売布 を めふ と読むのも難しいけど
めふ と入力して 売布 とはまず出ません。
中国道をまたぐ橋を渡り住宅街を少し歩くとこんもりした森が見えたので、神社だとすぐわかります。
正面参道からではなく横から入って本殿まえへ。
売布神社社号標石は、1736年建立で宝塚市文化財だそうです。
江戸中期吉宗の時代に、寺社奉行大岡越前守より畿内の地誌編集を命ぜられた地誌学者の並河誠所。
調査した結果、中世以来、地元では貴船神社(貴布祢大明神)と称していたが、延喜式の神名帳に載せられた式内社の売布社であることが分かり、以後売布社と称するようになった。
正式には旧字体を用い「賣布神社」と記す。
推古天皇18年(605年)の創建と伝える。
下照姫神は当地の里人が飢えと寒さで困窮しているのを愁い、稲を植え麻を紡ぎ布を織ることを教え、その後豊かになった里人が下照姫神を祀ったという伝承が残る。
米谷村の由来もこの伝承にちなみ、米種(まいたね)か売布谷(めふたに)が転訛したといわれている。
本殿右手に、瓦葺のお社があります。
豊玉神社です。
パワースポットナビというサイトで、この龍がド~ンと載ってました。
どこにあるんだろうと探してやっと見つけました。
最後に階段参道下りて、鳥居注連縄をくぐりました。
一帯は物部氏一族の若湯坐連(わかゆえのむらじ)が拠点としていた地であり、
本来の祭神は若湯坐連の祖である意富売布連(おおめふのむらじ)=大布命(おおめふのみこと)と見られるそうです。
「めふ」を社号に含む式内社は全国に七社あります。
藤原茂樹氏は、「賣布神考」のなかで
これらの神社の立地に注目し、「めふ」を水辺の土地を指す語と推測しています。
水辺に鎮まる女神が本来の祭神であり、大布命はその奉斎者と見る説に納得できた参拝でした。