私たちは傍から入ったので、真っ先に目に留まったのは
あめつちの神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を
昭和天皇御製です。伊勢の二見浦神社でもみましたよ。
本殿では祈祷中でした。神職さんが手にされた幣の紙垂が白じゃなくて金色。ゴージャス!初めてみました。
なんかテンション上がって
節分の豆買いました。実家ある産土さん余部神社も、今の氏神さん大枝神社も八幡宮ですしね。
「亀山」という名称は、当時島の形が亀に似ていたということから、また、宇佐の八幡様がお祀りされている山が亀山だからとも。
平安時代の貞観元年(859)、宇佐神宮から石清水八幡宮に京の都の守護のため勧請された。その途上島のふもとに停泊した夜、「此の山清浄なり、我もっとも愛す。暫らく祭祀し奉り路を進むべし」というご神託があった。勅使は国主に命じ仮殿を造営させてお祀りし、再び京に向かわれたと伝わるー享保年間「防長社寺由来」
関門海峡がよく見晴るかせます。昔は赤間関、赤馬関、馬関と呼ばれてたようです。潮待ちの港赤間関
前の道路は国道9号線、ちょっとびっくりです。京都から下関までの山陰道なんですね。
次の国政選挙区が10増10減で、山口県も大わらわ。元首相の安倍さんと、未来の首相を目指す現外務大臣林さんの熱き闘い。昨秋の衆議院選挙で山口県副知事がどうたらとかで辞任に追い込まれてましたね。どこにでもあることだろうに。続いては広島でも調べろと息巻いてる陣営あるらしい。
急な階段参道気をつけて降りたらガイド案内付きグループが居ました。
小耳に挟んだ情報によれば、昭和30年に前の土産物屋の人がキャッチボールとかしてて、その球が鳥居石の扁額に当たった。跳ね返らずに、運悪くかどうか、
亀山の山の字の左下隅にヒットし、65年以上そのまま経過。
前の国道9号信号渡って撮影。
さらに海側行くと
堂崎の渡し場跡、かつての船着場です。
フランシスコザビエルもこの地に上陸してたんですね。
赤間神宮から亀山八幡宮までの間に
後ろでこっそり聞き耳立ててたら睨まれた(*´꒳`*)
本陣伊藤邸跡。下関を代表する旧家。豪商だったので、江戸時代には下関の東の本陣を務めてたぐらい。シーボルトや吉田松陰らとも親交あったそう。
1867年2月10日、坂本龍馬はお龍を連れて下関に入り、伊藤家の三畳板間の一室、自然堂(じねんどう)を借りた。龍馬の生涯で、2ヵ月近くもお龍と共に一箇所に滞在した唯一の地でした。
龍馬が起こした亀山社中は日本で最初の商社。名前の由来は拠点を構えた「亀山」の地名と仲間を意味する「社中」を組み合わせたものでした。この亀山は長崎ですが、後に下関の伊藤家や京都にも事務所を設置し活動の場を広げていきます。
坂本龍馬は下関に行くとは言わず帰ると表現してたようです。おりょうさんが待ってたのかな。この下関の亀山八幡宮もお気に入りだったのかもしれません。
下関の観光は、まだ続きます…
今日は超寒いし、オミクロン感染爆発中だし、忘れないうちに、もうひと記事アップするつもり。お付き合いくださればうれしいです。