不思議なねじれ杉巨木@瀧原宮 の続きです。
川で禊して参拝するにも順番があります。
正式な参拝の順番
0:「御手洗場」か、瀧原宮の境内に流れる「頓戸(とんど)川」で手(口)を清めます。
1:瀧原宮
2:瀧原並宮
3:若宮神社
4:長由介神社(川島神社)
瀧原宮(たきはらのみや)
主祭神:天照大御神の御魂「和魂(にぎみたま)」
瀧原並宮(たきはらならびのみや)
主祭神:天照大御神の御魂「荒魂(あらみたま)」
「瀧原宮(和魂)」と「瀧原竝宮(荒魂)」2つの社で、「天照大御神の御魂」を祀られています。
内宮の雛形であったとも云われ「大神の遥宮(おおかみの とおのみや)」と呼ばれます。
神宮のサイトによれば
「瀧原宮、瀧原並宮とも天照大御神の御魂をお祀りし、古くから「遙宮」として崇敬を集めています。
瀧原宮は二つの別宮が並立しており、また御船倉を有するなど他の別宮と異なる点が多々あります。
神域内の樹齢数百年を越える杉の木立に囲まれた参道と谷水の流れを利用した御手洗場は内宮を連想させ、神代の昔に誘います。
お参りは瀧原宮、瀧原並宮の順にされるのが一般的です。」
御船代(みふなしろ)ってこんなんらしいです。
由緒と沿革
「瀧原宮、瀧原並宮のご鎮座の由緒は大変古く、『倭姫命世記』によると約2000年前まで遡ります。第11代垂仁天皇の皇女倭姫命が、御杖代として天照大御神を奉戴して、ご鎮座の地を求めて、宮川下流の磯宮をお発ちになり、上流の方にお進みになると、「大河の瀧原の国」という美しい土地があり、この地に二宇の宮殿を造立されたのが起源とされます。
このとき、宮川の急流に困られたご一行を真奈胡神がお出迎えをしてお渡ししたため、倭姫命はその場所に真奈胡神をまつる御瀬社をお定めになりました。これが今の皇大神宮摂社多岐原神社です。瀧原宮の下流約6km、大宮町三瀬川の宮川のほとりに鎮座されています。そこには近年まで熊野街道の「三瀬の渡し」がありました。」
太字はこのブログ管理人が行いました。
宮川下流の磯宮って、宮川を下れば外宮。
磯宮に注目すれば伊雑宮のことなんでしょうか?
真奈胡神ってどなた?
若宮神社
若宮神社は、瀧原宮の東、石段を上がった場所に立つ所管社。
ご祭神は詳らかではなく、天水分神(あめのみくまりのかみ)との伝説が残ります。
南向きに鎮座し、社殿の左手に御船倉(みふなくら)が並ぶのに、画像に残ってませんでした。
なぜかあえてその建物を外して撮影してました。
御船倉は倭姫命が使用した御船が納められているとされます。
若宮神社へあがる階段右手に長由介神社(川島神社)
由緒は古いとされていますが、詳細は不明。
私たちは、階段上がった一番高いところにある若宮神社がとても気になりました。
若宮ってどなた?
天水分神との伝説も残されるそうですが、さらに別名があり、古来では「天若宮」とも呼ばれていたそうです。
長由介神社(川島神社)も含め、真奈胡神に関係あるのでしょうか?
真奈胡神を祀る御瀬社は、瀧原宮の下流約6kmに鎮座する多岐原神社と書いてありますが。
真奈胡神でググってみると、
真奈胡神とはいかなる存在か。
ここに興味深いことが書かれてありました。
>真奈胡神は海中に居て白色と関係あるとすれば、思い浮かぶのは神功皇后の三韓征伐の伝説に登場する「安曇の磯良」だ。…
真奈胡神の存在は、伊勢神宮の祭祀の成立を検証する手掛かりになる筈だ。
若宮(神社)わかみや とは
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説によれば、
「基本的には本宮の摂・末社として主祭神の御子(みこ)を神に祀る社をいうが、ときに本宮に対してその主神の分霊を勧請(かんじょう)した社を若宮といい、また非業の死を遂げた怨霊(おんりょう)を慰め鎮めるために祀った社を若宮と称する例も少なくない。」
瀧原宮
三重県度会郡大紀町872