東山七条の京都国立博物館正門
1892年(明治25)から95年に建築された重要文化財です。正面にロダンの考える人、本物だそうです。肉眼ではちゃんと見えたのに
塀柵の隙間からスマホ挿し入れて撮影したら右半分切れてました。
柵外から何を見に行ったかというと
博物館入場しなくとも外からタダで見れるって。
12年前に長谷川等伯展観に行った時の画像
2010-4-29鞍馬・貴船1dayチケット - 秋麗(あきうらら)
ひょっとしたらと確認したら、案の定写り込んでる。つい先週案内されるまで全く知らない石塔でした。
人生こんなもんですね〜
元どこにあったかというと
石柱立つ路地の奥だそう。京都市東山区馬町から移されたものです。
明後日5/22放映の鎌倉殿の13人は、第20話「帰ってきた義経」
奥州に帰るんですね。
ドラマでは義朝に会いに伊豆までやってきた時従者連れてましたね。あの人達として描かれてたのかな。明後日第20話では映るかな。
京都ぶらり町歩き、忘れないうちにレポート完了です。この1週間お読みいただきありがとうございました。
1892年(明治25)から95年に建築された重要文化財です。正面にロダンの考える人、本物だそうです。肉眼ではちゃんと見えたのに
塀柵の隙間からスマホ挿し入れて撮影したら右半分切れてました。
柵外から何を見に行ったかというと
博物館入場しなくとも外からタダで見れるって。
12年前に長谷川等伯展観に行った時の画像
2010-4-29鞍馬・貴船1dayチケット - 秋麗(あきうらら)
ひょっとしたらと確認したら、案の定写り込んでる。つい先週案内されるまで全く知らない石塔でした。
人生こんなもんですね〜
馬町十三重石塔
2基ともに高さは6mで、古来、源義経の臣・佐藤継信・忠信兄弟の墓と伝わる。
江戸時代に出版された『都名所図会』には、「継信忠信塔」という名称で紹介されています。
元どこにあったかというと
石柱立つ路地の奥だそう。京都市東山区馬町から移されたものです。
明後日5/22放映の鎌倉殿の13人は、第20話「帰ってきた義経」
奥州に帰るんですね。
遡ること治承四年(1180年)
頼朝が挙兵したことを聞き、実兄を助けて父の仇を討とうと意気込む義経。
藤原秀衡も賛成し、自分の家臣である佐藤継信・忠信という兄弟と、その他に騎馬武者を数十騎つけてやっています。
ドラマでは義朝に会いに伊豆までやってきた時従者連れてましたね。あの人達として描かれてたのかな。明後日第20話では映るかな。
その後、紆余曲折を経て鎌倉時代後期に十三重塔、
南塔に「永仁三年」の紀年(1295)あるそうです。
詳しくは
京都国立博物館
京都国立博物館の公式ウェブサイトです。京博の展示・イベント情報やご利用案内、ご自宅で楽しめるコンテンツ等を紹介しています。
京都ぶらり町歩き、忘れないうちにレポート完了です。この1週間お読みいただきありがとうございました。