお祭りして、笹神社という名前がつくのを初めて見ました。


    一言主神社や高天彦神社など葛城古道沿いの神社は、本殿が葛城の山々を背にして東向いてます。
    鴨都波神社は、高鴨神社が上鴨社というのに対して下鴨社と言われていますが、ともに本殿は南向き。
    方位が違うと少し雰囲気も異なり時代も違うような気がする。

    鴨氏と葛城氏の違いとかあるのだろうか…?

    神社一帯は大規模な弥生時代の鴨都波遺跡も発見されており、神社はその遺跡の上に鎮座しているそうだ。

    御所市内の町なかにあって、標高もかなり低い。
    最初は紀ノ川から葛城の東側山麓に入植した氏族は、弥生時代後期に入り海水面が低下して奈良盆地から水が引いたので低地におり出したのかも。

    崇神天皇の勅に奉じて、太田田根彦の孫にあたる大賀茂都美命が、
    葛城の賀茂に事代主命を奉斎し、賀茂の氏を賜わり、大神神社の別宮とされたそうです。

    古い社名は鴨都味波八重事代主命(かもつみわやえことしろぬしのみこと)神社
    祭神、鴨・都味波=積羽・八重事代主命(かも つみは やえ ことしろぬしのみこと)
    大・賀茂・都美命と似てますね。

    大神神社におまつりされている大国主命(おおくにぬしのみこと)の子どもにあたる神様で、「大神神社の別宮」とも称されています。

    国を守る農耕の神様として大変崇められ、宮中におまつりされている八つの神様の一神でもあり
    一般的には「えびす神」という呼称で商売繁盛の神様としても有名です。

    鴨都波(かもつば)神社
    積羽八重(つみはやえ)事代主命(ことしろぬしのみこと)

    どちらも振り仮名ないと読めません。
    先のページに、櫛羅(くじら)とか不思議な地名あると書きました。

    このくじらで検索してると、もう一つの東征(東遷)とページがヒットしました。

    カモタケツヌミは南九州の曽の国から神武天皇に先立って大和の葛城に東遷したと『山城国風土記』には書かれているが、
    そのことを証明できるのではないかと思われる地名が葛城の地にあるので、それを提示して考察してみたい。
    ひとつは御所市の大字地名「櫛羅」で、現地では「クジラ」と読んでいるが、
    漢字本来の字音からすれば「クシラ」でなくてはなるまい。
    これは源順の『和名類聚抄』・郡郷名に記載のある大隅国姶羅郡串占(くしうら=串良)に直につながる地名である。

    というのは次の理由による。
    この御所市大字櫛羅には式内社「鴨山口神社」がある。
    「延喜式巻第九・神祇神名上」によれば「名神大」で「月次祭・新嘗祭」を官幣によって行う大社であった。
    祭神は「オオヤマツミ」で山の神である事は言うまでもないが、
    不思議なのは山の神なのに海鳥である鴨が冠せられていることだ。
    しかも鴨山口神社の建つ土地の小字を「大湊」という。
    これも海に関する命名そのものずばりであり、いったいどうしてこのような地名になったのか土地の人でも首を傾げるほかないようである。

    しかし山城国風土記が示唆するように南九州の曽の国の串良湊(大隅潟湖=ラグーン)から
    鴨(鹿子=航海民)族が船団を組んで紀州に至り、紀ノ川ルートで大和の葛城山麓に定住したから、と解けば何ら不思議ではないであろう。


    この方の推論によれば、
    「鴨都味波」は「カモツアジナミ(ミミ)」と読むべきで「鴨族の中の鴨王」と解釈される。
    鴨とは航海民のことだから「航海族の中の航海王」と言い替えられよう。
    これに「八重事代主命」を加えて解釈すると

    航海族の中の航海王であり、あらゆることに精通した王者

     という人物(神格)が浮かび上がってくる。



    さて、祭神はもうひとかたおられて下照比売命(したてるひめのみこと)
    序文にも至らなかったけれど、長くなるので次回に。
    年内に書けるかな…?


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  • 12/30/12--22:03: ほどほどに
  • 今日が年内最終生ゴミでした。


    じゃがいもの芽が、ここまで伸びててたまげた(ーー;)



    冷蔵庫野菜室で数ヶ月は経過したオレンジ、見かけは全く変化なし。
    カリフォルニアからはるばると渡ってくるのに、しっかり防腐剤まとってる?

    どちらもすご過ぎて、さよならしました。


    今年もいろいろありました。
    お世話になった皆様、ブログ愛読してくださった皆様
    ありがとうございました。
    どうぞよいお年をお迎えください。

    来る2013年がいい年になりますように。

    本質からしっかり眼を放さないよう
    しかし肩の力ぬいて、ほどほどに

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    新年あけましておめでとうございます。
    本年も旧年中に変わらぬご愛顧賜りますよう、よろしくお願いいたします。

    年賀状の画像にスマホに付けている象牙の根付を撮影しました。
    癸巳 今年めでたく還暦を迎えます。

    伊勢神宮では20年に一度の式年遷宮。
    そして出雲大社は60年ごとの大遷宮と重なるのが2013年です。
    2008年8月には出雲仮遷宮特別拝観参拝しました。

    暦が新しくなるのはなんかわくわくしますね。


    元旦は、一番最初に一言主神社の「一陽来復」お札を南南東むけて貼り、
    氏神様大枝神社へ初詣に出向きました。

    午後からは例年通り、まず母を見舞いに。
    まずまず元気にしてて、また来るわと娘が言うと
    「悪いなぁ〜」って、脳配線に新しいバイバスができたのかも。

    妹んちは新築間に合い年末12月22日が引越でした。
    荷物整理でおおわらわ迎春パーティは期待しないでと言われてました。

    しかし、妹の家族は偉い!




