須賀神社の長い坂の石畳参道の先に階段があるのでそこから先は土足厳禁。部外者用にスリッパ用意されてます。
上の拝殿、本殿後ろに舟形古墳があり、淳仁天皇が葬られているとのこと。
上から階段参道見おろすと
わずか15分ほどの参拝時間でしたが、靴を脱ぐって初体験。
淳仁天皇の伝説
菅浦には淳仁天皇の伝説がある。
淳仁天皇は、天步天皇の皇子・舎人親王の第7皇子で大炊王と呼ばれていたが、
天平宝字2年(758年)藤原仲麻呂(恵美押勝)に擁立され孝謙天皇から譲位を受け即位した。
しかし、天平宝字8年(764年)9月、藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱により廃帝され淡路国に流されその地で亡くなったとされている。
ところが菅浦には、淳仁天皇は淡路国ではなく菅浦に流されたという伝説がある。
須賀神社に淳仁天皇が祭神として祭られており、神社の背後には淳仁天皇の墓と伝えられる墳墓がある。
なぜ、菅浦にこのような伝説があるのかは不明であるが、この伝説が菅浦の文化的景観に重要な意味を持つことからここに記しておく。
長浜市「菅浦の湖岸集落景観 」 PDFより引用
毎年4月8日はお祭りがあって、お神輿が渡御される。
ガイド男性の話によると、お神輿は3基あるが、担ぎ手の若者人口減って昨今は1基しか出てないとか。もちろん村から出てる人も祭には帰郷する。1トン近くある神輿は担ぐと肩は大きく腫れあがるとのこと。
そしてもっとびっくりしたのが、淳仁天皇の1250年祭が2013年に挙行されてた。その時の様子は ☞ 須賀神社 鎮座1250式年祭
一部画像拝借してきました
なんとこうした式年祭が50年ごと。次の式年祭は1300年の2063年。50年毎の御遷宮の維持には、お金も力もあらゆる面で負担がかることでしょう。
日常の暮らしには難儀そうなこの地で、うちら大阪のおばちゃん4人は、絶対無理、ここではよう暮らさんな、と話した。
それがこうして綿々と受け継がれた歴史。ふしぎ~
ちょっと面倒でしたが、国宝指定された菅浦文書をみてみることに。
つづく