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後白河院の手のひら返しと、法住寺殿

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京都ぶらり町歩きで見聞きしたもの忘れないうちに。大河ドラマで今話題の「日本一の大天狗」後白河上皇。
昼食後向かったのは法住寺で
左、朱色回廊塀が三十三間堂、右側に赤く記した旗たってる所です。
5/15の『鎌倉殿の13人』第19話「果たせぬ凱旋」後白河法皇を演じる西田敏行さんの怪演が光ってました。先にココから書いておきます。
後白河上皇の院庁「法住寺殿」


並びに後白河天皇陵。

「頼朝は清盛になられては困るからの。そのための九郎よ」「頼朝と義経、どちらかが力を持ってしまってはいかんのだ。わしが望んでいるのは、つばぜり合い」
相手方は勢力削ぐよう仲違いさせるのが手だと。純朴な戦上手だけの義経はまんまと手のひらで転がされ…かわいそうな結末へまっしぐら。

後白河院はなんとエゲツないおかただったのかがよく分かりましたね。
学生時代習った日本史で、藤原氏の栄華から武士の台頭へ。平安末期になると登場人物わけわからんようになって、保元の乱、平治の乱は入り乱れた人間関係で事件名しか覚えてなかった。

保元の乱 1156年平治の乱 1160年
崇徳上皇VS後白河天皇 だけじゃなかったんだ。




皇族も貴族も公家も、そして源氏も平氏も、親兄弟、親族が両陣営に分かれて戦った骨肉の争いだったのですね。
崇徳上皇ー藤原頼長ー源為義と息子の源為朝ー平忠正(清盛の叔父)
後白河天皇ー藤原忠通ー源義朝(為義の長男)ー平清盛


     画像引用元 こちら

詳しくは

5分でわかる保元の乱!勝ったのは誰?背景や平治の乱もわかりやすく解説!

平安時代末期の1156年に起こった政変を「保元の乱」といいます。皇族や藤原氏に代表される公家が、当時急速に力をつけつつあった源氏や平氏などの武士の力を借りて争い、大...

ホンシェルジュ

 
その後、保元の乱では仲間だった平清盛と源義朝が戦うのが平治の乱。敗れた源氏は義朝は首を晒されるも、息子の頼朝は、清盛の継母・池禅尼の嘆願で助命された。頼朝の生母が熱田大宮司家の出身であり、頼朝自身も熱田神宮で生を受けたことも遠因かもしれない。
このブログ内検索で「後白河」でみると12個もヒットしました。そのうちの2つリンク貼っておきます。

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後白河院は、天皇、上皇、法皇と時代により変わりますが、自分で意識せずコピペの文中に含まれていることも多いのに驚きました。まさにこのブログも後白河院の手のひらで転がされてたのかな。



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