    まだまだ画像に載せきれないご馳走いっぱいでした。



    暖炉の上に、柚子味噌でいただくおでん、これも美味しかった。


    義弟とその長男が二人で設置したらしい。
    暖炉は350kgぐらいあって、あまりに重くて人生で一番重たいものを持ったと甥が話してました。

    家中18度ぐらいで温かく、暖炉に人が集まるのは設置苦労した甲斐があったと思います。

    外の庭はまだ造成中です。
    エクステリアは外注ではなく自分でと、義弟の苦楽はまだまだ続きます。
    外で作業してて大工さんとよく間違えられてるそうです。





    エソラとゆうりは、食欲よりお年玉プレゼントでもらったおもちゃで頭がいっぱい。




    屋上からは四方八方360度の景観が楽しめます。
    東には大阪と奈良の境界にある生駒山、二上山、葛城山、金剛山の連なりが見晴かせました。

    夏にはPLの花火が完全に見えるローケーションです。
    今からBBQパーティが楽しみです。

    追記
    新年のご挨拶に行きつけのブログ巡回してて、
    hideponさんのブログで 、初めて知った故事成語「常山の蛇勢」
    新年のご挨拶タイトルに追加させてもらいました。

    今年初めての検索です
    「常山の蛇勢」とは
    出典 『孫子』九地
    読み方 ジョウザンノダセイ
    常山にすむ蛇は、首を打たれれば尾が助け、尾を打たれれば首が、胴を打たれれば首と尾とが一致して助けた
    (1)〔晋書(桓温伝)〕先陣と後陣、左翼と右翼などが互いに相応じて攻撃・防御し、敵が乗じることのできないようにする陣法
    (2)文章などが前後相呼応していることにもいう


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  • 01/03/13--03:49: 南南東へ初歩き


  • 今年は医療費節約のためにも、走りこんで体力つける予定でした。
    しかし無理したらあかん、歩いたほうがいいと言われました。
    素直に従い早速、昨日2日の事始に初歩きをしてきました。

    同じ歩き始めるのなら、今年の恵方といわれる南南東に向けて!
    地図で確認したら、守口市寺方元町の産須那(うぶすな)神社

    朝から食べたり飲んだりしながら箱根駅伝中継ずっと見てました。
    ようやく身支度整って出発したのは15:15になってた。

    10分少々で産須那神社到着。

    牛像はおられるから天神さんかなとは思いましたが由緒書き見つからなかったので、
    社務所でお尋ねしたら、やっぱり産須那神社の祭神は菅原道真公でした。

    この楠の大木はぐるりを歩くと13歩ぐらいありました。
    樹齢400〜500年ぐらいでしょうか。

    守口や門真には楠のご神木たくさん見られ、菅原道真を祀った神社も多いようです。

    7分ほど滞在して、




    西三荘と鶴見緑地をつなぐゆとりの道を歩きました。
    途中で目に留まった銅像、三番叟のアレンジでおめでたいなとパチリ。



    守口近辺の古地図を掲示板に貼られているのを発見。
    いつもママチャリで疾走してるけど、歩くとスピードが落ちていろんなものが目に留まる。





    橋波東之町の天乃神社に初参詣。
    今まで何度もこの前を通ったことはあったけれど、鳥居をくぐりご挨拶したのは初めてです。
    祭神は、素盞嗚尊・ 誉田別尊 ( ほんだわけのみこと ) ・菅原道真公
    天乃は天農とも書かれ、江戸時代には天神社・天神宮と呼ばれていました。

    このへんで約1時間経過。
    普段から歩くスピードは早いので、おそらく1万歩は歩いたと思います。
    かなり疲れてきたけれど、この機会にもう1社探してみようと
    橋波西之町にあると聞く市杵島(いちきしま)神社へ。

    昔からの古い集落で、細い小道が曲がりくねる。
    とても見つからないからあきらめよう
    京阪デパートの駐車場あたりへ出ようと歩いていたら、民家の間に鎮座してました!




    なんで守口に市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を単独で祀る社があるんだろう。

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    正月前に作った寄せ植えの水仙が見事です。

    今日は二十四節気の小寒、さすがに寒い。
    冬の花はけなげで力強い。

    春さきから初夏にかけて 花が開くことを知らせる 花信風
    小寒から穀雨までを八気二十四候に分け、それぞれに新たな風が吹くとして、
    それに応じて花を配したのが【二十四番花信風】

    ・小寒
      1/06 梅・1/11 山茶(椿・つばき)・1/16 水仙
    ・大寒
      1/21 瑞香(沈丁花・じんちょうげ)・1/25 蘭・1/30 山礬(灰木・はいのき)
    ・立春
      2/04 迎春(黄梅)・2/09 桜桃(山桜桃・ゆすらうめ)・2/14 望春(辛夷・こぶし)
    ・雨水
      2/19 菜(菜の花)・2/24 杏・2/29 李
    ・啓蟄
      3/05 桃・3/10 棣堂(山吹・やまぶき)・3/15 薔薇
    ・春分
      3/20 海棠・3/25 梨・3/30 木蓮
    ・清明
      4/04 桐・4/09 麦・4/14 柳
    ・穀雨
      4/20 牡丹・4/25 荼靡(頭巾薔薇・ときんいばら)・4/30 楝(栴檀・せんだん)


