米谷清シ=まいたにきよし
人名みたいですけど地名です。
宝塚市米谷清シ1番地に清荒神・清澄寺があります。
清澄寺は、平安時代初期に宇多天皇が万民農楽の世界を開く勅願寺として創建。
本尊は室町時代の大日如来坐像で国指定重要文化財。
今回の参拝でちゃんとお参りしましたが画像ありません。
寺地はここより東のきよしガ丘中央公園(売布きよしガ丘10番地)にあり、江戸時代に現在地に移っています。
聖徳太子が開いたと伝えられる日本初の中山観音・中山寺が東にあります。
元は現在の奥の院の位置で祀られました。
地図で売布きよしガ丘10番地を探してみました。
☆印は売布神社です。
まぁ~なんということでしょう!
中山寺奥の院-清荒神清澄寺-売布神社
一直線上にのるのを発見しました。
現在の清荒神と中山寺と売布神社は直角三角形の位置にある
ということはネットで散見します。
でも、古代の創建時にどうであったかが大事だと思います。
古くより米谷荘、米谷郷、米谷村として開けた米どころ。
売布神社のめふは、米谷が訛ったものだとか。
もともとこの地に祀れた神はどなただったのでしょう。
火の神、かまどの神、水商売の神としても信仰を集めている清荒神。
うちの台所で祀る荒神さんのお札は毎年こちらで賜りますが
いつもどなたかが代理参拝してくださり、早35年。
私自身は、1980年新居に荒神さんを祀るにあたり参拝して以来です。
かつての記録は
2011/6/1 荒神さんと三宝さん
なぜかこのブログの人気記事でたいてい10位以内に入ってます。
今回、突然の思いつきで中山寺から奥之院経由して清荒神へ下ってきました。
35年も過ぎて、やっと神々に関心もって参拝した清荒神で、眼神祠がとても気になりました。
2015-09-21 清荒神がほかの神社仏閣と違ってたところ
家に帰り、「清荒神 めがみ」で検索しました。
そしてヒットしたのが→宝塚巡礼3
そこには以下のように書かれてありました。
眼神祠は、「ガンジンシ」と読むのですが、
もとは護法堂のちょうど裏にあり、当時は清水が湧き出していて、参詣の方々が柄杓でその水を汲み、眼を洗ったりしたそうです。
でも、僕は眼神をメガミ(女神)だと読みました。
本殿に奥にあり、聖水が湧いていたのですから・・・
そして、眼神祠の横には、龍王堂に善女龍王という全ての生命を守る水神様が祀られているのですから。
僕は、この眼神様が、ここの最大の聖地だと思います。
清荒神は、清の字が強調されるように水との関わりが強いです。
なので、水神、女神の信仰を感じます。
三宝荒神は火の神であり、…
なんでこうなったのでしょうね。
またまた引用させてもらいます。
天女の姿をした荒ぶる水神様は、
その清浄な神質から不浄や災難を除去する火の作用へと変換され、
水神から火神へと変容されたのだと思います。
三宝荒神様は、インド由来の護法神ではなく、日本独自の護法神です。
そこには、古い自然神への信仰から護国仏教への変遷の時期に埋没された女神の姿が浮かんできます。
常々僕は、役小角や空海は、この女神を封印し聖地を開山した目的は、神殺しではなく、女神の保護にあったと思っています。
女神の名は変わろうとも、その信仰は残っています。
その聖地は残っています。
彼らが、封印した信仰が、今、解かれてきています。
眼神が女神に戻る時、その封印は解かれ、気付いた人には、そこに女神への信仰が戻ってきます。
火の神の封印を解き、水の神が戻る場合もあります。