住吉っさんが全門閉まってるなんて予想だにしなかった。がっかりして、あたりウロウロして昼ご飯まで時間潰す。レストランだけは前夜に開いてるか確認してました(^^)4年前と同じ玉子コロッケ食す。
英気を養って気を取り直し、またもやチンチン電車に乗って向かうは宿院。
2015/7/26の記事に載せた下の地図、阪和線ではなくて、路面電車の阪堺線が正しい。
住吉祭の神輿渡御のルート図
阪堺線宿院で降りて、フェニックス通りの次の信号右手に
住吉神社飯匙堀、鳥居もあるのに入れない。
フェニックス通り側道沿いに大きな鳥居があり、そこから入った。
境内なのか公園なのかわからない広場の中央にうさぎのオブジェ越しに頓宮本殿
頓宮の説明板には神輿渡御のこと書かれてました。
この飯匙堀に、潮干珠が埋まってるんですって。
飯匙堀のあの岩の下に埋まってるのかな〜掘ったら出てくるかな〜イチビリのお連れは掘るパフォーマンスで記念撮影。
なぜか大事な地、奥宮が頓宮。盛夏の住吉祭で、住吉大社から頓宮まで神輿渡御され、飯匙堀(いひがひぼり)で荒和大祓(あらにごおおはらえ)が執り行われます。
なぜ興味持ってたかというと、あかるひめ神社の桔梗の造花★7/28追記 より引用
赤留比売神社、現在は杭全(くまた)神社の境外社ですが、
これは大正3年からのことで、かつては住吉大社の境外末社だった。
8/1の住吉祭に、いまでも桔梗の造花をこの神社から捧げられるらしい。
神輿が堺の宿院頓宮まで渡御され、宿院の飯匙堀で荒和大祓が執り行われます。
そこでこの桔梗造花が供えられるのですね。
住吉祭 神輿渡御(みこしとぎょ)の歴史 に
享保 8年(1723)平野七名家の桔梗造花献上が再興
荒和祓桔梗献花口上覚 という記載がありました。
先日、道頓堀は成安道頓が造ったという記事を書きました。平野七名家の一つです。なんか繋がってる〜
とりあえず、宿院頓宮の飯匙堀へ行ってみようと思い立ったのでした。
実際に足を運んでも、神輿渡御の日でもないし、潮干珠みれるわけでもないし。おまけに、住吉っさんの大海神社に参拝できなかったし。あちらの玉の井には潮満珠が沈められてるという。
宮崎の鵜戸神宮にも伝承あるんですね。山口県にもあったような。それが大阪にも、不思議ですね。あかるひめとも関わりあるのかな。
詳しくは以下サイトで堺宿院頓宮と潮干珠伝説http://ikomakannabi.g1.xrea.com/syukuintongu.html
英気を養って気を取り直し、またもやチンチン電車に乗って向かうは宿院。
2015/7/26の記事に載せた下の地図、阪和線ではなくて、路面電車の阪堺線が正しい。
住吉祭の神輿渡御のルート図
阪堺線宿院で降りて、フェニックス通りの次の信号右手に
住吉神社飯匙堀、鳥居もあるのに入れない。
フェニックス通り側道沿いに大きな鳥居があり、そこから入った。
境内なのか公園なのかわからない広場の中央にうさぎのオブジェ越しに頓宮本殿
頓宮の説明板には神輿渡御のこと書かれてました。
この飯匙堀に、潮干珠が埋まってるんですって。
飯匙堀のあの岩の下に埋まってるのかな〜掘ったら出てくるかな〜イチビリのお連れは掘るパフォーマンスで記念撮影。
なぜか大事な地、奥宮が頓宮。盛夏の住吉祭で、住吉大社から頓宮まで神輿渡御され、飯匙堀(いひがひぼり)で荒和大祓(あらにごおおはらえ)が執り行われます。
なぜ興味持ってたかというと、あかるひめ神社の桔梗の造花★7/28追記 より引用
赤留比売神社、現在は杭全(くまた)神社の境外社ですが、
これは大正3年からのことで、かつては住吉大社の境外末社だった。
8/1の住吉祭に、いまでも桔梗の造花をこの神社から捧げられるらしい。
神輿が堺の宿院頓宮まで渡御され、宿院の飯匙堀で荒和大祓が執り行われます。
そこでこの桔梗造花が供えられるのですね。
住吉祭 神輿渡御(みこしとぎょ)の歴史 に
享保 8年(1723)平野七名家の桔梗造花献上が再興
荒和祓桔梗献花口上覚 という記載がありました。
先日、道頓堀は成安道頓が造ったという記事を書きました。平野七名家の一つです。なんか繋がってる〜
とりあえず、宿院頓宮の飯匙堀へ行ってみようと思い立ったのでした。
実際に足を運んでも、神輿渡御の日でもないし、潮干珠みれるわけでもないし。おまけに、住吉っさんの大海神社に参拝できなかったし。あちらの玉の井には潮満珠が沈められてるという。
宮崎の鵜戸神宮にも伝承あるんですね。山口県にもあったような。それが大阪にも、不思議ですね。あかるひめとも関わりあるのかな。
詳しくは以下サイトで堺宿院頓宮と潮干珠伝説http://ikomakannabi.g1.xrea.com/syukuintongu.html