    ウォーキング2日目(1/3)は5000歩ぐらい歩きました。
    国道1号線沿いの淀川工業高校側から、元サンヨー本社、現パナソニック



    守居神社


    祭神:素盞嗚尊、賀茂別雷神
    延喜18年(918年)淀川に大洪水があったとき、
    西南石礫の渕で「我天道神也、我を祀れ」と振鈴の声で告があったため、
    素盞嗚太神・賀茂別雷神の二神を「土上(どじょう)に居(す)え」
    淀川流域の守護神として祀ったのが、創始であると伝わる。
    天文13年(1544年)に発生した淀川の大洪水によって、社殿が破損・流失。
    昭和9年(1934年)の室戸台風により再び社殿が損壊。

    境内拝殿右側に恵比須人形
    淡路島阿那賀の民家屋内に百数十年祀られていたという、



    高瀬神社


    祭神:天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)
    聖武天皇の御代、高瀬川のほとりに行基により鎮座。
    この地は古くより交通の要所で淀川舟運の拠点として開けてきたため、
    度々時の政権の争いの場となり、高瀬神社も興廃の歴史を繰り返してきた。




    男女ともに厄年の最後は還暦です。
    それで今年は地域の神様めぐりで、まず近場の神社からご挨拶に参上しています。

    1/1 おおえだ神社
    1/2 うぶすな神社 あまの神社 いちきしま神社
    1/3 もりい神社 たかせ神社





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  • 01/06/13--04:44: 伏見神宝で小吉(^^♪
  • 1年前、伏見稲荷へ初詣いっておみくじひいたら「凶後吉」にガ〜ンの日記書きました→2012年1月4日

    旅だちは「いきてかえらず」におののきました。
    伏見稲荷奥社だけで賜れる「身代わり守護」のお守り
    旅立つ時は常に持って行き、無事にかえってこれました。

    今年は、伏見神宝(ふしみかんだから)神社で
    み〜さんの土偶のおみくじひいたら「小吉」にランクアップしてやれやれ。

    1月4日晴天なれど空気冷たし
    午後1時過ぎにアズキさんと例年通り伏見稲荷へ初詣。



    今年は稲荷山のどこかに鎮座するという伏見神宝神社へも行く予定。
    2012年辰年の伏見稲荷初詣のあと調べていて、
    狛犬ならぬ狛龍が護る伏見神宝神社を発見し、いつかフィールド調査行きたいと思っていたのでした。






    伏見稲荷大社参拝図などで確認するも伏見神寶神社は載ってません。
    奥社奉拝所でお参りすませ、
    左手にお山に登る鳥居が始まります。

    ほんの10mも行かないうちに
    鳥居が途切れた部分があり、右手に標識があります。
    うっかりすると見過ごします。
    山道を数分登るのですが、ほんとにこれで合ってるのか不安になる山道でした。

    以下画像ともにピンボケですが、クリックで拡大します
      





    続く



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    神社を護る狛犬、伏見神宝神社では龍です。
    龍は、天に昇り地に宝珠を持ち帰って、宝珠を保持守護するともいわれ
    右の「天龍」は金の宝珠を持ってます。


    左が地龍


    ネット検索してたら天龍が辰で、地龍が巳、らしい。

    丹後の籠神社奥社である真奈井神社も龍でした→


    お正月3が日の参拝者数が全国でbest5に入る伏見稲荷大社。
    4日ならきっとすいてるだろうと出かけましたが、予想は甘く、まだまだ大賑わいでした。

    しかしほんの少し鳥居からそれて山の中に入った伏見神宝神社は別世界。
    辺りは静謐ですぐ下に伏見稲荷があるとは思えない。
    かぐや姫ゆかりの神社でもあり、神社の裏は杜ではなく竹林で、
    竹林の静宮といわれるゆえんです。


    伏見稲荷の境内図には載ってませんし、
    奥社からお山へ続く鳥居の途中にある案内図は目立たず見過ごします。
    そして何よりも伏見神宝神社の存在を知る人は少ないので参詣者もまばらです。
    子供の頃からず〜っと伏見稲荷にお参りに来てるアズキさんも知らなかったんだから。


    境内あちこちにぶら下がる叶雛がめずらしい。
    千代紙を折った雛形の裏側にに祈祷文を書いて奉納します。
    他ではあまり見かけないお守りとかお札もありました。



    同行のアズキさんがブログ載せてた画像をもらってきました。
    渦巻き模様は龍の口から吹きだす火炎がモチーフの魔よけだそうです。

    かぐや姫に龍の玉を所望された大伴の大納言の像もありました。
    「龍の頸に五色に光る玉あり、それをとりて給へ」



    大伴大納言像に正対して摂社「龍頭社」では竜頭大神が祀られています。


    竜頭をリュウズと読むのは腕時計のねじを巻く竜頭と同じですね。

    かぐや姫にも由来するご祭神となるのは、
    西陣織りの横糸をかける金具を意味することから衣を守護する神に。

    山の地主神とも言われ、その場は稲荷山を遥拝する位置となっています。
    東山三十六峰の最南端で、稲荷山の一の峰・二の峰・三の峰の西にあたります。
    稲荷三峰から稲荷三座が下ろされ里宮に祀られる以前、
    神宝神社は円山の名の示すように、重要な祭礼をおこなう場所だったようです。

