3月の最後の日曜日に根来寺に参詣して2週間が過ぎました。
あの時三分程度の開花だった桜は花散らしの雨でもう葉桜になっているでしょう。
根来寺といえば、戦国時代に鉄砲を持った強力僧兵集団で有名ですが、豊臣秀吉の根来攻めでほとんど焼き尽くされました。
わずかに残ったのがこの大塔で、明治32年に国宝指定されました。
我が国最大の木造多宝塔だそうです。
大阪と和歌山の境にある葛城連邦の山腹に36万坪の境内を有する巨大な寺院です。
室町から戦国時代には98院、堂塔2700、寺領72万石、今でも広大ですがもっと広くて栄えていたのでしょう。
昨秋、越前の白山平泉寺ウォークに行って、48社36堂6000坊、僧兵8000人に驚きましたが、こちら根来寺は僧兵1万人です。
フロイトの『日本史』には、「絢爛豪華な城のようであった」と 記されている。また、根来寺衆を「彼らの仕事は常に軍事訓練」を行うことであると本国に報告している。 戦国大名を凌駕する広大な所領と経済力、そして、先端兵器である鉄砲を装備した戦国最強の軍事勢力へと変貌をとげていた。
引用元→こちら
大塔と大傳法堂の区画に入る時に拝観料500円を払います。
光明真言殿にも上がることができます。
経机?も根来塗でした。
庭も立派です。
本坊の中も見れます。
寺務所で、最初画像の草餅が置いてあって、とても美味しかった。
お守りなどに並んでショーケースに根来塗の盆などが販売されていました。
もう随分前の話ですが、根来塗の蓋つき汁椀をネットオークションで売ったことがあります。
その時にウンチクを調べていて知ったのですが、ここが近代漆器発祥の地だそうです。
根来攻めで焼け出された漆職人が日本のあちこちに散らばって行ったんだとか。
三つ柏が根来寺の寺紋、実家の紋と一緒だったので近しい思いを持ちました。
根来塗を東京国立博物館のサイトで以下のように説明されてます。
「 根来塗の多くは黒漆を塗った上に朱漆を塗り重ねており、長年使われたことによってところどころ朱漆が摩滅し、下に塗った黒漆が表面に現れています。長い歳月を経て塗膜が劣化し、細かくひび割れた部分などもあり、根来塗の表面には独特の枯れた趣があります。用に耐えたあるがままの姿が、人為的なものにはない、自然の魅力となっているのです。また、根来塗の器物は実用に徹したものが多く、無駄のない単純明快なその形には、一種モダンな、鋭い造形感覚をみてと ることができます。」
この鐘楼門からさらに10分ほど下った所に大門があるも行きませんでした。
根来寺の歴史は、雑賀衆のこともあり実に興味ふかいです。
三つ柏紋と根来寺で書かれたページが一番よくわかりましたので、戦国史お好きな方は→こちら