もともと、日本人は星についての関心が薄いらしいです。
北極星はひとつぼし、オリオン座はみつぼしとして農漁業の目安とされてきました。
この星なら私にもわかります。
枕草子の229段に「星は、すばる、彦星、みょう星、夕づつ、よばい星」とでてきます。
すばる(昂星)は牡牛座にあるプレアデス星団
みょう星は「暁の明星」(夜明けに東天に見える金星)
夕づつ(長庚)は「宵の明星」(夕暮れに西天に現れる金星)
これらも夜空を見あがればたぶんわかるでしょう。
よばい星は流星のことだそうで、あまりであったことないです。
彦星は、七夕の牽牛(ひこぼし)、夏の夜空のどれに相当するのかちゃんと確かめてみたことないです。
火星も木星もどれかわかりません。
4月14日に火星が地球最接近してたようです。
この夜は満月直前の円い月が4度くらいまで近づいています。
マイナス1.4等で明るく輝き、スピカも含めたトライアングルはおもしろい光景となるでしょう。
知らなかったので見てません。
詳しくは→AstroArts
ということで、このスピカも月の横ならわかるけど単体ならまずわからない。
その近くのよつぼしのからす座は結構麦の収穫時の目安にしてたようですが、
あまり明るくない星なので現在の都会の明るさでは見えないかも。
とうことで、スピカが古代からどのように呼ばれたかを探してもまず見つからなかった。
真珠星という和名は、先に書いたように第二次世界大戦中からで、古来より伝統的な名前ではなかったのです。
しかしスピカは一等星で白く輝く特徴があり目立ちます。
きっと名前はあったに違いない。
では中国ではどう呼んでいたんだろう… と角度を変えて検索。
現在ふつうに用いられている星座は、もともと古代バビロニア・メソポタミア地方などで発祥しました。
その後ヨーロッパで神話と関連付けられて発達したものがほとんどです。
ヨーロッパ起源の星座は、ギリシャ・ローマ神話や身近な人物・動物や道具をなぞっています。
中国の天文、星座の歴史も長くその起源は約3000年前といわれています。
西洋とは異なりひとつの国家体系を形成しています。
北極星は「天帝」の座とされ、北極星から離れるに従い次第に身分の低い存在を星座としました。
それで中国の星座は小さく数が非常に多いのが特徴で、
3世紀に整理された段階で300以上の「星座」が空にひしめいていたそうです。
現代星座で,太陽の通り道に当たる黄道が通る星座たちが「黄道12星座」
太陽が12ヶ月かかって動く黄道を12等分してひとつづつ当てはめたもの。
これに対し、中国星座の黄道12星座に相当するのが「二十八宿」と呼ばれる28の星座です。
月が27.5日かけて天球を1周するとき,一晩ごとに1つの「星座=星宿(せいしゅく)」を移動するように割り振られたもの。
黄道12星座の出発点は春分点(現在のうお座)ですが
二十八宿の起点は秋分点に近い「角宿(かくしゅく)おとめ座中央部」にあります。
星宿名 角宿
和訳名 スボシ
現代星座での概略位置 おとめ座中央部
距星 おとめ座α(スピカ)
28の星宿は7つずつで、4グループに分けられます。
東方七宿・青竜 (せいりゅう)
現在のさそり座のS字カーブと,それに続くてんびん座,おとめ座の領域を巨大な竜の姿に当てはめて,星宿名がつけられています。
南方七宿・朱雀 (すざく)
うみへび座の大きなカーブを巨大な鳥(鳳凰)と見て,星宿の名前をつけています。青竜とともに,その姿を想像しやすい七宿です。
西方七宿・白虎 (びゃっこ)
この七宿の最後に位置する参宿(しんしゅく,現在のオリオン座)を四足を広げた虎の姿と見ています。しかしこれ以外の星宿は,白虎とは関連がありません。
北方七宿・玄武 (げんぶ)
玄武とは黒亀のことです。このあたりは現在の秋の星座の領域です。明るい星が少なく,各星宿の名前も亀の姿とは特に関連のないものがならんでいます。
高松塚古墳の星宿図は
すぼし、が日本の和歌や文献に残されているのか調べてみます。