    笹に覆われた旧蹟丸山(伝法岡)と称する頂きです。
    神社の所在地は伏見区深草笹山町15



    天照大御神を主祭として稲荷大神を配祠、十種の神宝を奉安。
    創祀は平安期にさかのぼり、かつて稲荷山上に祀られていた頃よりの奉拝所であったと云う。
    仁和年間(885〜89)宇多天皇は、大神宝使を発遣するなど皇室の信仰も篤かったが、
    天正17年(1589)に里宮が造営されるとともに寂れていった。
    昭和32年(1957)に再建される。

    社名の「神宝」は、物部氏の祖神・饒速日尊が天上よりもたらしたとされる。
    鏡は大極と小極、
    剣は破邪顕正の勇気をあらわし邪気を払い英知導く、
    玉は四魂をととのえ、
    比礼は天地と宇宙並びに人体を浄めて神人一致への作用を結ぶ働きを示し、
    秘文(ひふみ)と共に古代より今日に伝えられ
    天地の摂理と数多の奇蹟の中に遍く信仰されつつ、無限の愛の光麗しく今も天地を照らし守り続け給ふ御宮であります。


    伏見神宝(ふしみかんだから)神社は、十種の神宝(とくさのかんだから)を奉安することからつけられた名前です。
    最初からその名前だったのでしょうか?
    いつから十種の神宝が奉安されてるのでしょう?

    一般的に、十種神宝の行方として、以下2社の名前がよくあがります。

    石上神宮 天理市布留町384
    楯原神社 大阪市平野区喜連6丁目

    石上神宮に伝わる鎮魂法では「ひふみの祓詞」や十種神宝の名前を唱えます。
    楯原神社内の神寶十種之宮には、町の古道具屋で発見されたという十種神宝が祀られているそうです。
    石上神宮側から返還要請があったにもかかわらず、返していないという。

    真相はいかに…


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  • 01/07/13--12:42: 自分へのお年玉

  • 昨日、大日イオンカルディで買ったささやかな、自分へのお年玉
    フランス製Vals炭酸水 189円
    ベルギー製ベルジャンオレンジピール入りビターチョコレート 238円
    オランダ製メルバアップルパイクッキー 340円
    スエーデン製ニーオーケッシュジンジャークッキー 198円
    〆て965円なり


    (画像左側の黒い塊は偵察中のもぐちゃん)
    ユニクロの暖パン、裏フリースで暖かい
    1990円が土日特価で1290円、つい2枚も大人買いしてしまった。


    もちろんギズモともぐちゃんにも買いましたよ。
    シーバデュオが普段なら348〜398円のが298円と特価してました。
    これを目あてに大日イオンへママチャリで行ったのでした。

    そしてイオンに駐輪してウォーキングで向かった先は




    白山神社(しらやまじんじゃ)

    守口市大日町2丁目31−1
    大きな楠など茂っていていかにも鎮守の森のお社なのに
    細い路地がくねくね続く町中で見つけるの苦労しました。

    淀川の堤防の守り神として祀られたようです。
    祭神は、伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冉命(いざなみのみこと)
    菊理媛命(くくりひめのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)
    経津主命(ふつぬしのみこと)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)
    なんかすご〜い神様いっぱいです。


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  • 01/08/13--16:00: スマホ18の約束
  • 備忘録として残しておきます。
    今朝のワイドショー「スッキリ」で見ました。

    昨日の東京新聞「こちら特報部」で、『スマホ18の約束』という記事が掲載されたそうです。
    クリスマスプレゼントとして思春期の息子にスマートフォンを贈るにあたり、「使用契約書」を子供との間に交わした内容がスゴイ。

    マサチューセッツ州のジャネル・ホフマンさんが独自に作られた18か条です。
    昔、幼稚園の砂場で学んだことは人生で役立つといった教育論もありました。
    アメリカ人って、ある意味きちんと物事考えてて偉いなと思えた。
    私が子供に携帯買い与える時、ここまでちゃんと伝えられなかった。

    スマホを契約して使用料を払い続けるのは母親であり、あなたではない。
    もし落としたりして壊したときは、自分のお金で修理しなさい。
    スマホは小型パソコンだから、ネットと繋がることの有意と危険を知らせ、スマホ主体ではなく自分主体で生きなさいと諄々とのべる。
    常に写真や動画を撮ることと、自分の心のシャッターを押すことの相違、
    これはブログしてる私への忠告でもありました。


    ネット検索で一部をひろってきました。
    これから仕事なので、詳しくお知りになりたい方はググッてみて。
    この18条の中には人生ググってばかりいないで、自分の頭で考えようという項もありましたけどね。

    ★この電話は私が買ったものです。
    ★学校には持って行けません。面と向かって会話してください。
    ★他人を騙したり、バカにしたりするためにこの機械を使用してはいけません。誰かを傷つけるような会話、悪口、いじめに加わってはいけません。
    ★面と向かって話せないような内容をメールしてはいけません。
    ★ポルノは禁止。もし、何かを知りたければ、私かパパに聞きなさい。
    ★公共の場では電話は切りなさい。特にレストランや映画館。
    ★大量の写真やビデオを撮らないで。自分自身の体験を大切に。そうした記憶は永遠に残るものよ。
    ★ゲームは言葉合わせ、パズル、脳トレ系を。
    ★携帯電話は生き物ではないし、あなたの一部でもない
    ★散歩に行きなさい。見知らぬ人に話しかけなさい。グーグル検索なしで、自分で思い悩んで。
    ★あなたは守れないでしょう。その時は電話を取り上げる。そして二人で話し合い、やり直しましょう。

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  • 01/09/13--04:40: えべっさん


  • 宵えびす行ってきました。



    出口に、不思議な人がいる @(*_*)@



    何か道ゆく人に渡してるので、手を出したら五円玉くれました。
    えべっさん?







