1/22夜中1時過ぎ日向灘でM6.6 大分や宮城県で震度5強。大きな被害出てませんように。
夜中の寝床で遭遇する地震は不安です。阪神大震災は明け方5:46に起こされました。大地震の後はおちおち寝てれてませんもの。
今書き綴ってる旅の記録、1週間前の土曜夜に船で九州向けて旅立ったのでした。あれが今日だったら行くの悩んだと思います。さらにオミクロン爆増もあるし。
長府の壇具川で
青鷺いました。
鴨もいっぱい。
1/16(日)12時から長府でふぐづくし昼食後、14:40まで自由時間でした。
12:55 散策開始
昼食場所の長府観光会館横の壇具川を遡り功山寺で折り返す予定。
川の両側は遊歩道として整備されて歩きやすい。でも小雨降ってるので左手で傘さし右手にウォーキングステッキ。雨は体力気力奪い、写真写すの面倒になる。視野もせまくなり見落としも増えます。
そうした状況でも、この川の流れが清く澄んでるのに心惹かれました。
人馴れした鴨の群れ
鯉も見かけましたが画像無し。夏には蛍だそうですよ。
この遊歩道から少し脇入ったとこに
御影の井戸菅原道真公はこの地にも立ち寄られてました。
さらに上流へ行くと
13:16 功山寺高杉晋作が挙兵した寺です。
もう膝限界、この山門で待ちました。友だけ上の境内へ、
一瞥報告によれば本堂は閉じられてたそう。馬上の高杉晋作像見たかどうか聞かなかった。
雨脚も強まり、すぐ前にある下関歴史博物館で休憩することに。入館料210円と安い。でも市立ならタダでもいいんちゃう。
館内で撮った写真たった一枚が
わずかな滞在時間でしたが雨上がりました。
ゆるい坂降ります。13:48
途中のカフェでフルーツサンド買い船で食べました。美味しかったけど画像無し。疲れてたんですね。
壇具川の名称は神功皇后が三韓鎮治のとき この豊浦の地(長府)で祭壇を築き天神地祇を祭りその祭壇に用いた道具を流した川ということからその名が付いたと伝えられる 昔は祭事が終わるとその都度祭具を川に流したという又その祭壇を築いた場所(忌宮神社正面の惣社町一帯)を「壇ノ上」といいその地名が伝えられている 平成五年三月 長府観光協会
この記事投稿で地図仔細点検長府藩侍屋敷長屋横通るも入ってない。敷地内で山頭火句碑も見れたのに残念。「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春 夏 秋 冬 あしたもよろし ゆふべもよろし」
なんか気品ある街で歴史を感じました。水の綺麗なとこは住みたくなる。またいつかじっくり散策したい長府だなと。
長府と防府、長門と長州、この違いがよく分かってませんでした。お昼のふぐ尽くしご飯を長府で食べた時点では、下関の隣町で長府市だと思ってたぐらいだった。食後の町歩きで、下関とはずいぶん趣き異なるなと気付く。江戸時代の城下町が醸し出すなんか品があるんです。
調べてわかったこと長府には、萩の毛利本家の分家を藩主とする「府中(長府)藩」が置かれた。長府(長門府中)は下関(赤間関・馬関)とは独立した別個の市街を構成。現在の長府は下関市の一部だが、歴史的にはお互いに別々の都市で独自の発展を遂げた。
ちなみに防府は、周防府中の略称
長府観光ですでに一万歩超えてた。足痛いはず。
つづく
夜中の寝床で遭遇する地震は不安です。阪神大震災は明け方5:46に起こされました。大地震の後はおちおち寝てれてませんもの。
今書き綴ってる旅の記録、1週間前の土曜夜に船で九州向けて旅立ったのでした。あれが今日だったら行くの悩んだと思います。さらにオミクロン爆増もあるし。
長府の壇具川で
青鷺いました。
鴨もいっぱい。
1/16(日)12時から長府でふぐづくし昼食後、14:40まで自由時間でした。
12:55 散策開始
昼食場所の長府観光会館横の壇具川を遡り功山寺で折り返す予定。
川の両側は遊歩道として整備されて歩きやすい。でも小雨降ってるので左手で傘さし右手にウォーキングステッキ。雨は体力気力奪い、写真写すの面倒になる。視野もせまくなり見落としも増えます。
そうした状況でも、この川の流れが清く澄んでるのに心惹かれました。
人馴れした鴨の群れ
鯉も見かけましたが画像無し。夏には蛍だそうですよ。
この遊歩道から少し脇入ったとこに
御影の井戸菅原道真公はこの地にも立ち寄られてました。
さらに上流へ行くと
13:16 功山寺高杉晋作が挙兵した寺です。
もう膝限界、この山門で待ちました。友だけ上の境内へ、
一瞥報告によれば本堂は閉じられてたそう。馬上の高杉晋作像見たかどうか聞かなかった。
雨脚も強まり、すぐ前にある下関歴史博物館で休憩することに。入館料210円と安い。でも市立ならタダでもいいんちゃう。
館内で撮った写真たった一枚が
わずかな滞在時間でしたが雨上がりました。
ゆるい坂降ります。13:48
途中のカフェでフルーツサンド買い船で食べました。美味しかったけど画像無し。疲れてたんですね。
壇具川の名称は神功皇后が三韓鎮治のとき この豊浦の地(長府)で祭壇を築き天神地祇を祭りその祭壇に用いた道具を流した川ということからその名が付いたと伝えられる 昔は祭事が終わるとその都度祭具を川に流したという又その祭壇を築いた場所(忌宮神社正面の惣社町一帯)を「壇ノ上」といいその地名が伝えられている 平成五年三月 長府観光協会
この記事投稿で地図仔細点検長府藩侍屋敷長屋横通るも入ってない。敷地内で山頭火句碑も見れたのに残念。「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春 夏 秋 冬 あしたもよろし ゆふべもよろし」
なんか気品ある街で歴史を感じました。水の綺麗なとこは住みたくなる。またいつかじっくり散策したい長府だなと。
長府と防府、長門と長州、この違いがよく分かってませんでした。お昼のふぐ尽くしご飯を長府で食べた時点では、下関の隣町で長府市だと思ってたぐらいだった。食後の町歩きで、下関とはずいぶん趣き異なるなと気付く。江戸時代の城下町が醸し出すなんか品があるんです。
調べてわかったこと長府には、萩の毛利本家の分家を藩主とする「府中(長府)藩」が置かれた。長府(長門府中)は下関(赤間関・馬関)とは独立した別個の市街を構成。現在の長府は下関市の一部だが、歴史的にはお互いに別々の都市で独自の発展を遂げた。
ちなみに防府は、周防府中の略称
長府観光ですでに一万歩超えてた。足痛いはず。
つづく