大海、ダイカイと読みます。
神社覈録1870には「於保和多都美・オオワタツミと訓べし」とあるそうで、ネット検索ではオオワタツミ神社というのも見ました。
この正面の鳥居は帰るときにくぐり撮影したもので、左側から境内に入りました。
生根神社は少彦名神を祀られているので、ギズモの安寧を願って参拝しようと思いました。
そこからすぐ南に、大海神社は鎮座していました。
住吉大社境内の東北隅にあるも、つい最近まで全く知らなかった。
今まで何度も子供の頃から参拝しているにもかかわらず、です。
たいていの参拝者は、路面電車の住吉大社鳥居前駅で降りたら正面の西鳥居の目の前。
車なら駐車場が南側にあるので、どうしても青い線あたりを参拝されると思います。
大海神社は祈祷殿、神楽殿の裏側(境内北)にあるため意識しないとわかりません。
その存在が急に目に留まったことは、お呼びになられたということにしましょうか。
これもまた、ありてある、のかも。
生根神社より南に下り境内に入り
手水舎、雨降ってて撮影失念したので、住吉大社公式サイトより画像もらってきました。
「玉の井」という井戸の底には海幸山幸の物語で登場する「潮満珠」があるといわれています。
住吉大社摂社大海神社本殿
江戸中期宝永5年(1708)造営
正規の住吉造社殿としては、本社本殿(国宝)より古い。
社殿の西方前面は「玉出嶋」の旧蹟で最も神秘な庭とされている、
とこの記事投稿に当たり調べていてみました。
確かに静謐なりんとした空気が漂っていました。
きらびやかな内陣も立派で格が高そう。
大海(だいかい)神社
大阪市住吉区住吉 2-9-89
北緯34度36分49秒,東経135度29分37秒
鎮座地古来より不変
この地の西方は昔は崖をなしていて海であつたと考えられ、西方海を望む景勝の地であつて、現在も神門の前は坂をなして傾斜の石段がつけられている。
現代の祭神 豊玉彦命 豊玉姫命
神の変遷
古く、住吉の神は目に見える現人神(アラヒトガミ)として顕れることがあり・・・
同行の連れは、大阪に生まれ育ちすぐ近くの大学に通ってはいたけど、住吉大社初参拝とのこと。
太鼓橋から渡りましょうと正面から。
参拝終えて、西南角の時計台越しに住吉大社を見ても、大海神社はどこにあるかわかりませんね。
境内図でも意識に上らない表示だったと思います。
住吉大社鎮座以前からの、ということをあまり大きく打ち出したくないような。
参拝後の楽しみは、やろくの名物玉子コロッケ。
創業1935年(昭和10)ですって。
私たちは11時半に入店したのですぐ席につけましたが、次々と来店者が続きました。