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Channel: 秋麗(あきうらら)
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五十猛命の荒御魂@伊太祁曽神社

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貴志川線はもともと日前宮、竈山神社、伊太祁曽神社の三社参りの参宮鉄道として始まったそう。

まずは伊太祁曽(いたきそ)神社から参拝しました。伊太祈曽(いだきそ)駅から南へ350m、5分ぐらいで到着。
駅名は「いだ」と濁るのなんでだろ。気になるなぁ〜と調べたら、伊太祁曽神社サイトで発見しました。
神社は伊太祁曽神社と表記してイタキソ(ITAKISO)地名と駅名は伊太祈曽と表記してイダキソ(IDAKISO)漢字・読み共に異なります。

※ 和歌山の地名は読みが濁ることが多い。みかんで有名な有田も、読みは「ありだ」

思ってたより参拝者多く境内社もいっぱい。さすがに紀伊國一ノ宮。
一番気になったのが、境内社の荒御魂祀る気生神社でした。
伊勢内宮も荒御魂祀るお社あったなと思いました。

本殿は、五十猛命(イタケルノミコト)の和御魂です。
左右に妹神のオオヤツヒメ、ツマツヒメが祀られています。本居大平の歌碑山々の木々の栄えを木の国の栄えを守る伊太祁曽の神
本居宣長の歌碑朝もよし紀路のしげ山わけそめて木種まきけん神をし思はゆ

割拝殿には昭和37年の落雷で朽ちた御神木の一部が「木股くぐり」に
災難よけとあらば、靴脱ぐの邪魔くさいなんていうてられへん。




実は前夜から急に身体のある一部に鈍痛始まる。座っても寝ても違和感消えず…ちょっと今まで感じたことのない痛みで不安はつのる一方😢
きっと紀伊国三社参りで治るような気がするというか、、、藁にもすがる思い。実際、神前で手を合わせた時はご挨拶して日本の安寧をお願いしました 🙏自分の痛み取ってくださいと祈ったわけではないです。
ところが、あら不思議〜信じてもらえないでしょうが、
夜には痛み消えてました。霊験あらたか💕


五十猛命とは、
高天原を追われた素戔嗚尊は、子である五十猛神と共に新羅国に天降りますが、その地は気に入らず埴土で船を造り出雲国にやってきます。
ここから有名な八岐大蛇神話のお話へと続きます。そして五十猛神は高天原から樹種を持ってきますが韓国には植えず日本に持ってきて、九州より播き始めて日本中を青山にしました。このことから有功神(いさおしのかみ=大変に功績のあった神様)と呼ばれています。紀伊国に静まる神がこの神様です。


一書(あるふみ)に曰はく
「韓郷(からくに)には、金銀が満ちている。わが子の治める国からそこに渡ろうにも船が無くては渡ることができまい」と仰せられて、お顔の髭を抜いてまかれた。するとスギになった。眉の毛はクスノキになった。また胸の毛を抜いてまかれた。これがヒノキになった。そこでこれらの木をそれぞれの用途をきめて、次のように仰せられた。「スギとクスノキ、このふたつの樹は船とせよ。ヒノキは宮をつくる材料にせよ。コウヤマキは青人草(国民)の奥津棄戸(墓所)の棺をつくる材料にせよ。また食料として木の実をたくさんまき植えよ」と。この素戔嗚尊の御子神を名づけて五十猛命と申しあげる。この神の妹に大屋津姫命(おおやつひめのみこと)都麻津姫命(つまつひめのみこと)がある。この三柱の神もまた樹木の種子をまかれた。そこで紀伊国にわたし奉った。この後、素戔嗚尊熊成峯(くまなりたけ)ましまして最後に根の国に入られた。


鎮座の由来が、これまた不思議なんです。
伊太祁曽神社についての具体的な年号の初見は「続日本紀」の文武天皇大宝2年(西暦702年)。
伊太祁曽神社が現在の社地に静まります以前には、日前神宮・国懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかがすじんぐう=通称:日前宮にちぜんぐう)の社地にお祀りされていたようです。
日前宮のご鎮座が垂仁天皇16年と伝えられていますので、その頃に山東(さんどう=現在の伊太祈曽)に遷座せられた。



福樹箸賜りました。







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