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Channel: 秋麗(あきうらら)
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浪速神社★坐摩神社末社★居所知

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先週、浪速神社に案内されるまで全くその存在も知らず、坐摩さんの末社に驚いた。

家に帰るとすぐ調べてみて、大変うまく伝えているブログを見つけた。

居所知ーココニイルコトヲシル

渡辺村の歴史がいちばんよくわかりましたし、
現代のアンニュイさと哀しみが十分表現されていると思います。

街と神社と夕暮れと
許可を得て原文そのまま引用させてもらいます。


引用ココから

坐摩神社 ココニイルコトヲシル1

砂州が生まれたり水没したり
川岸も海岸線もまだはっきりとしない
淀川の河口付近
渡辺津と呼ばれるその地に
屈強な戦闘集団が集落を形成していた

戦は続く
彼等は武装し
船を操り
源氏の郎等として歴史に登場した彼等
その戦闘集団は畏れを込めてこう呼ばれた
渡辺党

遡れば彼等の祖先は
天皇のキヨメの儀式を執り行う一族であった
祭祀こそが政治であった古代
一族は権威を誇ったに違いない
周りからは畏怖の眼を持って見られたことだろう
産まれる女の子は一定の年齢に達すると
神に仕える巫女になった

彼等の神が坐摩神である
坐摩はイカスリと読む
居所知ココニイルコトヲシル
という意味だそうだ
居ることを知った神が鎮座するこの地を中心に
一族は勢力範囲を全国に拡げていく
日本人の苗字で結構多い
渡辺さんは皆ここからきている

神職を継承しつつ
戦闘集団として発展していく一族
同時に様々な職能集団を抱える
川を挟んで
南岸には武士と神官が
北岸には鉄や革を扱う武具職人や
神事にキヨメを実行する人々が住った

いつまでも世は乱れたまま
戦乱の日は永遠のように続く

豊臣秀吉は渡辺党を嫌った
土着の人々にとっては
よそ者による支配など許されず
激しく抵抗したのかもしれない
ずかずかと難波の地へ入ってきた秀吉は
古代から住み慣れたこの地を奪う
ここが聖地であることを知っていたのか
秀吉はこの地に
大阪城を築く

彼等は
砂州の上にできた新興の土地に
集団移住を強いられた
彼等の神様と一緒に

新興の土地は船場と呼ばれ
無縁の人々で構成される商都へと発展していく
渡辺一族もイカスリの神も
いつしか街の中へ溶け込んでいく
だが
ここからもう一つの渡辺村の話が始まる
大阪の街が抱く巨大な矛盾は
この時すでに
決定していたのかもしれない



浪速神社 ココニイルコトヲシル2

秀吉によって移転を強いられた渡辺一族
古代から共に暮らし戦ってきた仲間は
身分と職業によって
真っ二つに分断される
一方は市街地の中心に
もう一方は外縁部へと追いやられた

行政の暴力的な強制か
あるいはそれは
共同体内部からの声もあったのか
事実はよくわからない

追いやられたのは
牛馬の死骸から皮を剥ぎ
鞣しの加工を施し
武具馬具を製造する職能集団と
キヨメを行う下級神職集団だった

さらに拡大する大阪の街
外縁部が拡がるにつれ
村は幾度も移転を強いられる
そして
木津川のほとり
市街地とたった一本の道で結ばれる
渡辺村が誕生する

徳川幕府は絶対的身分制度を完成させる
武士は偉く
それ以下の下層身分は蔑まれ
ひたすら搾取が繰り返される
まるで気狂い沙汰である
時代劇や大河ドラマで
喜んでる場合ではない

穢多という身分が在った
主に皮革製品を取り扱っていた職業身分のことだ
渡辺村の人々も
そう呼ばれた

その昔に
天皇の儀式を執り行った遠い記憶なのか
畏敬の眼で崇められたプライドなのか
彼等はこの渡辺村に
あのイカスリの神を奉った
ココニイルコトヲシル
ココニイルコトヲシル
呪文のように
アイデンティティーを確かめるように
神の名を呼んだ

渡辺村に通ずる唯一の道
今も地下鉄大国町駅から辿ることができる
旧渡辺道と書かれた道標が
堂々と建っている
旧渡辺道の突き当たり辺りが
イカスリの神を祀る浪速神社だ
今では誰も
ここに居ることを確かめる必要は
無くなったのかもしれない
もうこの時代に
結界は不要なのだと言うように
鳥居の注連縄がブチ切れたまま
ブラリと垂れ下がっていた






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