    久しぶりに夜のえべっさん出かけたので、
    三年ぶりにづぼらやでてっちり食べました(^-^)/



    300円のステッカーは明日自転車に貼ります。



    もちろん大黒さんにも挨拶して、両参りしてきました。

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    昨夜宵えびすで今宮戎神社の出口でいただいた5円玉です。
    平成元年、暦で確認したら巳年、ふたまわり前のものでした。

    ご縁繋がりに感謝です。

    今朝ブログをあけて超びっくり、
    初めてアクセスIPが千の大台超えました!!!

    1月9日のアクセス数
    閲覧数 :1,992PV
    訪問者数:1,029IP
    順位: 352位 / 1,810,130ブログ中

    公開している日記なんだから、やっぱり多くの人に見ていただくとうれしいし
    続ける励みとなります。

    ちょうど1年前、2012年1月4日のアクセス数
    閲覧数 :2,047PV
    訪問者数:540IP
    順位: 902位 / 1,669,288ブログ中

    初めて500を超えて、gooブログ内で1000位以内
    「おみくじ凶後吉」に反応してご覧いただけたのでしょうかと記録残しています。
    結局この2012年は500を超えたのはこの日だけでしたけど。


    今年2013年1月9日は、朝9時前にTV見て「スマホ18の約束」
    夜10時前に「えべっさん」と二つの記事をエントリーしました。
    えべっさん様様です。



    笹につけてもらった縁起物
    例年通り予算1万円ですので、一つ1500円だから6個しか付けれません。

    七福神って、インドと中国の神様が三名づつで
    えべっさんだけが日本古来の神様だと聞いています。

    悲しいことに、偽装「質屋えびす」が暴利で捜索受けてると一昨夜のニュースで見ました。
    なんでよりによって「えびす」とつけたんだろう。
    えべっさんもエライ迷惑ですよね。
     

    商売繁盛で笹もってこい♪
    なんでえべっさんと笹はつながってるのかな〜
    暮れには笹神社というのに初めてであったし・・・
    何はともあれ めでたいので m(^^)m


    追記:「えびす 笹」で検索して見つけました

    今宮戎神社(大阪市浪速区)の禰宜(ねぎ)松原栄一さん談
    竹の枝は葉が落ちにくい。雪が積もっても、しなるだけで折れない。
    「古くから生命力の象徴として尊ばれており、縁起物になったのだろう」

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    お店に届けられた、御宝来、というそうです。
    ブログで繋がった方から、贈っていただけました。
    またまたご縁に感謝です。

    白へびさんで縁起よさそうで、今年は期待できますね。

    高野山別格本山・南院
    何度か高野山お参り行ったことありますがこれまで知りませんでした。
    近畿三十六不動尊霊場の結願のお寺でもあるようです。





    南院のウェブサイトによれば、
    縁起
    南院は東大寺の南院に住していた、子島真興僧都の建立。
    本尊浪切不動明王(重文)は、空海が唐から帰国の際、荒波を鎮めたという伝承をもっています。
    初め伽藍山王院に安置されていましたが、南院住職維範大徳の時(平安時代)に当院に移されました。
    将門の乱、元寇の役など国難のたびに霊威を示され、今尚、現世の「祈り」に徹する者には、絶大な御霊験を与えてくださいます。
    御本尊は山外不出の秘仏で、6月28日のみ御開帳します。
    当本堂は「祈り」の中心、護摩修行の道場です。

    「御宝来」縁起
    古来より宮中において、帛(えぎぬ)と申し素絹に朱筆をもって
    干支・宝珠などを画いて、新年の多幸を祈りました。
    高野山に伝わってより、特に清浄な白紙に絵を切りぬき、
    一ヶ年の福寿を祈る山外不出の行事として今日に及びました。
    17日間斎戒祈願してお贈りいたします。
    仏前、神前、床の間にかがけて本年の福寿と健康をお祈り下さい。
          護持法主 敬白


    1年後、この波切龍天井を見に、お礼参りに参詣したいです。


    福寿と健康、そして交通安全を願って、
    今宮戎神社のえべっさんステッカーは自転車に貼りました。
    これで今年1年安心安全に過ごせそう。



    やっぱり、えべっさん効果はすごいです。
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    いったい何が起こってるんだろう…

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    年末年始の暴飲暴食で知らず知らずに増えた体重を
    なんとしても今月中に1kg減量めざして!

    TMさんのブログ拝見してると、隅田川と荒川あたりもよく歩いておられます。
    昨夜もそうした記事読ませていただいて、刺激受けました。



    今日は午後から天気が崩れるとの予報だったので、
    朝10時半出発し、淀川堤防近くのスーパーに駐輪。
    下島地区から、鳥飼大橋近くの八雲地区まで往復約5kmを歩いてきました。





    途中、八坂瓊神社と八雲神社に参拝ご挨拶して、
    帰路スーパーで買い物して、家に着いたら12時半。
    約2時間のリフレッシュタイムでした。

    八坂瓊神社では不思議な出会いがあったので項をあらためて次回に。



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    急にカレー食べたくなったけど、肉がない!
    鍋キューブには鶏だしがギュッと詰まってるらしいから、
    じゃがいも、にんじん、たまねぎを乱切りして適当な分量の水と一緒に煮た。
    胡椒とあらびきガーリックを少々。
    柔らかくなったところで、横浜舶来亭のフレーク状カレールーを適当に。
    ケチャップと珈琲用フレッシュを足して出来上がり。

