堺市の旧市街に開口(あぐち)神社があります。
境内散策してて目に留まったものいくつか記録残しておきます。
商店街側、西の鳥居はいってすぐ、右手民家前に句碑
「神還り まいて このかた ○からず」
先週の参拝した日は寒くなかったので、寒からず かと思って撮影したけど
ウ冠ではなくて、覚ならず のようにも見えます。
なんて書いてあるのでしょう
堺まちあるきマップによれば、開口(あぐち)神社は以下のように紹介されています。
旧市街唯一の式内社で海の神様ととして知られ、住吉大社の奥の院といわれています。
行基が境内に念仏寺を建立したことなどにちなみ「大寺さん」と親しまれています。
今日は、店をあける今年最終日。続きは帰ってから書きます。
ただいま午後8時、
防犯夜回りなのでそれまでに仕上げるつもりが、
最近PCの具合悪くて…
iPadから続きかきますので、だいぶはしょります。
この開口の神様は塩土老翁。
海幸山幸の神話では、海幸彦の釣針を失くした山幸彦の前に現れ、
小舟を出して、竜宮にいる海神に相談するように告げます。
山幸彦は、塩土老翁(しおつちのおじ)勧めで竜宮へ行き海神の女豊玉姫と結ばれました。
その時、海神から潮涸珠(しおふるたま)・潮満珠(しおみつたま)を授かります。
陰なる潮満珠(潮干珠)を住吉大社の玉出島(大海神社・玉之井)に納め、
陽なる潮涸珠は、あぐち神社の近くにある宿院頓宮の飯匙堀(いいがいぼり)に納めました。
この塩土老翁が腰掛けたと伝わる石、岩座がこの地にあるのです。
開口神社の由緒には
奈良時代には開口水門姫神社と称しており、
最古の国道と言われる竹之内街道の西端にあって大阪湾の出入口を守る神社で、
神功皇后勅願によって建立されたと伝えられます。
堺の集落はこの辺りから発展し、町となって来ました。
その後、平安末期の天永4年(1113年)開口・木戸・原村の神社が合祀され堺の総氏神として崇敬を集め、
また江戸時代まで念仏寺というお寺が境内に在った事から今も大寺さんといわれ親しまれています
この時には見落としましたが、西の鳥居すぐのところに立つ石灯には、
住吉奥宮 三村 大神宮と陰刻見られるようです。
やっぱりこういった内容をiPad投稿キツイわぁ〜