江戸時代中期に作庭された丹波の名勝で、京都府指定文化財に指定されてます。2度目の穴太寺、覚えてるとこ多くありました。初回訪問時けっこう詳しく記録残してたので、記憶に留まったのでしょう。
前と違うアングルの画像だけ貼っておきます。
2011年11月15日の記録は西国33箇所21番札所・穴太寺423号線沿いの笑路朝市でおむすびと豚汁をご馳走になり少し走ると街道の突き当たりに仁王門とその奥にイチョウの大木が見えました。亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46番地穴太寺はあなおうじと読みます。なんでこの漢字を当てはめたのか不思議です。かつては穴穂寺、穴生寺とも呼ばれたようで、住職さんの苗字は穴穂さん。ということは、聖徳太子の生母であられる穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后とも関係あるのかな?705年創建だそうで、…
屋根裏で眠っていたお釈迦様!仏像に出会う旅「西国33所めぐり」JR西日本のカタログに大きく紹介されてます。第21番札所穴太寺「本堂の一隅に安置され布団のなかで横になる、鎌倉時代に造られた釈迦涅槃像。明治29年、当時の住職が見つけ、この場所に移すまで、なんと本堂の屋根裏部屋にあったという。病気平癒の仏様として知られ、体の悪い部分と同じ場所を一心に撫でるとご利益があるといわれることから「なで仏」と呼ばれ親しまれている。かぞえきれない参拝者に撫でられた木造の体は黒光りしており、その信仰の篤さがうかがえる。」
前と違うアングルの画像だけ貼っておきます。
2011年11月15日の記録は西国33箇所21番札所・穴太寺423号線沿いの笑路朝市でおむすびと豚汁をご馳走になり少し走ると街道の突き当たりに仁王門とその奥にイチョウの大木が見えました。亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46番地穴太寺はあなおうじと読みます。なんでこの漢字を当てはめたのか不思議です。かつては穴穂寺、穴生寺とも呼ばれたようで、住職さんの苗字は穴穂さん。ということは、聖徳太子の生母であられる穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后とも関係あるのかな?705年創建だそうで、…
屋根裏で眠っていたお釈迦様!仏像に出会う旅「西国33所めぐり」JR西日本のカタログに大きく紹介されてます。第21番札所穴太寺「本堂の一隅に安置され布団のなかで横になる、鎌倉時代に造られた釈迦涅槃像。明治29年、当時の住職が見つけ、この場所に移すまで、なんと本堂の屋根裏部屋にあったという。病気平癒の仏様として知られ、体の悪い部分と同じ場所を一心に撫でるとご利益があるといわれることから「なで仏」と呼ばれ親しまれている。かぞえきれない参拝者に撫でられた木造の体は黒光りしており、その信仰の篤さがうかがえる。」