    あっという間にできて、肉無しでも充分コクのあるカレーでした。



    月曜日に夕方の報道番組で見て、これ買おうとスーパー行ったら
    ちょうど特価してたので、3種類全部買いました。

    一人鍋ならキューブ1個で180mlの水に野菜や肉など入れて煮るだけ。
    小芋を鶏だしうま塩キューブで煮て柚子味噌田楽もいけてました。

    まだ寄せ鍋しょうゆで雑炊も簡単にできそう。
    ピリ辛キムチでクッパも美味しそうだけど、ぼちぼち試してみます。

    鍋用液体スープは、買って持って帰るのも重いし、
    一度開封したら少人数では多すぎる。
    鍋キューブなら賞味期限も1年は持ちます。
    ほんとに世の中便利になりました。

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    1797年(寛政九年)の河繪圖の一部です。
    江戸時代の淀川の鳥飼大橋あたりが描かれています。

    淀川は大きな河川なので、なんとなくまっすぐ滔々と流れてるような気がしてた。

    今まで何度も淀川河川敷でバーベキューしたり子供駅伝とかで利用しました。
    その都度ある一部の河川敷利用で、堤防を長い距離歩いたことなかった。

    ところが昨日歩いた豊里大橋と鳥飼大橋の間で、
    カッキ〜ンと90度近く曲がってるって、初めて気づいた。
    知らんかったのは私だけか…。

    この記事、カテゴリーは古代史ミステリーに入れました。
    ミステリーではなくて事実なんでしょうが、
    現代人は知らない人が多いかもしれないと思ってのことです。


    古代の大阪平野は現在からは想像もつきません。
    なんで大阪より内陸部の奈良に都ができたのか子供の頃より不思議だった。
    この謎が古代の地形図を見て納得したので、
    このブログでも何度かこうした地図はご紹介してきました。

    そして今回はさらに淀川の流れがどのように変化したかを知り愕然。

    大阪府の、治水の歩みというページより古地図もらってきました。
    古代


    江戸時代


    現在



    淀川と国道1号線と京阪鉄道は守口近辺では平行して走っています。
    R1と京阪の中間に文禄堤があり、これは豊臣秀吉が整備した京街道です。
    淀川の堤防だったといわれ、守口市役所すぐ近くには船着場が残っています。
    土居にある守居神社は、淀川流域の守護神として此の地に土居を築き社殿を構えてお祀りされたのが創り
    1544年(天文十三年)7月9日に前代未聞の大洪水があり、大門鳥居流失し社殿失損宝殿流損
    そして同じく京阪電車の土居駅の南側にある高瀬神社は
    古くより交通の要所で淀川舟運の拠点として開けてきたと由緒に書かれてありました。

    淀川はどのように流れていたんだろうとずっと気になってました。
    国道1号線よりも現在、淀川に近い下島や八雲地区ってかつては川や中洲だったんだろうか?
    しかし淀川左岸の八雲地区には縄文時代から近世にいたる大規模遺跡があり多数の遺物が出土している。
    いったいどうなってるのか調べてみようと、
    思い立ったが吉日。

    江戸時代の地図の守口→七番、約2.5kmを歩いてきました。

    ネット検索で、邪馬台国と大和朝廷を推理するというサイトがヒットしました。
    「茨田の堤」というタイトルで章立てされてますので詳しくは→こちら
    流離の神社、行基の堀川、仁徳朝の悲願

    地形図から読み解く、水利事業から見えてくる歴史。
    学校では教えてくれない大阪の歴史がよくわかりました。

       
    クリックで拡大します。

    仁徳天皇時代に河川の大々的な工事がなされ、
    その形跡が「難波の堀江」や、「茨田の堤」など遺されています。
    江戸時代に大和川の付け替え工事がなされ洪水がなくなったのは、河村瑞賢のおかげとか、
    かすかに日本史で習ったような気がします。

    この5年間、日本の古代史に興味をもつようになり、
    四天王寺さん近くの谷町筋で凹んだ部分があるのは、
    和気清麻呂が上町台地に掘り川を作ろうと掘削失敗した跡だと知り、へぇ〜!!

    和気清麻呂は淀川の流れを変えるためにもいろいろ工夫してたんですね。
    実はその前に、行基が淀川の水利事業で努力したことを知りもっと驚きました。
    行基の堀川」よりそのまま引用させてもらいます。

    「守口市の北部では淀川が大きく湾曲し、淀川水運における難所として知られていました。
    淀川流域では、冬はもちろんのこと年間を通じて西風の吹く日が多いような気がします。
    淀川をさかのぼる船はこの風を利用しました。
    ところが守口の湾曲部では西風が逆風になって、船の進行を妨げました。
    特に冬は逆風がきつかったと思います。
    そこで、湾曲部の横に、直線的なバイパス堀川を掘りました。
    それが大庭の堀川です。
    もし大庭の堀川が完成していれば、守口の難所は解消したはずでした。
    残念ながら今、大庭に堀川が残っていません。
    いかなる事情があったのかはわかりませんが、工事は完成しなかったと思われます。

    吹田の堀川は、守口から都島区毛馬に至る川だと思います。
    これは今の淀川にほぼ重なります。
    ここでは堀川が淀川本流になってそのまま残ったのです。
    次田は誤字でしょう。今の吹田市のこととされています。
    この堀川によって、南の蒲生方面へ大きく蛇行していた淀川の流れを短く直線化することができました。
    さらに、守口から蒲生に至る古い川を埋めれば、淀川と大和川を分離することになったはずです。
    おそらく古い川は、この時埋められたのです。」



