大和川左岸、阪堺大橋のすぐ際の土手下に鎮座している田守神社です。
道路拡張工事による立ち退きで5/15夜遷座されるよと、
神社氏子ですぐ近くに実家のある友人が見にくればと誘ってくれました。
でも先週は超忙しくて、夜だったので行けなかった。
日曜午後、母を見舞ってから友人と一緒に参拝。
堺市堺区三宝一帯総氏神さまです。
この新社殿を建築したのが、金剛組です。
新聞によりますと、4期ぶりに黒字転換果たし再建なると。
飛鳥時代に四天王寺を建立して以来1400年もの歴史を誇ります。
数年前には我が家のすぐ近くの光明寺さんも金剛組が建て替えてました。
新社殿とお稲荷さんの間から大和川の土手と古い社殿が見えます。
旧社殿に行ってみると
小さなお社一番手前には、籠守社祭神 玉依姫と書かれてありました。
田守神社の新境内には大小の小判型若しくは丸石が地面に並んでいました。
それぞれの石には、さし石 立花 力石四十貫目 小判石 などと深く文字が刻まれていました。
友人と 何なんやろう〜 といぶかしんで眺めておりました。
かつての村人達が力自慢をして持ち上げた記念に奉納した力石とわかりました。
なぜ力自慢をしたかというと
三宝地区は、大和川付け替え後上流から運び出されてきた土砂で洲ができ、
排水路の開削と土盛りの重労働の繰り返しで川の機能を保っていました。
台風や高潮が来れば、砂洲が何度も何度もできます。
それをまた取り除く作業の繰り返しです。
その安全と高潮の災害を避ける思いから「波除明神」を奉って一心に祈願する一方、
重労働を支える力を競争したイベントに力石を用いた歴史があります。
新社殿左側、赤いお稲荷さんのさらに左に波除明神さんのお社ありました。
2014-01-07 大和川付替から310年が過ぎて
田守神社(堺市堺区松屋町2丁137番地)
右地図の松屋新田に、大和川つけ替えで出来た新田の鎮守の宮ですね。
追記
Nさんが、姫路は広峰神社にある力石の画像送ってくださったのでご紹介します。
関取 平野川が山麓から担ぎ上げて奉納した力石、なんと210kgもあるそうです。