八日町通りの入り口広場に獅子頭が飾れれてました。
井波彫刻の工房が並び、看板や表札など随所に見られます。
瑞泉寺の階段から参道を振り返ると
山門から、本堂の立派な屋根、甍の波が見えます。
北陸隋一の大伽藍、歴史的建造物だそうです。
山門の一疋龍は光の加減でちゃんと写ったものが無かった。
本堂左側に繋がる太子堂の彫刻群も立派でした。
最後に勅使門の獅子の子落しを見に行きます。
井波彫刻発祥の地、瑞泉寺の正式名称は
真宗大谷派井波別院瑞泉寺
明徳元年(1390年)本願寺5代綽如(しゃくにょ)上人によって開かれた寺院。
北陸の浄土真宗信仰の中心として多くの信者を集め、越中の一向一揆の重要拠点ともなった。
天正9年佐々成政によって焼き討ちにあい焼亡した。
宝暦12年・明治12年と三度大きな火災にあって伽藍建物が焼失するも、明治18年(1885年)に井波の大工や彫刻師などによって再建された。
北陸地方の真宗木造建築の寺院としては最も大きな建物である。
井波彫刻は、京都の優れた伝統的な寺院建築や寺院彫刻に学んだ技術と、瑞泉寺再建などで培ってきた井波大工の技術との調和・融合によって生み出された。