    「行基の堀川には三つの目的がありました。
    一つは淀川と大和川を遠ざけることです。
    二つ目は淀川の流れを直線的にして、すみやかに海に流すことでした。
    さらに、水運の利便性を高めることも考えられていました。
    行基のアイデアは、完全には実現しませんでした。
    ようやく明治時代になって、オランダ人のヨハネス・デレーケが淀川放水路を作ったときに、そのアイデアが引き継がれ、ほぼ完全に実現しました。
    ヨハネス・デレーケは行基のアイデアを全く知らなかったと思いますが、
    淀川と人々のかかわりを理解したからこそ、同じ結論を得たのでしょう。」




    堺市の百舌鳥八幡にある家原寺は行基(668〜749)菩薩生誕の寺。
    智恵の文殊さんを祀られてるので、受験の時はいつもお参りに行った懐かしいお寺です。

    さすが知恵の文殊さん、行基さん、すごいわぁ


    仁徳天皇(313-399)第16代天皇
    行基(668〜749)奈良時代の僧 溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所
    和気清麻呂(733〜799)奈良時代末期から平安時代初期の貴族


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    単に歩くだけよりは、自分が暮らす町の全部の神社に挨拶まわろうと
    元旦早々のナイスな思いつきは着実にこなしています。

    残すはあと4社、ほぼ淀川沿いにあり我が家からは少し距離がある。

    八雲神社…守口市八雲北町2-15-1
    八坂瓊神社…守口市大庭町2-93
    津島部神社…守口市金田(きんだ)町6-15-6
    佐太神社…守口市佐太中町7-16-25

    いかにもという名前のそうそうたる神社です。
    名前からして前々から気になってたものの足を運ぶまでには至らず数年経過してました。



    13(日)淀川堤ウォーキングで目指した神社は八雲神社と八坂瓊神社。
    手っ取り早く行くなら堤防下の町中の道ですが
    土曜夜TMさんのブログ見て、堤防を歩こうと思い立ちました。
    土手の高くなった堤防からは景色がよく見えて気持ちよく歩けました。

    江戸時代の古地図、7番の地に八坂瓊神社があります。
    かつて大庭7番は、現在住所 大庭町2-93 になっています。

    ←クリックで拡大します

    最初の画像、鳥居右下に大庭7番の石柱が立ってます。

    2007年の暑かった夏のある日、
    地域の有力者であられる木村さんに八雲地区を案内してもらいました。
    途中でこの神社境内で休憩したことをありありと思い出します。
    その木村隆義氏は来月叙勲の栄誉に輝かれお祝いの会を催されます。
    出欠の返事出さないといけないのに、
    大阪市内で夜の宴、なんとなく敷居が高く返事をためらっていました。



    庭窪レストセンターから堤を降りて八坂瓊神社に到着。


    奉賛会の皆さんが5,6人で掃除されてました。
    宮司さんが在住の神社ではないので、たまたまこの13(日)午前中にとんど焼きが行なわれていたそうです。
    ちょうどその集団の中に木村先生がおられ、ばったり遭遇。





    本殿の扉が開いていて、こちら祭神のスサノオに招かれたかなと気分上々。
    右手の神輿は1640年のものだとお聞きしました。

    1615年(元和元年)大坂夏の陣の兵火に遭って焼失
    1623年(元和9年)に藤原朝臣・赤楚藤兵衛が社殿を造営
    1663年(寛文3年)銘の石燈篭と、1723年(享保8年)銘の鳥居


    神社の由緒
    「創立の年代は詳かせないが、畴昔より鎮座されていた京都祇園の八坂神社の御祭神を勧請したと伝えられている。
    文化十四年(一八一七)九月二十日より、京都葉室殿の御祈願所となり、
    毎年例祭には葉室殿より高張提灯御杖附二張、御膳一膳、青銅一貫匁を供進せられた。
    中略
    境内地は一、一二二平方米を有し、境内末社に稲荷神社、開墾神社を祀っている。
    開墾神社は由緒書(社蔵文書)に「往昔より鎮座あり、河内国川流の後葭草の処、村人二十四名相互に土地を開墾し、五穀を蒔付くるに、繁茂成熟して種実を得るに至る。
    彼此境界無く殆んど分界し難し依って磅爾を設け立て名を道祖神と仰ぎ奉祀す」

    葉室殿って、だれ?
    八坂瓊(やさかに)って、三種の神器の中で唯一皇居に実物がある八尺瓊勾玉と関係あるの?

    興味はつきません。



    八雲神社





    元は、旧八番村・北十番村・下島村・南十番村の氏神さん。
    祭神を牛頭天王(すさのおの尊)・八幡宮(応神天皇)・天満宮(菅原道真)の三神としていることから三社権現と呼ばれた


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    大阪城公園南東角に、9時集合。
    280名位の参加者だそうです。



    玉造稲荷神社で祈祷うけてから出発、







    一緒に参加した連れが一時間歩いてリタイヤ。
    この辺りで半分、6kmは歩いた頃が一番しんどかった(ーー;)


