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Channel: 秋麗(あきうらら)
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行基さんの土塔★古墳時代の文明開化

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土塔と書いて「どうと」と読むらしいです。近隣の住人からは「どうと」と呼ばれ、南海バスの停留所でも「どうと」と車内アナウンスされてるそうだ。でも漢字変化するには「どとう」とタイプしないと出ません。



土と瓦でできたピラミッド状。昔はそんな有名ではなったように思います。考古学に興味あれば、見に行ってたのかな。
平成21年(2009)に整備されたときに発見された瓦に刻まれた日付「神亀四年(727年)2月3日」『行基年譜』に記された着工の日時とぴたりと一致し裏付けされた。
高さ8.6m 一辺53.1m四方でかなり大きい。






土塔には仏像の姿はなく、宗教施設ではないのですね。行基さんに率いられた知識集団のシンボルとして作られたそうです。
相似したものが中国河北省の邯鄲で発見されています。
行基さんの弟子の中に中国へ渡ったものがいて、土塔の着想を得たのかもしれないと書いてありました。参考にさせてもらったサイト☞こちら




周囲をぐるっとまわって、元に戻ると
土塔周りをぐるっと周ったけどパーキングが見当たらなかった。隣に墓地があり、その駐車場が出入り自由だったので利用させてもらった。

過去に何度も行基さんのことは記事にしてます。行基さんが生まれ育った家原寺は、今では受験合格祈願で有名ですから。昨年暮れの墓参りの後には、狭山池は日本最古のダム式ため池 - 質オザサ店主ブログ狭山池博物館 13年ぶりに再訪 - 質オザサ店主ブログ

国を耕したもの 行基(2)千年を越えて生きる伝説 最後に「いつまでも大切に残しておくべき日本史上に二つとない史跡といえるのではないでしょうか。」と結ばれています。
行基の生涯の業績を辿ると、やはり史上類をみない人物だったといえるのではないでしょうか。
一派を開いた開祖など、行基を上回るようなカリスマ性をもった僧ならいたかもしれません。また行基に憧れ、治水事業に携わった重源のような僧もいました。しかし、その2つを兼ね備え、カリスマ性をもって多数の人を率いて土木と建築で国土を作り変え、1200年後の今の生活にもその残響を響かせているような僧は、行基ただ1人と言えるのではないでしょうか。行基の伝説が明治に多くのお寺が廃寺となるのを救い、多くのまちでは今もまちのアイデンティティになるなど、その伝説は1000年を越えて生きつづけたのです。まるで古代神話に出てくる、国造りの神様のような存在に思えてきます。


線路の反対側に暮らしてたというのに、土塔も土師も陶器も地名として知ってただけ。堺市の中区・南区、和泉市・大阪狭山市に広がる一帯、陶邑(すえむら)と呼ばれ日本で唯一最大の焼き物製造センターだった。古墳時代の文明開化は、堺の陶邑から始まったと言っても過言ではないそうです。
少し北に百舌鳥古市古墳群があります。昨秋、質屋組合のウォーキングに参加しました。前方後円墳 Keyhole−shaped tomb の地図の向き - 質オザサ店主ブログ
そちらとは別の古墳群陶器千塚があり、お墓の形も作り方も異なる。お墓ごと焼く、何とも大胆な葬送方式だと。埋葬施設自体を木で枠組みを作って、粘土をはって窯のようにして作る
その中に入れた遺体を、直接じゃなくて埋葬施設自体に火をかけて焼く。
これは火化(かか・ひか)といい、火葬とは違う概念です。またなぜか焼かないままのときもあるらしい。
前方後円墳作った民族と違うのでしょうか。興味は尽きません。老後の楽しみにとっておこう、なんちゃって。真っただ中に居るんだった^^かなり記憶障害出てるから足腰衰えんうちに頑張ろう♪ (#^ー°)v


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