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Channel: 秋麗(あきうらら)
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鷲峰山に 荒神出自し 鎮まり坐す

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荒神さんの日に笠山坐荒神社へ(11/29) の続きです。
古代からの歴史追ってたら収拾つかなくなって、とりあえず見たことを記録しておくことにします。
笠そばでお昼済ませすぐ前の鳥居くぐったのが12:44神秘的な参道を5分ほど歩いて




お参り済ませて階段下の立札が目に留まる。表参道200m 閼伽井不動とあった。
下る参道降りたらまた登らんとあかんけど、行ってみようということに。

戻る時に写しましたが、こちらが表参道でした。







表参道左手に閼伽井不動がありました。




空海は遣唐使帰朝後、高野山開く前にここ閼伽井の池で21日間の行を勤められたと書かれています。



聖武天皇が大仏建立の時、土木工事で役夫百数十人の死傷者があり伽藍建立が不可能な事態となった折、良弁僧正が天皇の正勅を受けて当山に登ったと伝えられます。
良弁僧正は、当地で七夜の祈誓を行い南都に帰りましたが、日本全土の女人より髪毛ひとにぎりの寄進を受け、それによって大綱をつくり大仏殿の上棟を無事成したと伝えられています。

聖徳太子を初め、奈良東大寺初代管長良弁僧正、中国の高僧善無畏三蔵、高野山を開いた弘法大師、興正菩薩、照海大徳、尊海大徳、高海大徳、尊信大和上、秀繁大徳、高繁本徳、尊弘大徳、宝真大徳、英岳大徳、尊雅上人、 尊球大徳等、あまた高僧、笠山寺(加佐寺)にあつまり来り、又行者の祖師、役小角行者、此の山に来り鷲ヶの峯に登りて、宝詞を造り霊神を奉祀、城州笠置山伏一代ごと此の地に来たり、 護摩を修して霊神に供しつとめ侍る。
これら山伏、高僧は修験、祈願をかけて、奇瑞なる霊験をさずかり、
下山して社寺佛閣を建立する者又は此の地に骨をうずめる者あまた有りて・・・

「笠山三宝荒神 一隅大和照千」最初に見かけた由緒説明板に書かれてました。
神躰山なる鷲峯(じゅぶ)山寺、笠山三宝荒神の名声は、大和の国、笠山の一隅より、広く日本全土津々浦々にひびきわたり、
各地に於て三宝荒神の社を建立し、
火をしずめる神として諸人は各家の竈神に奉祀其の御神徳に浴せり。
由緒説明看板、3箇所全て微妙に異なってて、どれ読んでも頭に浸透してくれないけど、すごいとこだというのはわかった。いつかもっとわかる日が来るかもしれないので記録残しておきます。

【由緒】
当社は荒神出自の源とされ、鎮座する鷲峯山は笠の如く峻嶺で、往古より信仰の山として仰がれている。
その昔、笠山鷲峯山に須佐之男命の神孫で竈の神である「奥津彦神・奥津比賣神」と大地の神「土祖神」を奉斎したとされるが、更に古くは土着の信仰が強かったといわれる。
『笠荒神鷲峯山竹林寺來由記』(延宝六年)には役小角によって笠山に荒神が鄭重に奉祀されたことが記されている。
以来、当社を中心とする笠山の地は、高僧・修験者・陰陽師などの修行の場となり、神仏習合の霊地として信仰を集めた。当社の荒神は善を助け悪を罰する神で「麁亂神」(そらんしん)とも呼ばれる。

明治初年には、神仏分離により笠山荒神社となるが、現在も修験者などからの信仰は続いている。

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