    あちこちの旧跡などで、皆さん撮影されます。
    江戸時代、街道を通る大名の休憩場所として使われた旧家。



    千円の会費で、予想以上のお弁当を
    荒本西公園でいただき、12:45出発。





    今日のゴールは花園ラグビー場。
    また、来月続きを歩きます(^-^)/


    0 0
  • 01/19/13--16:10: 88観光の88ナンバー


  • 地域の公民館主催初詣日帰りバスツアーで、
    若狭の国と敦賀の国の一の宮を参詣してきました。

    集合場所でど派手なピンクのバス見てちょっとびっくりして、
    ナンバープレート88とバス会社88観光でさらに驚いた。

    2008年8月8日→こちら
    出雲大社本殿もうすぐ中に入れます、と携帯からブログ投稿。

    その同じ時間帯、同じく出雲大社の境内におられたいやさかの木さん。
    ネット検索でブログたどり着いたときはへぇ〜、でした。
    神々が動いている→こちら

    あれから88事象に取り込まれ…
    すっかり神社フリークになってしまったのだった。




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    想像以上に立派な昼食で皆さん大満足。

    すぐ目の前にきれいな砂浜が広がり海水浴場のようでした。

    大きな松の右手ガラスの建物が、昼食をいただいた「いたや」さんです。

    海のものが新鮮で美味しかった。
    焼き鯖のお寿司も名物で、いわゆる鯖街道に沿って、
    今日お参りした若狭の国一の宮 
    若狭彦神社(上社)・若狭姫神社(下社)がありました。




    御食国とは、超簡単に言えば、天皇の食料を献上する国のこと。
    万葉集にもでてきますし、
    藤原京跡や平城京跡より出土した多量の木簡から、
    若狭国・志摩国・淡路国などが御食国と推定されています。

    以下のような特徴があるそうです。

    これらの国が田畑の少なさにもかかわらず一国として成立していた
    海産物が豊富にとれ、中央政府のあった畿内に地理的に近い
    膳氏(高橋氏)や阿曇氏(安曇氏)との関わりが深い

    かつて御食国だった地域では、「御食国」という言葉を一種のブランドとして観光振興に役立てています。

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    若狭一の宮は上社と下社の総称です
    上社は、若狭彦神社、下社は、若狭姫神社と呼ばれます。

    祭神は、彦神社は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと・山幸彦)
    姫神社は豊玉姫命(とよたまひめみこと・乙姫)

    今回のツアー参加者全員が初めての神社です。
    それほど遠くはない大阪からでもこのデータ。
    おそらく今後もめったに訪れることはなさそうなので
    ネットでバーチャルお参りしていただきましょう。

    *去年夏に舞鶴若狭道が小浜までつながったので行きやすくなりました。
    現在、小浜-敦賀間は工事中で全線開通ももうすぐ。




    まずは上社の若狭彦神社から
























    本殿右手の若宮神社にはウガヤフキアエズが祀られていました。


    神紋は「宝珠に波」
    祭神の彦火火出見尊(山幸彦)が龍宮から帰るときに賜った潮を自在に操る玉



    彦神社は和銅7年(714)遠敷郡下根来村白石に創られました。
    東大寺の開祖である良弁僧正(ろうべん 689-773)の生誕地です。
    霊亀元年(715)現在の地に遷社したとされています。

    若狭彦大神は、白石の上に始めて垂迹し、その姿は唐人のようであったといわれる。
    その白石の下にある鵜ノ瀬と呼ばれる淵は、東大寺二月堂の閼加井に通じているのだとか。
    現在、その地には白石神社が祀られています。


    奈良時代以降、若狭湾に面し海の幸に恵まれた若狭一帯は、
    天皇家の食料である 御贄(みにえ)を送る御食国(みけつくに)として重要な役割を果たしてきました。

    平安時代に入ると海上交通の要地となり、
    海を隔てて向き合う大陸や朝鮮半島をはじめ、日本各地から多くの文物が流入し小浜と京の都を結びました。

    室町時代足利義満の時代には、象とダチョウがこの小浜から初めて日本上陸したとか。

    出雲の国や越の国と繋がり、緒戦半島、さらにはインドの象までやってきた小浜。

    良弁僧正は若狭神宮寺の資料によれば、
    秦氏の出で、秦常満という長者の一子であったそう。
    神童の呼び声が高かったため、神宮寺開祖の和赤麿が大和へ連れて行き、
    当時第一の名僧であった法相宗の義淵僧正に預け弟子にしてもらったらしい。

    先の御食国のところでも触れましたが、安曇氏と関係深いとか秦氏とか、ふ〜ん…

    若狭彦若狭姫はこの地の開拓の上として、
    上社で火を、下社で水を司るのだそうで、両社参りでご利益あると。

    なんでしかし、この若狭の地に
    海幸彦山幸彦の神話に出てくる神様が祀られているのでしょう。

    彦火々出見尊 ひこほほでみのみこと →以下ホホデミと略す
    豊玉毘売命 とよたまひめのみこと→トヨタマヒメ
    鵜葺草葺不合命 うがやふきあえずのみこと→ウガヤフキアエズ

    火遠理命(山幸彦)ホホデミが、兄である火照命(海幸彦)ホデリの釣針をなくして海神宮を訪れた。
    そこで結婚したのが、海神の娘であるトヨタマヒメ。
    鯛の喉にかかっている釣針がやっと見つかったし、三年も過ぎてるし、
    ホホデミは帰還することになり、塩満玉・塩乾玉という二つの玉を授けられた。
    トヨタマヒメは天神の子を宿したことを知り、海辺の渚に鵜の羽を茅葺きの材料として産屋を作り出産する。
    ホホデミは禁止されていたにもかかわらず産屋を覗き見ると、トヨタマヒメの姿は八尋和迩(鰐)となっていた。
    姿を見られたことを恥じたヒメはウガヤフキアエズを出産後、海神の国との境界を閉じて海神宮へ帰ってしまった。

    トヨタマヒメにに代わって、 その妹であるタマヨリヒメに育てられたウガヤフキアエズ。
    後にタマヨリヒメと結ばれ、神武天皇の父となる。


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