ご存知の例や方言名ございましたら教えてください。
北極星はひとつぼし、オリオン座はみつぼしとして農漁業の目安とされてきました。
この星なら私にもわかります。
枕草子の229段に「星は、すばる、彦星、みょう星、夕づつ、よばい星」とでてきます。
すばる(昂星)は牡牛座にあるプレアデス星団
みょう星は「暁の明星」(夜明けに東天に見える金星)
夕づつ(長庚)は「宵の明星」(夕暮れに西天に現れる金星)
これらも夜空を見あがればたぶんわかるでしょう。
よばい星は流星のことだそうで、あまりであったことないです。
彦星は、七夕の牽牛(ひこぼし)、夏の夜空のどれに相当するのかちゃんと確かめてみたことないです。
火星も木星もどれかわかりません。
4月14日に火星が地球最接近してたようです。
この夜は満月直前の円い月が4度くらいまで近づいています。
マイナス1.4等で明るく輝き、スピカも含めたトライアングルはおもしろい光景となるでしょう。
知らなかったので見てません。
詳しくは→AstroArts
ということで、このスピカも月の横ならわかるけど単体ならまずわからない。
その近くのよつぼしのからす座は結構麦の収穫時の目安にしてたようですが、
あまり明るくない星なので現在の都会の明るさでは見えないかも。
とうことで、スピカが古代からどのように呼ばれたかを探してもまず見つからなかった。
真珠星という和名は、先に書いたように第二次世界大戦中からで、古来より伝統的な名前ではなかったのです。
しかしスピカは一等星で白く輝く特徴があり目立ちます。
きっと名前はあったに違いない。
では中国ではどう呼んでいたんだろう… と角度を変えて検索。
現在ふつうに用いられている星座は、もともと古代バビロニア・メソポタミア地方などで発祥しました。
その後ヨーロッパで神話と関連付けられて発達したものがほとんどです。
ヨーロッパ起源の星座は、ギリシャ・ローマ神話や身近な人物・動物や道具をなぞっています。
中国の天文、星座の歴史も長くその起源は約3000年前といわれています。
西洋とは異なりひとつの国家体系を形成しています。
北極星は「天帝」の座とされ、北極星から離れるに従い次第に身分の低い存在を星座としました。
それで中国の星座は小さく数が非常に多いのが特徴で、
3世紀に整理された段階で300以上の「星座」が空にひしめいていたそうです。
現代星座で,太陽の通り道に当たる黄道が通る星座たちが「黄道12星座」
太陽が12ヶ月かかって動く黄道を12等分してひとつづつ当てはめたもの。
これに対し、中国星座の黄道12星座に相当するのが「二十八宿」と呼ばれる28の星座です。
月が27.5日かけて天球を1周するとき,一晩ごとに1つの「星座=星宿(せいしゅく)」を移動するように割り振られたもの。
黄道12星座の出発点は春分点(現在のうお座)ですが
二十八宿の起点は秋分点に近い「角宿(かくしゅく)おとめ座中央部」にあります。
星宿名 角宿
和訳名 スボシ
現代星座での概略位置 おとめ座中央部
距星 おとめ座α(スピカ)
28の星宿は7つずつで、4グループに分けられます。
東方七宿・青竜 (せいりゅう)
現在のさそり座のS字カーブと,それに続くてんびん座,おとめ座の領域を巨大な竜の姿に当てはめて,星宿名がつけられています。
南方七宿・朱雀 (すざく)
うみへび座の大きなカーブを巨大な鳥(鳳凰)と見て,星宿の名前をつけています。青竜とともに,その姿を想像しやすい七宿です。
西方七宿・白虎 (びゃっこ)
この七宿の最後に位置する参宿(しんしゅく,現在のオリオン座)を四足を広げた虎の姿と見ています。しかしこれ以外の星宿は,白虎とは関連がありません。
北方七宿・玄武 (げんぶ)
玄武とは黒亀のことです。このあたりは現在の秋の星座の領域です。明るい星が少なく,各星宿の名前も亀の姿とは特に関連のないものがならんでいます。
高松塚古墳の星宿図は
すぼし、が日本の和歌や文献に残されているのか調べてみます。
ご存知の例や方言名ございましたら教えてください。