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Channel: 秋麗(あきうらら)
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真田家の六文銭と地蔵信仰と真田紐

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2011年5月10日「初めて茶臼山にのぼった」記事で使った画像です。

来年のNHKの大河ドラマは『真田丸』。

矢田寺の地蔵信仰を調べていて、真田幸村の念持仏がお地蔵さんだと知りました。
それでこの機会に、断片で知っていた情報をまとめておくことにしました。
思い返せば真田幸村のかかわりを何度か記事に残してました。


大阪には数々の真田幸村の史跡が残っていますが、天王寺公園の茶臼山もそのひとつです。
特に意識して訪れたわけでもなく、たまたま遭遇といった感じ。


今春2/22、大坂の陣ウォーキング 真田幸村コースを歩きました。

2013-04-19 天神坂の安居天神の菅原道真と少彦名命
天王寺公園近くの安居神社に真田幸村の像がありました。
大坂の陣が戦われた5月7日あたりに甲冑装束の真田幸村祭典が行われるそうです。



その真田陣営の旗指物紋に六文銭が描かれています。
もともと真田家は曹洞宗で、道元の不惜身命の大元があります。
そこに、六文銭を身につけて、いつでも死ぬ覚悟をもって出陣してたのだそうです。




六文銭は、仏教でいう六道銭。
死者があの世に旅立つとき、三途の川を渡る際の船賃が六文というところからきています。
六文銭を家紋とするということは、常に地蔵菩薩と共にある、いつでも死ぬ覚悟ができているということ、らしいです。

この六文銭紋の由来で、もうひとつ興味深いのが、真田紐

家来が諸国を回って売り歩いた真田紐の値段が6文であったので、旗指物にそのまま使った。
真田紐は縦糸と横糸で織りあげるので伸びることがなく、結びなおしにも強くて張りがある。
源平合戦の時代の甲冑は組紐だけが使われていた。
戦国時代になり、この真田紐で甲冑や籠手を体に密着させることで機動的な軍隊になった。
真田家の家来は行商の傍ら諸国の様子を見て歩いたので情報に強かった。
関が原の合戦あと九度山に幽閉された真田父子から、泉州、堺の商人へ。



真田紐ってこんなの→

抹茶茶碗、棗など茶道具の桐箱に使われてます。

武具・甲冑などに用いた真田紐を、桐箱に用いたのが他ならぬ千利休だとか。
あれれ~、ちょっと時代がずれてる?
千利休はたしか豊臣秀吉に命とられてましたね。

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