旅の3日目最後の見学は八甲田丸
航海甲板から見たベイエリア、右にベイブリッジ、左の観光物産館アスパムで初日昼食とりました。青森のAを形どった正三角形のランドマークです。
初日昼に撮影
1908(明治41)3月7日〜1988(昭和63)3月13日青森から函館間を結んだ青函連絡船。1億6千万人を運んだそうで、私もその1人だった。
学生時代、札幌集合の北海道一周ツアーに参加しました。
アルバムみると、1974/7/16〜24の日程。13:10 ひかりで東京へ18:09 青森行き夜行列車八甲田翌日11:50 札幌行き宗谷特急なのに4、5時間要しうんざりした記憶。函館と札幌って遠いな〜、北海道って広いなぁを実感。
その夜は札幌で宿泊で、時計台や北大キャンパス散策しました。ということは7/14に大阪を出立してたようです。
青函連絡船のことは書いてないし、写真も1枚もない。
多分翌朝(7/15)青森着いて、まだ完全に明るくなってない時間帯か曇ってたか。左右が窓ガラスっぽい通路をけっこう歩いて、しんどーって思ってた。上野発の夜行列車降りた時から〜♪重いボストンバッグ持って船に向かった記憶まざまざ蘇ります。
今でも陸橋は使われてました。
2階船楼甲板から八甲田丸に乗り込むと
案内人さんが出港する時のドラを再現してくださる。ものすんごい大きな音に皆驚いた。青函連絡船で船員されてた方て、語り部としての思いは熱かった。ちょうど私が乗船した時代の八甲田丸に機関士として乗っておられた可能性もあります。
私の記憶には青森駅からの通路だけと言うと、500mはあるそうで、長かった記憶はまんざら脚色されてないね。
歴代55隻の青函連絡船の中で、八甲田丸は、1964(昭和39)年8月12日就航し、最終運行1988(昭和63)3月13日最も長い23年7ヶ月にわたり、最終航行船の大役も務めました。
「航海の数だけ、物語りがある」
航海甲板から見たベイエリア、右にベイブリッジ、左の観光物産館アスパムで初日昼食とりました。青森のAを形どった正三角形のランドマークです。
初日昼に撮影
1908(明治41)3月7日〜1988(昭和63)3月13日青森から函館間を結んだ青函連絡船。1億6千万人を運んだそうで、私もその1人だった。
学生時代、札幌集合の北海道一周ツアーに参加しました。
アルバムみると、1974/7/16〜24の日程。13:10 ひかりで東京へ18:09 青森行き夜行列車八甲田翌日11:50 札幌行き宗谷特急なのに4、5時間要しうんざりした記憶。函館と札幌って遠いな〜、北海道って広いなぁを実感。
その夜は札幌で宿泊で、時計台や北大キャンパス散策しました。ということは7/14に大阪を出立してたようです。
青函連絡船のことは書いてないし、写真も1枚もない。
多分翌朝(7/15)青森着いて、まだ完全に明るくなってない時間帯か曇ってたか。左右が窓ガラスっぽい通路をけっこう歩いて、しんどーって思ってた。上野発の夜行列車降りた時から〜♪重いボストンバッグ持って船に向かった記憶まざまざ蘇ります。
今でも陸橋は使われてました。
2階船楼甲板から八甲田丸に乗り込むと
案内人さんが出港する時のドラを再現してくださる。ものすんごい大きな音に皆驚いた。青函連絡船で船員されてた方て、語り部としての思いは熱かった。ちょうど私が乗船した時代の八甲田丸に機関士として乗っておられた可能性もあります。
私の記憶には青森駅からの通路だけと言うと、500mはあるそうで、長かった記憶はまんざら脚色されてないね。
歴代55隻の青函連絡船の中で、八甲田丸は、1964(昭和39)年8月12日就航し、最終運行1988(昭和63)3月13日最も長い23年7ヶ月にわたり、最終航行船の大役も務めました。
「航海の数だけ、物語りがある」