黒髪山稲荷神社です。
どこにあるかというと
グーグルマイマップで地図作成してみました→こちら
ちゃんとリンク開くかな・・・
ドリームランド跡地の東側塀に沿って上っていくと京都府に入るまで奈保山東陵があります。
元正天皇と元明天皇お2人の御陵です。
佐保ゴルフセンター手前で右に入る小道を進みますと、わりとすぐに石碑群が目に留まりました。
左側から、碑銘のない岩と小さな祠
「豊國大明神」と書かれた石碑
「石母」と書かれた石碑
「正一位黒住大明神」と書かれた石碑
右側に建物があり板塀前に「史跡大黒芝 佐保山西陵七ツ石」と書かれた案内板
左端には、聖武天皇生母藤原宮子后宮墓陵石とも書かれてあります。
とりあえず目に付くままに適当に撮影したけど、七つないやん。
ほかに「豊川大明神」と「玉井大明神」があるらしいけど記憶にない。
なんか長居したくない感じでそそくさと写真とった。
板塀に「史跡黒髪山」と、
和歌がひとつ 貼ってありました。
ぬば玉の 黒髪山の 山草に 小雨ふりしき しくしく 思ほゆ
柿本人麿呂の歌のようです。
先に進むと、その建物の先に赤い鳥居が見える。
ちょっと気持ち悪くて、鳥居の前でこんにちはだけ挨拶して撮影だけした。
きれいな光が入ってたので、念のためもう一枚。
やっぱり光が入ってるわと、前を歩く友人に追いついて、その画像を見せた。
ちゃんと挨拶せんと悪かったかなと気にしながらも先を急ぐ。
道路をまたぐ橋があって、黒髪橋。
僅か9年間の営業で1907年廃線になったかつての大仏鉄道の黒髪山トンネル跡は、昭和39年の道路拡張に伴い、山を切り開きトンネルは取り壊されたそうです。
さらに10分ほど歩いて、15:35 奈良豆比古神社到着。
今回、この記事を書くにあたり、調べていて、
黒髪山稲荷神社(奈良市奈良阪町2493)は、奈良豆比古神社の末社と知った。
20分ほど滞在して、奈良坂を下ろうとしたら、
正一位黒神大明神の道標見かけました。
黒髪山の名前の由来
開化天皇の孫に、狭穂彦と狭穂姫という兄妹がおられ、
妹の狭穂姫は、第十一代垂仁天皇の皇后になっておられた。
天皇位を狙っていた兄は妹に、謀判に荷担して天皇を殺すようそそのかすが、天皇を愛していた狭穂姫は天皇を殺すことが出来ず企てが露見する。
天皇は狭穂彦討伐の軍をおこし、狹穂姫は兄の軍に走る。
その時姫はみごもっていて、稲ゆぎ(稲を積んで造った応急の城)のなかで皇子を産まれた。
その皇子に誉津別命(ほむつわけのみこと)と命名して天皇方にお渡しし、
自らは追手から逃れるため、黒髪を切って山に埋め、古い衣をまとって逃去したという。
皇后が黒髪を埋めたところから、この山が黒髪山と呼ばれ、
稲城の古事から五穀の神「保食の神」を招請し、転じて稲荷になったと伝えられる。
悲劇の皇后も今は明るく五穀豊穰の神として、国や民衆を護ってくださっているのであろう。
佐賀県武雄市にも黒髪神社があって、
闇龗(おかみ)神(くらおかみのかみ)という雨をつかさどる神様を祀る由緒ある神社で、
「くろかみ」という名は「くらおかみ」に由来すると書かれてありました。
「クロカミの名前は岩上に鎮まる神の座、又、竜神であるクラオカミ神に由来する古語と考えられています」
【黒髪山の大蛇退治】の伝説も、水をつかさどる闇?(くらおかみ)という龍神信仰が変化したものと考えられます。
佐保山西陵はもともと黒髪山の西に。というブログには
「狭岡神社のさらに上の方に聖武天皇母藤原宮子佐保山西陵がある。・・・
聖武天皇生母藤原宮子后宮墓は、万葉集にも詠われた史跡「黒髪山」にある。
この辺一帯は佐保山地区古墳群と云われ、聖武天皇縁の御仁の陵が多く点在している。藤原宮子が眠る佐保山西陵はもともと黒髪山の西に位置していましたが奈良ドリームランドの開発により破壊されたようで、現在では「黒髪山」にその痕跡がある… 祠に納まったお地蔵さんの右隣が史跡「大黒芝」、佐保山西陵七ツ石、聖武天皇生母藤原宮子后宮墓稜石、中央に「石母」、右に「黒住大明神」、左に「豊國大明神」の大きな石碑が建っています。更にその右隣が、朱色の鳥居が12本建った「黒髪山稲荷神社」です。
黒髪山のクロカミは、「クラオカミ」の転じた言葉だとされます。「闇淤加美(くらおかみ)」とも書き、その別名を高龗神(たかおかみのかみ)と称します。龗(おかみ)とは龍神のことを意味し、「高」は山頂を、「闇(くら)」は谷をそれぞれ意味しています。
恵みの雨を降らし、長雨を止める神様として信仰されてきた龍神です。
シリウス神でもある… 」
大和眉間寺多宝塔というサイトの
2007/01/04追加:吉田東伍「増補 大日本地名辞書」 より
佐保山西陵
文武皇后藤原宮子姫(不比等女)の御陵なり、延喜式に列す。聖武陵の西北|大黒芝と称する地蓋其火葬所にして又山陵ならん。〔陵墓一隅抄〕今稲荷山とも呼び、七疋狐又犬石と呼ぶ、隼人像石四個陵上に置かる、雍良峰陵の条を参考すべし。那富 (ナホ)山墓は聖武天皇の皇子基親王の葬所とす、近く南陵の西北に在り。(陵墓一隅抄)按に那富山は奈保山直山に同じ、即元明元正と其陵号を一にす、古へより佐保山奈保山又椎山は差別なかりしにや、不審。
椎岡(ナラヲカ)墓は藤原不比等の墓なり延喜式に見ゆ。眉間寺の西に在り佐保山西陵と相并ぶ、〔陵墓一隅抄京華要誌〕椎は楢と同訓なり。隅山(スミヤマ)墓は藤原房前の墓にて、今杉山と号し老松三株雑樹茂生す、椎岡同所なり、隅山墓類聚国史に見ゆ。〔県名勝志〕