1月5日は二十四節気の第23番め、小寒(しょうかん)
元旦に新月だった月は月齢4日となりいつもより寒空でくっきり大きく見えました。
いよいよ寒の入りで、底冷えするシーズンです。
暴飲暴食やグータラ生活でなまったからだに寒さがこたえます。
明日から初での方も多いでしょうが、くれぐれもご自愛下さい。
今日は、母を見舞う前に、母の生家があった堺市戎之町東にある菅原神社でおみくじ引きました。
卦はまずまずの「小吉」ですが、内容がいけてます。
闇くて見えない道も月がさし初め、明るくなる如く 幸福(さいわい)次第に加わる運ですから
あせらずさわがず 静かに身を守って 進むべき時に進んで何事も成就すべし
夕方家に戻りTVつけたら、たまたまNHKで黒田官兵衛特集してました。
あと3時間で大河ドラマ「軍師官兵衛」始まりますって調子。
NHK、今年は大河ドラマにえらいチカラ入れてますね。
それにしっかりのせられてずっと見てしまった。
岡田君演じる官兵衛の「命をそまつになさるな 生きられよ」
これって先日見た永遠の0と一緒やぁ〜
岡田君、キテマスね。
ひらパーのCMといっても大阪でしか分からないでしょうが、
彼は同じ京阪沿線の遊園地ひらかたパークのある枚方市の御殿山出身です。
菅原神社で由緒略記もいただいたのですが、
しっかり読めてないので後日記事にしたいと思います。
今晩はとりあえず、菅原神社のあと「ほうちがいさん」もお参りしたのでそちらの記録から。
方違神社は、ほうちがいと読みます。
駐車場に行列できてて、斜め向かいのローソン駐車場をちょっと拝借してのお参りでした。
時間に余裕なかったので、かけあし参拝の報告です。
摂津、河内、和泉の3つの国が交わる境目の地であることに由来する堺。
境の地は三国山、三国の衢あるいは三国丘と呼ばれ、
どこの国にも属さない独自の霊力がある場所として神聖視されていました。
方角のない聖地と考えられたようです。
古来、方災除けの神として信仰されてきました。
現在も家の新築や、引っ越し、旅行の際に参拝に訪れ、方災除けの祈祷を受けます。
創建は、第10代崇神天皇の勅願によると伝わります。
第15代応神天皇は天神地祇や住吉大神、神功皇后を合わせ祀り、この社を「方違宮」と称して厚く崇拝したといわれています。
本殿の裏に廻ると、楠木姫大神が祀られてたのが一番印所に残りました。
駆け足だったからか、駐車場でちょっとイケズなおっちゃんに出会いいやな思いをしたからか、
なんとなく方位のない清らかな聖地、というのが実感できなかった。
今度はもっと空いたときにじっくり参拝したいと思います。
方違さんが如何にすごいかという例を挙げると
天智天皇の叔父にあたる孝徳天皇も豊崎宮に遷都した際に奉幣使を遣わして方災除けの祈願をされた。
空海も804年に遣唐船にて唐に向かう際に航海の安全を祈って方違祈願を行った。
平清盛の時代、福原遷都の方災除けのために方違祈願が行われた。
時は流れ、1868(明治元)年東京へ遷都のために明治天皇が東上する際に17日間の祈祷の命を受けられた。
元旦に新月だった月は月齢4日となりいつもより寒空でくっきり大きく見えました。
いよいよ寒の入りで、底冷えするシーズンです。
暴飲暴食やグータラ生活でなまったからだに寒さがこたえます。
明日から初での方も多いでしょうが、くれぐれもご自愛下さい。
今日は、母を見舞う前に、母の生家があった堺市戎之町東にある菅原神社でおみくじ引きました。
卦はまずまずの「小吉」ですが、内容がいけてます。
闇くて見えない道も月がさし初め、明るくなる如く 幸福(さいわい)次第に加わる運ですから
あせらずさわがず 静かに身を守って 進むべき時に進んで何事も成就すべし
夕方家に戻りTVつけたら、たまたまNHKで黒田官兵衛特集してました。
あと3時間で大河ドラマ「軍師官兵衛」始まりますって調子。
NHK、今年は大河ドラマにえらいチカラ入れてますね。
それにしっかりのせられてずっと見てしまった。
岡田君演じる官兵衛の「命をそまつになさるな 生きられよ」
これって先日見た永遠の0と一緒やぁ〜
岡田君、キテマスね。
ひらパーのCMといっても大阪でしか分からないでしょうが、
彼は同じ京阪沿線の遊園地ひらかたパークのある枚方市の御殿山出身です。
菅原神社で由緒略記もいただいたのですが、
しっかり読めてないので後日記事にしたいと思います。
今晩はとりあえず、菅原神社のあと「ほうちがいさん」もお参りしたのでそちらの記録から。
方違神社は、ほうちがいと読みます。
駐車場に行列できてて、斜め向かいのローソン駐車場をちょっと拝借してのお参りでした。
時間に余裕なかったので、かけあし参拝の報告です。
摂津、河内、和泉の3つの国が交わる境目の地であることに由来する堺。
境の地は三国山、三国の衢あるいは三国丘と呼ばれ、
どこの国にも属さない独自の霊力がある場所として神聖視されていました。
方角のない聖地と考えられたようです。
古来、方災除けの神として信仰されてきました。
現在も家の新築や、引っ越し、旅行の際に参拝に訪れ、方災除けの祈祷を受けます。
創建は、第10代崇神天皇の勅願によると伝わります。
第15代応神天皇は天神地祇や住吉大神、神功皇后を合わせ祀り、この社を「方違宮」と称して厚く崇拝したといわれています。
本殿の裏に廻ると、楠木姫大神が祀られてたのが一番印所に残りました。
駆け足だったからか、駐車場でちょっとイケズなおっちゃんに出会いいやな思いをしたからか、
なんとなく方位のない清らかな聖地、というのが実感できなかった。
今度はもっと空いたときにじっくり参拝したいと思います。
方違さんが如何にすごいかという例を挙げると
天智天皇の叔父にあたる孝徳天皇も豊崎宮に遷都した際に奉幣使を遣わして方災除けの祈願をされた。
空海も804年に遣唐船にて唐に向かう際に航海の安全を祈って方違祈願を行った。
平清盛の時代、福原遷都の方災除けのために方違祈願が行われた。
時は流れ、1868(明治元)年東京へ遷都のために明治天皇が東上する際に17日間の祈祷の命を受けられた。