10/27初めて越後一ノ宮弥彦神社を参拝しました。
以前からいつか行きたいと願ってました。
なかなか大阪から新潟へ旅する機会はありません。
同業者の皆さんも行ったことないと言われてました。
地図見るまで、弥彦山がこんな海岸べりにあるとは思いもよりませんでした。
交通網ご覧いただくとわかるように、なんかまっすぐ海岸線に平行してないのです。
新潟の平野の先に弥彦山がありその先は日本海で、対岸に佐渡島。
きっとフォッサマグナの地溝の動きと関係あるのかもしれません。
それよりも長岡の田中角栄の政治力でしょうか。
とりあえず新潟まで航空機で入りましたが、縦に長い新潟県を移動するのが大変。
旅の二日目、村上市からジャンボタクシーで弥彦村へ。
11/1からの菊まつりに備えて、菊の開花を調整されてるそうです。
社務所で丁寧にご説明いただき、限りある時間皆を待たせてたので撮影する時間無くなってしまった。
参道中ほどの神橋「玉の橋」
明治45年の弥彦大火で、門前町を始め正面鳥居からご本殿まですべて炎上し境内建築物全部が失われました。
唯一、神橋「玉の橋」だけが炎上の難を免れた明治の遺構だそうです。
もともと本殿は現在の宝物殿あたりにあったそうで、昔は南向き、現在は弥彦山を背にしています。
彌彦神社の祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)。
天照大御神の曾孫です。
神武東征に功績をたて、越の国開拓の命をうけ、漁業・製塩・農耕・酒造等越後産業文化の礎を築いたという。
稲作りや、越後ならではの酒造り、塩の作り方、網を使って魚を取る方法を指導、はたまた蛮族を平定もした。
越後の人々を見守って、助け導いて、
伊夜比古神(弥彦神)はおやひこさまと呼ばれて崇敬を受けています。
「弥彦の神」が片目で「海を渡って野積の 海岸に上陸し、越後を開拓した」との伝承があるそうです。
製鉄と関連付けられる大江山の酒呑童子の生まれが弥彦山 というのも「鉄」と関係ありそう。
酒呑童子は、弥彦周辺の岩室町和納、国上寺周辺の分水に出生伝説が地元に伝わり、今でも童子屋敷・童子田など地名や、自分の姿を映したという「鏡井戸」の井戸名としてその事跡を残しているそうです。
この天香山命は、元の名を高倉下命(たかくらじのみこと)
天孫降臨のときに紀伊の国の熊野に降り、神倉神社に祀られてました。
2014-07-08 ゴトビキ岩で思いもよらぬことが
2014-07-09 神倉神社★熊野の根本聖地である神倉山
あのとき、石段で足を滑らせ、もうちょっとですってんころりんが鳥居で助けてもらいました。
とてもありがたいお気に入りの神様でした。
高倉下命は、神武東征のとき、熊野の荒々しい神様の毒気で意識を失った神武天皇一行を霊剣で助けました。
高倉下命の献上した霊剣「ふつのみたま」により神武軍は蘇ったのです。
そして大和に神武天皇を案内して大和朝廷が成立し、越後の開拓の命令をうけました。
で、弥彦山の頂上を「神剣峰(みつるぎのみね)」って呼ぶのですね。
霊剣「ふつのみたま」といえば、大和の石上神宮、ここも大好きなお宮さんです。
彌彦神社は、宮中祭祀と同様鎮魂祭を行うことで有名なんだそうです。
このほかに鎮魂祭を行う神社は、石上神宮・島根の物部神社ですって。
祭神である天香語山命がニギハヤヒの子であるからなんでしょうか。
あとその他に、弥彦神社がちょっと違ってることは、
二礼四拍手一礼
出雲や宇佐と一緒ですね。
私の大好きな、富田林の美具久留御魂神社もそうです。