昔のブラウン管テレビの後ろみたいな大きな岩です。
割拝殿になっていて、左側は大己貴命、右側は少彦名命
拝観料100円納めて中に入ると、大きな約6m四方の岩が鎮座してます。
水に浮かんでいるようにも見えるので天の浮石とも呼ばれます。
ホンとはこんな形↓ で、底はつながってるそうです。
場所が狭いのでなかなか伝わりやすい写真撮れません。
文化遺産オンラインより画像もらってきました↓
平成26年10月6日「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」国の史跡に指定されました。
一枚岩をくりぬいたもので、左側から上に登ることができます。
やはりわかりにくいですよね。
広角レンズで撮影された画像もらってきました。
江戸時代にシーボルトがスケッチしたものがわかりやすい
文政9(1826)年にオランダ商館長に随行し江戸参府の旅の途中に参拝したときのスケッチらしいです。
この2年後文政11年9月 シーボルト事件
所持品の中に国外に持ち出すことが禁じられていた日本地図が見つかり、それを贈った十数名が処分されました。
兵庫県高砂市阿弥陀町生石にある生石(おうしこ)神社は、宝殿山の山腹にあります。
側の岩盤を削り出して製作された人工物「石宝殿」
日本三奇の一つです。
500トンほどあり、NASAのロケット移動用クレーンをもってしても吊り上げ無理らしい。
誰が、いつ、何の目的で作ったものであるかはわかっていない。
「万葉集」巻の三に記載された天平10年ごの歌
大汝 小彦名乃 将座 志都乃石室者 幾代将經
おおなむち すくなひこなの いましけむ 志都の岩屋は幾世経ぬらむ
生石村主真人(おひしのすぐりのまひと)
『播州石宝殿略縁起』によれば、
神代の昔、大己貴命天の岩船にのり此山にとどまり生石子大明神(大己貴命の化身)と号し、もう一神は、少彦名命高御位大明神と号す。
二神御心をあわせ、陰陽の御宇を現じ、五十余丈の岩を切りぬき、石屑は一里北たかみくらのみねに投置、一夜の間に、二丈六尺の石のほうでんをつくり、二神の尊鎮座ます
社伝によれば
大己貴命と少彦名命が一夜にして宝殿をつくろうとしたが、阿賀の神一行が反乱をおこし、それを鎮圧するために未完のままになったもの
播磨国風土記には、聖徳太子の時代に弓削大連(物部守屋)がつくったと記されている