リバティ大阪の会議室でお弁当食べました。
大阪市内というのに近隣にはレストランやコンビニさえないらしい。
午後から人権太鼓ロードのフィールドワークで旧渡辺村を案内してもらいました。
JR芦原橋駅から人権博物館(リバティ大阪)までの新なにわ筋周辺の約500mが人権・太鼓ロードです。
太鼓の産地として300年の歴史をもち、全国有数の皮革の集散地でした。
この地で差別を受けて生まれ育ち、リタイアした現在、この差別を無くす運動が生き甲斐だと語られてました。
渡辺さんってこの村では皆そのお名前ですかと尋ねたら、自分家だけだったとのこと。
確か坐摩神社の神主さんも渡辺さんだったような記憶がある。
豊臣秀吉が大阪城築城にあたり、天満の渡辺の津の住人を移転させた。
淀川南岸の渡辺さん集落は現在本町の坐摩神社あたりへ、
淀川北岸の渡辺さん集落が、江戸時代に入り大阪の南 木津の港辺りに追いやられた。
町に通じる道は渡辺道だけ。
戦後JR今宮駅が出来た時になっても、このエリア方面の出入口は設けられなかったそうだ。
団地がいっぱいありますがひと気がない。
立派な保育所に人が集まらず廃園になってた。
太鼓の縁を模したベンチ。
中央の木はケヤキで、固く木目つまった材が太鼓の胴に適しているそうだ。
撮影した時間は2:21
午後3時にはからくり時計が動くらしいけど、待てなかった。
あちこちに立派なモニュメントが建ってるのがまた虚しい。
現代でも太鼓が造り続けられています。
太鼓ロードのバス停も太鼓のアレコレが紹介されてます。
太鼓がらみの彫像もたくさんありました。
韓国の太鼓の前でだけ立ち止まり説明されたことには、
「太鼓は朝鮮よりもたらされ日本で独自に発展を遂げ…」
そうかなぁとちょっと違和感ありました。
部落問題で韓国アゲはいらんのと違う?
2005年にモロッコ行った時に革の製造している町を観光しました。
皮をはいでいる行程は見ませんでしたが、なめしたり染色したり、乾かしたり。
ものすごい臭いが充満していました。
こうした風景は全く見られなかった。
「部落」聞き書き「太鼓ロード」と文化・産業行政から外れる皮革の話→こちら
次回は浪速神社